少年敗走記

脳みそをさらけ出すダンスホール。

黒執事坊ちゃんに見る理想の女性性

理想の少年

 

女性の理想の女性像とは少年である。

 

黒執事を何年も読んできて近日ふと考えた。

坊ちゃんは現代女性の現実を踏まえた上での女性の理想的な自画像であると。

今回は黒執事の少年像とジェンダーを絡めて論じていく。勿論私の勝手な考察なのでそこはご了承の上読み進めていただきたい。

 

少年は男である。当たり前だ。だがこの点が少年と成人男性との関係を述べるうえでとても重要なことなのだ。

 

古代ギリシア少年愛などは除き、現代の成人男性と少年との関係は男同士という対等性と大人と子供という非対等性の矛盾を含む。

 

つまり男同士であるがゆえにその関係には性の関係は介入しない(一般的には)。しかし大人と子供であるがゆえに成人男性の少年への対応は庇護が含まれる。

 

この性欲を含まない庇護の関係を持ちつつの男同士という対等は現代女性が成人男性に望むものである。ほとんどの場合叶わないが。

男女平等ではあるけれど明らかに男より身体能力的に劣る女への庇護を含む男女平等。かつそこに性欲を含まない対等。

この現代女性の理想を体現しているのが少年という存在である。

 

さて、黒執事の話にいこう。

黒執事のネタバレありだが私は単行本派なので最新巻までのネタバレありで話を進めていく。

なお坊ちゃん、眼帯の方の主人公、を坊ちゃん。蘇った死者の方の本物のシエルを兄シエルと呼んで話を進めていく。

 

坊ちゃんは現代女性の現実を踏まえた上での理想的な自画像であるとはどういうことか。

 

1. 坊ちゃんは少年だが仕事をしている

坊ちゃんはおもちゃ会社経営者である。少年という子供だが企業を経営し、そのトップに立ち人を使う立場である(貴族という身分もそうだが)。

経営者としての坊ちゃんと従業員との関係は細かく描かれていないので何とも言い難いが、いくら貴族で社長というトップの立場でも少年という子供である。従業員は当然大人だろう。従業員ははたして坊ちゃんをどの程度対等(あるいは目上)と考え、敬意を払っているだろうか。所詮は子供という面従腹背の態度をとる従業員だって当然いるだろう。

 

この状況は現代女性と同じだ。男性より身体的に劣り、なめられやすい。人の上に立ったり指導する立場になれることはなれるもののまだまだやりづらい雰囲気があるし所詮は女だと思われ、年上の男性の前では発言もしづらい。

能力の前に子供という外見、女という性別が天井になる。

 

ちなみにヤード(警察)との女王の番犬としての関係は極めて現代的な男女観に見える。坊ちゃんは子供だが女王の番犬としての裏社会の権力もあり、ヤードは坊ちゃん逮捕の際に「シエル・ファントムハイブ卿」もしくは「ファントムハイブさん」と呼び掛けている。子供相手にである。

これはキャリアを積んで男性と対等に見てもらえる女性の面の鏡写しだ。若い女の場合年上の男性にはタメ口ちゃんづけで呼ばれることもあるが坊ちゃんのような

「裏社会に権力を持つ(子供だてら)」=「キャリアを持つ(女だてら)」の構図だ。

 

子供だてらなんて言葉はない。私の創作だ。

 

2. 悪魔崇拝儀式での暴行

10歳の誕生日に双子が巻き込まれた悪魔崇拝儀式。ぼかされているが大人の読み手ならここで性的暴行があったことは読み取れる。性的暴行を受けるのが少年という男なのである。

ここに成人男性と同じ男ではあるが庇護が必要で身体的に劣る存在の少年、成人男性には身体的に敵わない少年の弱さが描かれる。これは成人女性の弱さである。

 

これは現代女性の叫びだ。いくら男女平等、成人男性と対等な存在でありたいと望んでも結局は身体的に男性には敵わずそこから生まれる弱さ、脆弱さ、か弱いというイメージへの苦しみ。

 

3.ファントムハイブ家次男という呪い

坊ちゃんは次男である。この次男というワードはずっと坊ちゃんを苦しめてきた単語である。幼いころから兄シエルのスペアという扱い。

「みんなに大切にされているのはシエルだけ。僕はおまけ。」

「僕だけ生きて帰っても誰も喜ばない。」

坊ちゃんはシエルのスペアであり、予備であり、領地も爵位ももらえない。だって次男だから。

だけど貴族というブランドはあるのでロンドンに出ておもちゃ屋になるという夢は型破りで旧来の貴族観を持つ兄シエルには理解されない。義務はあるのに権利はない。

 

これは現代女性の女という呪いだろう。

結婚しろ、子供を産め、少子化は女が子供を産まないせいだ、でも自分で働いて生きろ、介護もやれ、家事もやれ、子供の非行は愛情が足りないからetc........。

だって女だから。

旧来の女性観に沿うという義務は押し付けられるのに男性と全く対等の人生を生きる権利はない。

 

坊ちゃんが兄シエルに身を偽るのはこの構図に照らし合わせると男装だ。ファントムハイブ家次男という呪い、おもちゃ会社経営という夢を叶えるためには兄シエルに成り代わるしかなかった。つまり男装し、男として生きるしか完璧に男と対等にはなれないという一種の男女平等を追求する社会への答えのように見える。

 

しかし坊ちゃんの真相が明らかになり、兄シエルと対峙するために逃げずに戦うというシーンはその「男になるしか男と対等になれない」という構図を崩したように感じられる。

つまりジェンダー的な解釈をすれば「男になって男と対等になる」から「あくまで女のままで男と対等になるために戦う」に作品のテーマが変わったのだ。

このシーンが坊ちゃんが七面鳥を食いちぎり文字通りアイデンティティをぶち壊したシーンだ。いつもの紳士然とした坊ちゃんの態度が一変し「うるせぇ!」という粗野な言葉遣いになる。

