少年敗走記

脳みそをさらけ出すダンスホール。

「zcon」ライブを終えて。マイノリティを誇り高く行くあなたが大好きでした。

kyo-heix.hateblo.jp

この記事とリンクしています。

 

さて、2日間すべての公演に参加し3回も同じストーリーを味わってきた身で今回のインタラの感想と少し思うところを。

言っておきますがただ称賛するだけの記事は書きません。上にリンクを貼った「Beacon」(アルバム)に関して書いた時と同じで。

 

まず「ホログラムを登る男」の頃からのメジャーに対する悪意というか攻撃性が年々増しているなぁと。私はワールドセルのインタラには参加しておらず、アルバムからの感想ですが「ホログラム」のストーリーと「Beacon」のストーリーが似通っているというかホログラムに多数派世界への悪意と憎悪を混ぜたのがBeaconかなぁと。

 

それでもまだ「ホログラム」の頃はマジョリティの抑圧に打ち勝って自らの道を孤独に堂々と進もう!といったようなマジョリティをほったらかしにする何物にも囚われない自由さがあったと思いますが、今回の「Beacon」はアルバムからしてマジョリティへの攻撃性が高いと感じます。

 

インタラではさらにでしたね。zconにヒラサワがダイナマイトを投げ込んでハッピーエンド、というオチでしたがそのzconが絶対悪だとヒラサワは主張しています。

......インタラzconだとヒラサワが絶対善でzconという人を終焉状態に導くものが絶対悪なので破壊してハッミー!となるのですがあまりにも勧善懲悪すぎるんじゃないかと。

 

ヒラサワの言う数多のタイムラインが存在するのならヒラサワが正しいと思ったタイムラインが正しくない世界線だってあるわけで、数多のタイムラインの存在を主張しつつ「私の(今回はzconのなくなった)タイムラインが一番正しい」というのはちょっと横暴というか上のリンクの記事で書いた家父長制っぽいなぁと。だんだん教祖化してきているとアルバムの感想でも書きましたが今回のインタラでそのことを強く感じました。

特に

「私だけがあなたに本当のことを言おう。それは全部ウソだ。」

このフレーズ、GN会員なら今回のインタラより前に知っていたと思いますし私はこのフレーズを最初に読んだとき「いやいや何様だよ」と半笑いになったのですがインタラで、本人の声で聴くとやっぱり教祖化しているように聞こえました。

 

さらに、今回のインタラは特設サイトのストーリーを読んだ時からあからさますぎると感じました。アヨカヨ、アンバニなどのヒラサワ的造語はあるもののSFのテイをとった現実の直喩というかあまりにもヒネリがないんじゃないかなと感じました。

 

私はヒラサワのSFのテイをとった独特のストーリー、ひねりにひねった一度読んだだけでは文章自体に騙されそうになるお話とマイノリティへの賛美(カウボーイとインディアンとか)の堂々とマイノリティとしての道を行き、マジョリティはほったらかしでさようなら、みたいな価値観がたまらなく大好きだったのです。

 

「来なかった近未来」にあったような姿勢、マイノリティであるが故の経験を面白おかしくお話にして語るあのマイノリティの道を誇り高く行く彼の姿勢が大好きでした。

 

ホログラム以降の、特に今回のインタラzconはマイノリティの誇りとマジョリティの出し抜きがマジョリティへの怒りに替わっているなぁと。

 

私はヒラサワがマジョリティを静かに出し抜いてしまう姿がたまらなくカッコよく大好きでした。「来なかった近未来」でアミーガ使いとして密かに世間をアッと言わせてしまうことをやり、Macなど見向きもしないという清々しいマジョリティ無視の姿こそこの人の魅力だと感じていました。

 

普通のロックが体制や社会に愚直に頭から突っ込んでいくのに対し、ヒラサワは別のルートをたどって体制の先回りをしてしまうというのが私の彼に対する感想でした。

 

今回のインタラで改めてヒラサワはそういうマイノリティの誇りなるものをマジョリティへの攻撃の材料に転じつつあるのが残念だと感じました。

 

......ヒラサワ、「救済の技法」のアルバムストーリーとかメチャ面白かったのに。

 

まあそういう説教くささを差し引いてもこの人はマイノリティの誇りではあると思うので私は引き続き彼を追っかけ続けますが、どうも最近はわかりやすくなりすぎているかなぁと。

「私がわかりやすさに降りてこなければいけないほど世界はヒドイのだ」と言われていしまえばそれも一理あるような。

「私はわかりにくくて不親切な男だ」っていうスタンスにはもう戻らないのかな?そっちの方が断然良いと思うしヒラサワだと思うよ......。