 

ここで覚悟を決めたのだ。もう旧来の女性観なんぞ知るものか!自分のために生きるのだ!という押し付けられる女性観への反発。

それが「うるせぇ!」という言葉遣いから読み取れる。

 

 

最後に少年は未来がある。つまり今は「まだ」男だが子供という庇護を受ける存在だがいつの日か男になり成人男性と対等になる。というか成人男性になり他の男性と対等の関係になれる。

これは現代女性が持つ希望に繋がらないだろうか。現代は「まだ」成人男性と男同士のような対等は築けないが「いつの日か」男同士になれるのだという究極の男女平等への希望。

個人的には男女という肉体的な性別があり人類に性欲がある以上これは無理だとは思っているが。

 

黒執事ジェンダーの話をするには坊ちゃんよりもうってつけなのがメイリンだが今回はあくまで少年と絡めての話なのでメイリンの話はまた今度。

救済のBEACON、違和感と共に聞いた。

!注意!

まだお聞きでない方は読まないように!あちこちにネタバレのトラップあり。

 

本日届いた「BEACON」の本聞きの第一印象を書いていく。視聴の感想を書いた時点で第一でもないのだが。

一回目が歌詞を見ずにフルで聞いた印象、二回目が歌詞を見つつ。

新譜を聞きつつ書くという無謀な行為をしているので敬称略、固有名詞のマチガイ、行間のバラつきなどお見苦しい点はご容赦を。

 

そして最後がアルバムを俯瞰して私が感じたことだ。タイトルの「違和感」に関しては下の方にある。

 

1.Beacon

イントロが思ったより左右に揺れている。低音が強く音のカオスさがヒラサワワールド。ライブで聞いた時より多彩な音がある。低音のシンセベースが強い。「せい」じゃくのsの音が強くディエッサーをわざとかけていない。

「放てと枷」だと勘違いしていた。高音域に見え隠れするストリングスが潜む。珍しくピアノがいる。どんどん派手になるオケ。ラストのサビにはブラスが頑張る。

ライブの方が高音域の声がきれいだったな。なぜだ。

 

1.

「名もなき」+一音でつながってたのか。幽霊じゃない。beaconを!を!

 

 

2.論理的同人の認知的別世界

わーおわいのやつ。イントロがなんとも怪しげ。このわーおわいは絶対皮肉ではないか。「半値の丘」じゃなかった。クリーントーンと歪みを混ぜたギターがいる。歌メロは安定に行くと見せかけて不安定へいく天邪鬼。何度聞いてもこの歌メロは覚えられないよ。

奪取のところはシャガン大師だ。いやmonster a go goだ。

!? 語り出した!

びっくりしたわ。もはや独り舞台。深紅の緞帳は上がり、シルクハットにおかしなスーツのサーカス案内人道化が半笑いしているようだ。

あー大丈夫よタービンが回るわ......

うそつき!

 

2.

こんな曲一回聞いたぐらいで感想かけるかい。ちなみに英訳タイトルの同人、coterieはロングマン英和辞典によると「特に排他的な同人」だそう。やはりyoutubeでおっしゃっていたいくつかのタイムラインが同時に進行し、あるタイムラインはその中で起きていることしか見えないというのはこのcoterieとこの曲のことだと思う。

 

3. 消えるTOPIA

やさしい歌い出し。human-leのような南国系救いかと思ったら歌メロ変。無理歌えない。どういうテンポなのさ。

この出だしからなんでそんな怪しげ???え、違う曲を間違って繋げちゃったんじゃないの??

すげー変態曲。2/4拍子だと思うけど。BDが3拍子。

今回歌い方にクセあるねぇ。

あんなに優し気で教え諭すようなイントロだったのに葬式のような雰囲気になりまた優し気に戻ったかと思いきや「たった今」のテンポ何。

無国籍風民族調に天邪鬼ヒラサワサウンドが乗る。

どう考えても途中に違う曲入ってるでしょ。「リセットは」から違う曲でしょ。6分近くある曲で違う2曲を飛び移っているようだ。

始めてヒラサワ曲で長いと感じた。というかいつ終わるかつかめないからだ。

 

3.

イントロ歌詞でロタティオン思い出したのに。そんな感傷はどこへやら。

これ、コピーしたい。歌詞を見て初めて思った。曲調に妖しげが混じってるのでわかりづらかったが歌詞を見れば救済系だとわかる。子守歌じゃん。馬骨専用子守歌。試聴が3番からだったせいであやしい印象がついてたのか。怪しげ→救済へ向かっている。enola思い出す世界観。宇宙とロケット。星を二つ生きて?

 

<追記> アルバムをフルで何度も聞き、このアルバム中で一番好きになった曲だ。デモの段階では「幽霊列車」が一番の気に入りになると踏んでいたが予想は裏切られた。おそらく「幽霊列車」が思ったよりキャッチーな曲調ではなかったからだ。デモで聞こえたクリーントーンのギターフレーズがヨーロッパの冬を思わせたがそんな美しい荘厳は直ぐに裏切られるのだ。

 

4.転倒する男

ブラス系の王国のような音にヒラサワギターがやってきた。

また!「消されぬ」からどうしたの。何が起きたの。寝起きにやってきたフレーズに聞け!

同じ歌詞で違うメロ!ヒラサワ曲では初めてだね。synth1っぽいシンセが水のように流れる。

今回不意を衝く音が多くびっくりさせられっぱなしだ。意表を突く介入が多い。ぜったいにやにやしながら作ったな。

 

4.

仏教というか東洋哲学系(特に中国思想)の五行っぽいサビの歌詞。易経のようだ。これ英語訳がFallsの現在形なのでこの転ぶ状況は未来で変わると予測させるな。過去分詞だと絶望的。「ないもの」に騙される男を励ます師匠。水面の宮に騙されるなよ、なあ兄弟。

 

5. 燃える花の隊列

最初のハープで癒しだと思った私があほでした。今回全部テンポがいかれてるな。緩急在りすぎで転ぶわ。ちょっと疲れて来たよ、慣れない回路を使って聞いてるから。

おお美しいクリーントーン

後ろでドコドコ言ってるのはなんだ?大太鼓?いやシンセドラムかな。

真面目にギター弾いてる!えらいぞ。「タララララン」のンが舌足らずに聞こえてかわい....

やっぱりこの曲も長い。先の展開が読めないからなぁ。こういう曲は聞き込むとお気に入りになることが多いな。まだ歌詞見てないから余計に長いと思う。元プログレの人だしな。だんだん日本語にも聞こえなくなってきたよ。ハープ最初と最後だけじゃないか。

5.

英訳のranksはrankingを思い起こさせるチョイスだ。ただの列じゃなくて優劣ついた列なのかな。というか英訳は師匠はどこまで関わってるんだ?

「水面に輝る月」って鏡花水月だよね。世間からなきものと扱われることに誇りをもちかまわず行け、かな。

「あるべくあるそれ」ってなんだ?子供のようなずいぶんと素直な歌詞だこと。この曲ところどころに幼さがある気がする。生まれる前の自由さをってところかな。

 

6. LANDING

これじゃないか?湯本さんが感動した曲。サーカスっぽいリフのシンセに美しいレガートチェロ。あ、インストじゃないのね。え、これ泣く?怪しすぎるでしょ。湯本さん、これのどこに泣いたの???恐怖で???

どう考えてもアヤシイ移動サーカス。フリークショー。サーカスは隠れ蓑で裏で子供の人身売買とかやってるシンジゲートでしょ。

ああ、ボーカルと言い何といいクラウスノミ風。あ、サビはヒラサワらしい優し気な救済。ここかな、湯本さんが感動したのだ。でも一瞬だよ。

サビで一気に救済に向かうのがヒラサワらしいな。でも葬式で棺を運ぶような情景しか私には見えない、このサビ。

 

6.

何も浮かんでこない。一体何を書けと?いやオケのサーカスっぽさと歌詞が合ってないようなちぐはぐな印象。でもタイトルと俯瞰の世界観からして航空機の操縦席にいる気分だ。一人だけの着陸。旅客機には私以外誰も乗っていない。

 

 

7. COLD SONG

きた。ノミ。この曲はyoutubeでも何度も聞いたので今更特筆すべきことは少ないが歌詞がヘヴィメタルのようなヴィジュアル系のような。う~ん、でもごめんな師匠。ノミのほうが好き。まあノミが本家なわけだし。よくこの音域出したものだ。ちょっと奴隷のところが無理やりっぽくて笑ってしまう。

人様の曲なのに歌詞でヒラサワールド全開。まあカバー曲といってもタダでカバーするなんざ誰も思っちゃいなかったよ。バイクの前例があるしな。

 

7.

これ全曲中一番皮肉。「騙されこき使われる哀れな連中」への皮肉。見晴るかすなんて単語どこで覚えたのだろう。一体何を読んだ?

 

8. 幽霊列車

試聴で一番好きだったこの曲。??イントロどうしたの。さっきからイントロ全部おかしいわ。きれいなギターで入らないのね。

え「残骸」だったの。どう聞いても「塹壕

 

惨憺たる履歴はだれのためを思い出すbメロ。キャッチ―なイントロをわざとぶち壊してるな?

 

オケの一瞬の厚みがいいよね。クラシックに見せかけてヒラサワールドへ。童話調。この列車宮沢賢治の南極へ行くあの列車を思い出す。黄色いレインコート着た客がいるやつ。

見事に予想を裏切ってくるのがもういっそ清々しいわ。素直にそのままサビに突入すると思って待ってたのに。「ランラン」だもん。

 

8.

これもコピーしたいな。この列車、ハルディンホテルの列車だよね?ハルディンで乗ってたキチガイ博士が今度は亡き者たちへ。

 

9. TIMELINEの終わり

これもyoutubeでフルを聞いた後。ドラムのひずみがいいよね。ライブよりも全体的に歪みが強い。「晴るかす」は古語。この曲がアルバム中で一番キャッチーで裏切りがないかな。あくまでヒラサワ尺度で。今回シンセパーカッションが散見される。この曲好きな人多いだろうな。私も好きだ。真っすぐでヒラサワの皮肉なしの救済系。human-leあたりに通ずる系統。「エンドレスの緯度を割いて」だと思ってた。緯度と比喩じゃだいぶ違う。どうして全然違う音に聞こえるんでしょ?ヒラサワのかつぜ....、いやわざと?

ロングトーンのストリングス系の素直な感動をそのままにって感じのサビ。こういうシンプルな音も好きですよ。どう聞いてもこの曲がラストでしょ。なのにまだあと2曲ある。

9.

やっぱりこの曲だけ毛色が違うな。皮肉なしの完全救済。やっぱりキミを抱っこしてたか。焚き上げじゃなかった。焚くのは正気だけ。

この曲聞きほれてしまってうっかりこれを書き忘れていた。

 

10. ZCONITE

箸休めのインスト。と思ったら箸休まらず。ユーラシア21℃のような後ろのチャント。イスラム系の総会に聞こえる。モスクでとった話し声?

わーお儀式的。短いね!

niteはドイツ語?なぜnightじゃない?夜とは関係ない?

 

11. 記憶のBEACON

!?しゃべりだした。ひーにーくー。

また変なイントロ。イントロがサビじゃん。ああ確かにエンディングっぽい。ボーカルがかなり前に出てきてまるで耳元で歌っているようだ。やったー。

何後ろの音。何の音だか見当もつかんわ。シンセでつくったんだとは思うが。

あ、皮肉っぽい始まりだったがこれ救済系の曲だわ。苦難の助手よ、私に続き給えだ。

 

エンディング曲は華やかなフィナーレって感じ。パーカッションのトンシャリ、ドンシャリじゃない、がノリの良さを出す。前途を行けが草原に吹き渡る声のよう。ブックレットのせいもあるだろうが青い空と地平線まで続く緑の草原が見える。春っぽい。

全曲の中で一番救済系だね。

 

11.

イントロの「もう大丈夫ですよ」は私は皮肉と受け取っているが歌詞の救済ぶりとあわないよな。でも師匠の言う安寧は思考停止にも聞こえるんだわ。これ多重コーラスでコピーしたら綺麗だろうな。

アカシックレコードの要素が来た。滅私ってたぶん良い意味。無意識の奥底で他人とつながるような滅私。我と彼の境目が消え去るような。道教で言う道枢の境地。華厳で言う一即多多即一だ。滅私から韻踏んで摂氏にしたでしょ。

 

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アルバム全体の印象としては「異色」だ。

今回聞きやすく(といってもヒラサワ基準だが)覚えやすい曲はライブで公開した「Beacon」と「Timelineの終わり」くらいであり後は(ノミカバーを除き)すべて変な曲である。

近年「ホログラムを登る男」より後はどんどん核Pとヒラサワソロの垣根が低くなっていく印象を受けたが今回の「Beacon」はもうどちらの世界観も混ざり合い一つの境地のヒラサワを見せている。

twitterでQ阿野ん(ワザと当て字)に言及したり24曼荼羅のBSPの最後の熱意に満ちたメッセージを発信したりと、以前からイスラエルユダヤの陰謀に言及したり科学を外れた知性を重んじている節はあったが最近はそれが偏重になってきているような気がする。

(もちろん西洋科学から外れた知性はマイナー故に攻撃されがちでまさにヒラサワの世界観への呼び水ではあるけれどそのいわゆるオカルトだって玉石混交だ。)

 

私はこの「Beacon」への全体的な印象と最近のヒラサワの言動を見るにつけてだんだん教祖化してきていないか?と感じるのだ。

 

マイナーな叡智への賛同とそれを陰らせる権威のような陽への批判は彼が姿勢としてずっと持ち続けてきたものだけれど「Beacon」はそこへの皮肉と怒りと卑下が感じ取れる。このアルバムは怖い。残念ながらヒラサワをよく知らない人が言う「宗教みたい」という言葉は少なからず当たっているように思えてくる。

 

「自分で考えろ」というスタンスをヒラサワは言いつつも一方で「Beacon」からは人をこちらの方へ、ヒラサワが正しいと思った方へ導いてあげるといった家父長制のような庇護を私は感じた。ヒラサワが確信したただ一つの世界を提示し、ついてこいと命じているようだ。これを教祖と言わずしてほかに何と呼べばいいだろう。

 

もっと簡単に言うと以前までは「私はこういう世界観で生きていきます。他者がどうするかは自由だ。」という単なるヒラサワの提示に過ぎなかったものが「私が生きると決めたこの世界をお前たちも生きよ」という教えに変性してきたように私には思えるのだ。

 

アルバム全体へのもう一つの印象が「違和感」である。

 

ヒラサワが貫いてきた「苦難の助手よ、私に続きたまえ。(ただしそうするかどうかは自分で決めよ。続いた後どうするかもあなたの自由だ。)」だった姿勢が「苦難の助手よ、私に続きたまえ。」で終わってしまっているように私には思えた。

 

初期平沢ソロアルバム「Aurora」と今回の「Beacon」。どちらも陽の世界観だと定義してみてもその陽の質は真逆に感じられる。「Aurora」はストレートな明るさ。これまでマイナーとして蔑まれてきたものが力を得て目覚めるという希望のストーリー。

そして今回の「Beacon」は攻撃的な陽。力を得たマイナーが、君臨し腐敗した現実を作り出すメジャーを攻撃するというパワーに満ちた構図。こちらも希望と言えば希望だがマイナーを傷つけるメジャーを傷つけ、蹴落とす希望である。勧善懲悪的希望である。

 

私はヒラサワにはずっと対話の人というイメージを抱いてきた。どこかで「人それぞれだからこそ対話が必要」といったようなことをおっしゃっていたがこの人はどんな相手でもはなから対話をあきらめてしまうことはないと信じていた。

だけど「Beacon」はどうだろう。腐敗したメジャーのタイムラインとの対話は諦めてしまってもはや見放すのみ、という態度が私には見て取れた。もしくは家父長制的態度で「私の価値観が生きる世界へ導いてあげる」というような態度。

ヒラサワ、諦めてしまったのか?

 

これは私の意見だが、世の中には一定数話の通じない相手はいる。そういう存在との対話は無理だ。

 

しかしこれは私の意見でありヒラサワは私のような一部人間を諦めてしまった人ではないと思っていた。twitterでの人類への賛美のように何があっても人を見限らないのだと信じていた。(といっても心の端では「ヒラサワも人間なのだから切り捨てた人もいるでしょ」とは毒づいていたけれど)

 

しかしまあごちゃごちゃ外野が文句を言うだけならラクだ。では私はヒラサワにどうしてほしかったのか?

私は「相容れない連中は放置して私は私の世界観で生きていきますので。さよなら」のような今までのアルバムから私が感じ、憧れていた独立した世界観を貫いてほしかったのだ。ソーラーライブをやっていた時代のように。来なかった近未来でコンピュータに自称詳しい権威先生を放置したように。

そういう権威や権力に対しほくそ笑みながら全く予想もつかないようなことをやって世間をあっと言わせてしまう、ヒラサワのそういう真正面から権威に対峙するのではなく横道にそれて先回りしてしまうような、面従腹背でメジャーの世からは大したことないと思われていた人がとんでもないことを発明してしまうような、そういう面が私は大好きだったしだからこそこの人の曲だけではなく文章や発言も追いかけていたのに。

 

......でもそれだとヒラサワの姿勢のひとつであるマイナーを貫くを貫ききれないのかもなぁ。マイナーを貫くにはどうしたってそれを邪魔するメジャー的硬直概念という敵が必要だからなぁ。

 

しかし今回のヒラサワはメジャー的くだらない世界観への対応を放置から攻撃に寄せすぎたように感じるんだ......。

 

あまり長々書いても取り留めもないのでこの辺で筆を置くがもう私のヒラサワへの印象は「何ものにもとらわれず悠々と自分の世界を生きる孤高のアーティスト」ではなくなった。この人もまたこの世界で生きる人なのだ、と。

「わが愛しのホームズ」に見た影絵。

ホームズとワトスンの関係を意図的に読み違えた、あるいは勘ぐったパスティーシュや二次創作は枚挙に暇がないが、重圧で作者が原作を読み込んでおり原作ファンの好奇心を小ネタでくすぐる良作に巡り合うのは大変である。

と一シャーロキアンとして述べておこう。

今日ホームズものの二次創作などタダでネット上にいくらでも転がっているし、なんせ本国BBCという本家の本家が現代版ホームズを公式で出しているくらいだ。こちらもわざと二人の関係を同性愛的に解釈させようとするスイッチがいたるところに仕込まれている。

 

「わが愛しのホームズ」はそんな二次創作の中でも異彩を放つ作だ。原作小説の二次小説という形を取っているにも関わらず原作を下敷きに新しい世界を展開するのではなくドイルの築いた土台にそっと矛盾しないように新たな世界や物語を付け加えているという書かれ方なのだ。

 

作者のピアシーがいかにドイルを尊敬し、敬愛し、その完成された世界観を崩さぬよう細心の注意を払いつつ、また原作と矛盾しない設定をドイルが書かなかった物語の裏に付け加えていく。それは二次創作と呼ぶよりもドイルが表に出さなかった影を影絵として「私はこう読み解いた」という解説である。

これは二次「創作」ではなく二次「考察」である。

もちろんドイルが書いていない以上正解ではないのだけれど。

 

この本を恋愛小説だと思って手に取った人はきっとがっかりするだろう。「わが愛しのホームズ」は恋愛というかわいらしい甘やかな世界なんぞ展開されない。

あるのは重圧な人間性の交差であり二本だけのもつれた糸かせだ。時代は同性同士の特別な絆に対して冬の時代であり、そのもつれた糸かせはオスカーワイルドやアランチューリングといった実在の人々をも凍えさせ、巻き込んでいるのだと読み手は徐々に気づかされていく。

そしてヴィクトリア朝という史実とホームズという創作、上品でクラシカルな大英帝国というレトロな暖炉の火の陰には貧困にあえぐ労働階級やストリートチルドレン、インドやその他植民地の血の苦しみという二重の対比が映し出される。

 

さらに一歩踏み込んでいるのはホームズとワトソンという二本の糸にはミス・ダーシーとカークパトリック夫人、メアリとフォレスター夫人という糸たちもまたもつれこんでいるのである。

 

「わが愛しのホームズ」が他のホームズもの二次創作と比較してずっと異質で際立っているのは話が単なる二人の絆で終結せずにオリジナルキャラクターの掘り下げとホームズとワトスンに対する象徴性、そして時代背景の押しつけがましくない反映、説明ではなく匂わせるにとどまるその同性同士の特別な絆の書かれ方。

私は「わが愛しのホームズ」を読み終わった後、自分の嫌いとする恋愛小説を読んだとは感じなかった。この本は社会学的歴史書のような重みと原作への深い理解に裏打ちされた社会学系新書のようである。

 

もちろん原作の二人の仕草や性格が相手への愛情的に解釈されている点はまぎれもなく恋愛ものである。例えばホームズの人を人とも思わぬ態度でワトスンを批判するのは彼の気を引くためであるとかワトスンの結婚に対しホームズが普段の冷徹さを亡くして狼狽した風を見せるとか、そういう原作へのピアシーの解釈は恋愛小説と呼ぶにふさわしい。

 

だがそういう、私が苦手な恋愛描写すら目をつぶれるほどの原作への深い理解と敬愛が見て取れる、なるべく原作の世界観を壊すわけにはいかないという細やかな配慮が読み手に伝わってくるほどの緻密に構成されたストーリーは一シャーロキアンをして圧倒されたと言わざるを得ない。

 

綿密に織り込まれた原作ネタ、緻密なストーリー運び、忠実に再現されたワトスンの口調、矛盾のない新たな世界観の付加、オリジナルキャラクターを登場させながらも原作ファンを納得させる構成力。

二人が一歩近づくだけの動作を丁寧に描写していく細やかで繊細な文章の特徴は、後半の舞台として描かれる黄金に染まった秋のパリの情景に一部の隙もなくぴったりで息をのむほど美しい。挿絵もない文章だけでこれほど美しいのならもし映像化されたらどれほどの芸術的描写になるだろう。そこだけ時の止まった永遠の絵画のように空気すらも情景を醸し出す雰囲気に姿を変えるであろう。

書き手ピアシーの筆致には舌を巻くばかりである。この一作しかホームズパスティーシュを発表していないのが残念だ。

是非ともこの人にはその後のストーリーも書いてもらいたいものだ。

例えば引退後の二人のストーリーとか。あれだけの構成力でおだやかな二人の邂逅を描くピアシーなら引退後の静かな生活を送る二人の関係はどう描くだろう?

今作のおだやかな雰囲気はそのままにもっと老成した情景を流れるように展開させるに違いない。

何時までも待っているのでぜひとも書いてもらいたい。

トラックラグーンにゴースト浮遊せしや?

P-Modelメンバーの一人、横川タダヒコ氏のアルバムに収録されている「トラック・ラグーン」の考察をしていく。

まず、この曲は調べても成立した詳細な背景や当時のP-Model、横川さん、作詞とナレーションで参加しているヒラサワの状況がわからない。

そもそも歌詞さえネット上にも存在しないので歌詞すら私が耳コピしたものを頼りに考察する。

歌詞には著作権があるため全て書き写すことはできないので、重要なところのみを記載していく。

 

そもそもトラック・ラグーンというのはトラック諸島の意味であり、現在ではチューク諸島と呼ばれている。かつて大東亜戦争中に日本軍が占領した南の島の一つであり、1944年に米軍の大規模空襲によりほとんどの船が轟沈したトラック島空襲があった。

 

「トラック・ラグーン」は横川さんのアルバム「two of us」に収録されており、このアルバムの発表が1990年。

この年はトラック島空襲から46年後であり、歌詞に何度も出てくる40年という数字と符合する(四捨五入したら50年だけど)。

 

歌詞を書き出した後参照しながら何度か聞いたが、この曲は大東亜戦争へのドキュメンタリー風回想録ではないだろうか。

先日の記事でも書いたがヒラサワの意味する幽霊=ゴーストは

現代人が切り捨ててきた非西洋的、非科学的な叡智

の意味を持つ。

とすると何度も出てくる実質サビの「トラック・ラグーンにゴースト浮遊せしや」はトラック諸島には史実から消されてしまった何か大切なものがまだ眠っており、それは陽の目を見ることなく成仏できぬまま彷徨っている、と解釈できる。

 

ロストフィンガーの男は傷痍軍人かもしれない。ファーイーストは直訳すれば極東であり我らが日本。

 

そして対比される時間軸が2つある。コンチネンタル航空では5時間で行ける距離を徒歩や超特急では40年かかる。

この2つのあまりに顕著な対比は何だろう。通常の方法では40年もかかるところをコンチネンタル航空に乗れば何と5時間で行ける。

ちなみにコンチネンタル航空は実在したアメリカの航空会社。2012年にユナイテッド航空と統合され消滅。

なので「トラック・ラグーン」発表時にはまだ実在していた。

 

調べてみるとトラック諸島への足は日本からの直行便はなく、トラック諸島へ乗り入れているのはユナイテッド航空(コンチネンタル航空)しかない。

経路として日本→グアム→トラック諸島とグアムを経由する。

ユナイテッド航空フライトプランを調べてみると

成田→グアム→チューク国際空港でかかる時間は17時間!

出発日時を変更して調べても大体17~18時間はかかる。ユナイテッド航空なら。

5時間ではたどり着けない。

 

.....こういう時は発想を変える。ストレートにその地までかかる時間ではないのか。

もしかしたらヒラサワは何かのドキュメンタリーを見てこの曲を作ったのかもしれない。(ドキュメンタリー嫌いとどこかで聞いたが)

その番組が5時間構成だったのかもしれない。

つまり、40年も前の歴史的な出来事を5時間で知ることができるといったような。

 

40年前の過去と5時間番組が放送される今日が出会う。(これが左耳を打つ40年のロングディレイと右耳を打つ5時間のショートディレイの対比)であり、「私のスケルトンを揺する二つの声」。

「両者の門出を祝う」今やっとトラック諸島の歴史が人々に知られ始めた。

「ヨーソロー」そのまま行け。

 

ちなみにディレイというのは空間系エフェクターでなにがしかの音にエコーを付けるものだ。このなにがしかの音はおそらく号泣の声。

歴史の上で響いた40年前の泣き声(それは日本兵のものかもしれないし残された遺族かもしれないし、はたまた現地の人のものかも)と今日5時間の中で再び聞こえた泣き声(生き残った傷痍軍人のものか)が右耳と左耳で同時に聞こえ私の中で出会う。

「ロストフィンガーのしぶき」は涙。

 

ちなみに3度も出てくる「母」。これは戦争という男性性への対抗かも。「然る母の秘めたる和合」から推測するに、戦争というのは男性性でありその名の通り争いで競争だ。その逆が女性性と共感。だから「母の秘めたる和合」

この秘めたるもまたヒラサワらしい。ヒラサワの歌詞にしょっちゅう出てくる夜や陰と似た意味で、この極めて男性性に偏った世界では先に述べた幽霊のようにくだらないと切り捨てられてしまうもの。

 

さて、ここまで考察してきたが未だ腑に落ちない点もある。

例えばなぜロストフィンガーの男がしょっちゅう出てくるにもかかわらず「指一本の生贄で保たれたファーイーストファミリーの美学」があるのか。

ファーイーストファミリーが皇族だとしたらロストフィンガーの男は指を全てなくしながらも大日本帝国と現人神を守り切ったということか。

いやそれではあまりにも思想が右に寄りすぎてヒラサワらしくない。

それともファーイーストファミリー(皇族)はたかだか指一本で支えられてしまうほど軽々しいものだ、ということか。今度はリベラルすぎるな。

ここはまだ不明だ。何か思いついたら追記するだろう。

 

最後にこれは歌詞の耳コピが単純に間違っているのかもしれないが「アフリカのウメルハバト」。

ウメルハバトというのは調べても何も出てこない。

ウメルハバト、ウメールハバト、ウメルハーバート.....。

ヒラサワと幽霊

ヒラサワ曲にはしばしば「幽霊」というキーワードが出てくる。曲名なら新曲の「幽霊列車」「幽霊船」「幽霊飛行機」。

サイエンスの幽霊はアルバムがもう幽霊だ。

 

ヒラサワの言う幽霊は=科学の否定したもの、スピリチュアル系と揶揄されるような西洋科学の思想からこぼれ落ちてしまった東洋思想(仏教とか瞑想とか)古代の部族が持っていた老賢者の知恵とか。

 

「幽霊船」の歌詞なんてまさにそれを皮肉っている。西洋科学の権威のもとに否定された人類の英知は今幽霊船の形になり人々の前に現れる。

そして科学の権威は古の知恵の前に跪き、古代の知恵は悠々と何に屈することもなく夜というかつて人類が人らしく生きていた時を行く。そんなユートピアの歌なのではないだろうか。

曲調と歌詞からして暗い夜の曲だがこの夜は希望に満ちた人類のための夜なのでこの暗さは希望をはらんだ静まりと安息の夜だ。癒しの暗さ。全きヒト科のための安寧の夜。なので一般的な意味での、絶望の意味での暗さではない。

これ以上言うと幽霊船の曲考察になってしまうな。

 

そういうかつて活気をもって生きていた西洋哲学でジャッジできない人類の英知、「非科学的」の刀で一刀両断されてしまった輝かしかったヒト科の叡智なのかもしれない。

 

そう考えるとサイエンスの幽霊より「フィッシュ・ソング」は自然が作り出した法則(のちにフィボナッチ数列への興味へ通ずる?)、誰が教えたわけでもなく魚の群れがまるで一匹の生き物のように動く地球システムへの畏敬の曲だ。

「カウボーイとインディアン」なんてもうそのまま。

 

ヒラサワの言う幽霊はマイナーとして誇りを持ち、迫害を避けて隠れて生きる賢者たちを指すのだと思う。

 

NZのボーイアルト、Richard Bonsall君を聞いてくれ。

Richard Bonsall。

ボーイアルト系少年歌手。


www.youtube.com

 

かなり昔にボーイソプラノ君の種類分け記事を書いたまま放りっぱなしになっておりました。

あのあと少年歌手について主にソリストを調べていくうちに系統で分類するより個人個人に焦点を当てて書いた方が深く追求できることに気づいたのでもう種類分けはしません。

その代わりに個人で書いていきます。

 

まずは恐ろしいほど美しいボーイアルト、Richard Bonsall君。

初めて聞いた時、どことなくドイツ系のような技巧を感じました。声質も子供っぽいソプラノでは全くなく、アルトの変声間近のような熟した響き。

iTunesにアルバム「Encore」があります。何歳の時の録音なのか調べても定かでないので気になるところですが13~14くらいかな。

 

余談ですが

Richard Bonsall (Boy Soprano) - Short Biography

この記事によるとなんと彼は学士、修士ともに日本語専攻です。日本人としては不思議な縁を感じるばかり。

修士はTokyo National University of Fine Arts (おそらく東京藝大?)にて日本語とEthnomusicology (音楽民族学)を専攻。今はNY在住みたいですね。音楽民族学というのは民謡や謡曲などでしょうか?

 

リチャードのアルバムは何枚かあるみたいですが今すぐに手に入れられるのはiTunesにあるEncoreぐらい。おすすめは「Eldelweiss」。日本人にもおなじみエーデルワイスです。すべてのオケはピアノのみで素朴な音ですがリチャードの深みのある甘いアルトの声を引き立てています。

エーデルワイスの高音は少年の硬質さというよりオペラ風の歌声(このせいで最初ドイツ系かと)と女声のような甘やかさ、まろやかさがあります。しかしそこに少年らしい硬質な暗い深みのベールが柔らかに降り注ぐことで絶対に女声とは違う魅力を醸し出しているのです。

Edelweiss以上に彼の高音を味わえるのが「skye boat song」。女声では叫び声になりそうな高音が少年特有の丸い声で中和され耳に突き刺さらない美しさをみせます。

技巧的なビブラートもやりすぎな感じを出さず何処まで行っても少年の声の美しさを引き出します。

美しい声質とやりすぎない歌のテクニックが素晴らしくリチャードの魅力を引き出し、まさに天上のアルト。

アルトっぽい声を楽しみたいなら「Rose of Tralee」を。素朴なイギリスの片田舎のような曲調に品のある少年の歌声がよく似あいます。

「Rose of Tralee」はアイルランドの民謡。「Eriskay Love lilt」はスコットランド。リチャードの出身はNZとあったのですがもしかしたらイギリスからの移民の子かな?

まあオセアニアは移民の国なのでイギリス系かもしれませんね。

 

とにかくこれほど上品で甘やかで包容力のある少年のアルトヴォイスはそうそう出会えるものではないと思います。iTunesでアルバムごと買って損はなし。

こういう品のある少年の歌声、僕はかなり好みです。最近の少年シンガーは可愛い声が多く、なかなか上品な子には出会えないのですが。

こういう歌い方って一昔前のクラシカルな歌い方なんでしょうね。上の世代で聞く人はノスタルジックだと思うのかな?

 

以上Richard Bonsall君の紹介でした。

「BEACON」試聴の覚書と歌メロの変性

 本日平沢進氏の新アルバム「BEACON」の視聴動画がyoutubeにアップされた。

 

 

 

試聴と本聞きでは感想が異なると思うので今、新鮮な感想を記しておこう。

 

いつもの通り、初めてヒラサワ曲を聞くと先が全く予想できない五里霧中の感覚を覚える。何度試聴しても先の展開を覚えられず、5回ループしても「そう来たか!」という新鮮な驚きと奇妙さを覚える。

その奇妙さをひとまとまりの曲に仕上げているのが彼の声だと思う。

 

「普通の」J-POPは大体において先の展開がなんとなく予想できるので安定しているし、裏切りがないというか何度も聞くと飽きるという結果になるがヒラサワ曲は何度聞いても鮮やかな裏切りの展開と立てた予測の回り道みたいな歌詞、裏口から侵入した影に平手打ちをくらうような空前絶後のvividさがある。

 

故に何度聞いてもその都度驚く羽目になるという音楽ドラッグのような、新曲を聞くたびに新たなタイムラインに移住させられるかのような目眩と中毒性がある。

 

さあ僕の御託はこのくらいにして感想を1曲ずつ書いていこう。

 

1. BEACON

ライブで聞いた時よりテンポが遅い。コーラスは「名もなき」「幸いだ」?

かつもっと多彩な音があったのね。後ろのギュインギュインしてるギターがICE-9の冷たさを思い出す。

やっぱり「あれが我が身」だな。

サビの「ビーコン」のビが唇でハッパをかけるよう。キックが記憶にあるより軽やか。転がりながらもスキップして前に進んでいくような。エンディングに見せかけた快調な走り出し。

 

2.論理的同人の認知的別世界

わーおわい。

やる気のなさそうなシンセベース。相変わらず歌詞が平沢節全開。相手の出方をうかがうような始まり。

「脱兎のごとく」が「はっと目覚めよ」ホログラムを登る男を思い出すメロ。美の神と鬼畜のロマン?

 

3.消えるtopia

あっあー。topiaって何。ユートピア

ヒラサワ曲の特徴として始まりの歌い出しが相手の出方をうかがうような不安定だよね。

イントロで一瞬音が上で切られて消える感じがblue limbo思い出す。やる気のないバカコーラス。ボーカルはオクターブ違いのおなじみで。

テンポがえらいこっちゃ。

 

4.転倒する男

イントロで軍勢のようなフリューゲルホルンかと思いきや。そのままオーケストラ風に行かないのがひねくれもんのヒラサワ流さ。

今回よくギターを弾いている。金属っぽい冷徹な音。

鉄塔からジュラ紀の花降る宵の星

丘までがオカマでに空耳しかねない。

 

5. 燃える花の隊列

あの日列で撃たれた本望の花を思い出すタイトル。ジャングルベッド1.5

アルバム中最も好みな曲。今のところ。

明るいね。どの曲も変だ。なんでそんなテンポ?この曲が一番テンションが安定していない。遅く入ったかと思えばいきなり畳み掛けるアップテンポ。躁うつ病のようだ。synth1っぽいかわいい金属のシンセ。今回テンポが全然一定じゃない曲ばかり。

 

6.landing

アヤシイサーカスのイントロ。ハロウィンのような暗さと暗愚と怠惰といった感じのオケ。恨み言っぽいねえ。曲調は違うがテンションと声で核Pっぽい。この裏声はcold songへの布石?

これで泣くことがあるのか?フルを待て。

 

7.cold song

カバー曲はノミでした。オケのコーラスが耳に着く。日本語歌詞が聞き取れない。いつものことか。「合言葉はバイク」風の歌詞求む。思ったより汚したオケじゃない。ノミのハイトーンに挑むのか。

 

8.幽霊列車

ああ、これも好きだ。すり切れたヨーロッパの冬をギター列車が通っていく。雪の中。ソ連の暗さを切り裂くよう。塹壕塹壕? 懺悔?

後ろのフリューゲルホルンかな?が東欧を蹂躙するスターリンの軍隊の軍靴のよう。

おいおい「す」で切っちゃあ。

 

9.timelineの終わり

オケ割れてない?いや歪んだギターか。ライブで聞こえなかった多彩な音が出現。ピアノいたのね。珍しいねヒラサワ曲のピアノ。キックにディストーションかかってる。今回ギター系の音多い。

 

10.zconite

インストと呼んでいいのか。シンセを拷問したような悲鳴とボイスコラージュ。後ろの唱え声は何だ?モスクで人々が会話するような。祈る気もない市井の音。

 

11.記憶のBeacon

これ最後の曲?いまいち盛り上がらない平坦ボーカル。オケは無理やり明るさを注入されたような。エンディングに聞こえない。なぜこれをエンディングに?中間曲のほうがあってるような。いやフルで聞かないとわからないが。

うーんこの曲あまり好みでないな。わざわざこれをエンディングにしてるには何か理由があるはずなんだが試聴で聞ける範囲においてはあまりに影が薄い曲のような。

口直し?timelineの終わりで感動的なフィナーレにしておいたほうがきれいな終わり方だったと思うのに。

といってもヒラサワなのでたぶん何かあるのだろう。なんてったって24万打のラストをダクトテープで奪うおちゃらけた人だ。ストレートな感動的なフィナーレは嫌だったのか。

 

 追記

今回のアルバムを試聴して思ったがヒラサワというミュージシャンは年々歌メロがヘンになっている。

いやもともと全く既存のポップスに当てはまるようなアーティストではなかったのだが昔の歌メロはもっと歌いやすく覚えやすくどこか民謡じみた素朴さがあった。

例えば「静かの海」。この曲はかなり歌いやすくて好きだ。

 

確かに先日のBSP24曼荼羅で本人が言っていたように国籍不明の民族風は昔からオケにおいて貫かれているけれども歌メロはどんどん特異な方向へ向かって行っている。

 

普通何十年も作品作りをしていればだいたいの方向性はきっちり固まってしまってそこから変節しないものだ。

むしろ初心者の頃の方が特異なものをつくりやすく、プロになればなるほど王道という名の普通に収斂してしまう。

それがこの人の場合昔よりどんどんキャッチーさが消え、もはや唯一無二の方向を何のためらいもなく一人爆走しているようである。

この人、すごくヘンだ。こんな人はほかにどんなジャンルのアーティストでも見たことがない。いるとすれば夭折して伝説になった創作者くらいだ。

何という生きながらにして伝説を築き続ける人なのか。このまま70代、80代に突入したら一体何が起きてしまうのか。怖いもの見たさで見てみたい。聞いてみたい。

自分の命がある限り僕はこの人をこっそりと追い続けるだろう。

ヒラサワ、これからもよろしく。