少年敗走記

脳みそをさらけ出すダンスホール。

「zcon」3回目。配信感想

配信の方が音がいい。現地ではオケの方が大きくてヒラサワさんの歌声が消されがちだった。

3回目が一番声の出がいいという感想はそのままに。

 

会人の語りは評議会の方が良かったなぁ。音圧あって。

 

1.cold song

初っ端から声の出が良い。1回目からすでにcold songでの歌は絶品だと思っていたけど3回続けてなのでおそらくヒラサワはcold songの音域得意?

たださすがに3回目のcold songの後ちょっと肩で息してたね。評議会でも思ったけど。

 

2.travelator

問題児のトラベレータ。2番から歌っちゃってるのは単純なミスとして歌の入るところそこじゃなくない?

冒頭に会人の語りが入っているためにそう聞こえるだけ?

あと、長:天候技師は作業中の「長」って今わかったわ。「おさ」だ。3回ともずっと「ちょう」って何?って思ってた。

ギターソロはグダグダの巻き返しかな?

 

3.Landing

謎ウサギ。結局このウサギとゾンビは何だかわからなかった。おそらくゾンビの方は旅客機のパイロットだと思うけど。

このサビでも感じるけど師匠はやっぱり高音の方が得意よね。低音で外しても高音は力余って上ずる感じがする。

 

よし分岐が来たぞ。

一緒に手叩いちゃうね。もし発声okだったらなんて言っただろう?

「ワー」「ヒラサワー」「会人さーん」かな。

ヒラサワだけ呼び捨て。あ、今回に限っては「おさー」もokね。

実際今までのインタラだったらみんんさなんて叫んでたの?「アール!」とか?

 

4.燃える花の隊列

ここの解説沢さんってnGiapじゃないよね?髪色違うし。これは何沢さん?

ghost venueの頃からしばしば思ってきたけどこんなに歌外す人だっけ?3回目だし疲労もあると思うけど。

そしてギターソロの音がいい。

 

5.転倒する男

この冒頭で膝まづいてるのってAstro-Ho!だと思ってたんだけど違う?でも髪形からしてヒラサワじゃないし。

「転倒してみるがいい。恐怖などないと~」って言うのはちょっと納得いかない。いや恐怖はあるんじゃない?ケガがないだけで。

転倒するのは怖いし転べば痛みもあるけど実際はケガなんかしてないぜ、っていうのが言いたいことなんじゃないかなぁ。

 

はいここで炎の選択肢。ここ緊張の一瞬だったね。何が何でもハッピーエンドに行くためにはここで絶対ミスできない。

この選択肢、「彼は耳が聞こえず」のフレーズが引っ掛かってたけど(耳が聞こえないという障害を持つことが良いこと?)これは「聞く耳持たず」の言い換えだったのかもね。

オマエを騙そうとするアヨカヨたちの言葉など聞かなくて良いのだ、っていう。

 

この解説沢さんの「どんな世界にあなたが住もうと世界はあなたが望むがままにふるまう」というのは唯識そのまんまよね。あるのはただ心のみ。一切は心に映し出された像である。だから心に波風たたせずにあるがままを映し出せるように仏道修行をしましょうっていうのが唯識仏教の根幹思想でこれかなりそのままな気がする。

 

6.消えるTOPIA

アルバムの時点からこのtopiaはユートピアのトピアだと思ってた。けどディストピアでもありうる。

ユートピアからトピアを消したらユー(あなた)。つまり冒頭の解説の「どんな環境でもあなたの心のままにその世界はふるまう」という唯識

「善良であればあるほど世界を騙す詐欺に加担している」っていうのは先日のネオナチ発言の元だったのね。

つーかこのnGiapのバックグラウンドを知らないと先日のネオナチ発言はちょっと度肝を抜かれると思う。私もびっくりしたが。

おそらくヒラサワはロシアもウクライナも肩入れするつもりはないんじゃないかな。どちらをも俯瞰したうえでその戦争状態を続けさせている存在を良しとしていないように思える。

それはウクライナの見方をするべきだという善良な人から見たら許せないことなんだと思う。

つまり戦争状態を続けさせないためにはウクライナがさっさと負けてもいい、と言っているように聞こえるから。

ただこの人の思想は本当に文字だけではわからない。その裏の裏の裏の~と考えていくと文字で整理しようとすればするほどどつぼにはまるし結局明確な立場をはっきりさせないといけなくなる。ただ言葉で明確にすると当然切り捨てられるものもあるわけで。

考えないことは罪だけどヒラサワ思想を言葉だけで理解しようとするのも容易に間違いへの道行きになる。

あ、ライブの話からそれてしまった。

 

7.幽霊列車

ピエロ来た。配信の方がピエロが何言ってるかわかる。評議会ではあんまり聞き取れなかった。

CVヒラサワって初日気づかなかった。すっごいアフレコしてるとこ見たい。そしてどんな顔でこの声加工してた?いやたぶん真顔なんだろうけど。

アーティストイメージをぶち壊すのが一番うまい。ファンの中の誰よりも。

......ここ、ルビィ+シトリンはヒラサワでピエロもヒラサワで崖を登ってるのもヒラサワというヒラサワ同士の壮大な独り言状態なのね。ストーリーを知ったうえで見るとシュール。

やっぱり「塹壕」に聞こえる。

幽霊列車は外さないなぁ。さては得意な音域だな。なぜ中低音は外して高音は外さないの?

「空ピーカン」って「ビーコン」とのゴロからだよね。

 

8.Leak

3回目はΣ-12は音で通訳されないんだよね。「このまま私に支えていてほしいか?」でΣさんに落ちた身としては残念。

冒頭の水音で3/4!?と思ってしまった私はアホでした。

 

よし選択肢だ。

これ「天候技師がhappra次元数の設定に成功しなかった」という場合もあったの?あったとしたらノーミスの天候技師優秀。

これ選択肢ずっと表示し続けてほしかったよね。R読んでるうちにLなんだっけってなる。

おそらく「歴史は繰り返す」だとタイムラインがループしてしまってnGiapがヒラサワに依頼する未来が来ないからじゃない。

 

9.論理的同人の認知的別世界

シトリンの「あたしはもう全部盗まれている」って何だったんだろう。ルビィ+シトリン=ヒラサワってのは分かったけど二人に分かれているのには理由があるはず。

どこかで見たルビィ+シトリンは右脳と左脳ってのが正しかったのかも。

感性は理論に浸食され、貶められ科学と合理性のみの称賛される世界とかね。

セリフのところがとんだ悪人ヅラなんだけど師匠は悪い顔するときは目を細めるのね。

で声も裏返って楽しそう。悪ーい男だなぁ。

 

10.Beacon→TLの終わり

ここ3回見ても慣れなかった。

破壊すべきzconiteは5つ。3つは天候技師と評議会が壊せても残る2つはこっちが操作できないのはやはりヒラサワというカリスマに救って「もらう」感がするね。

ここの解説ではっきり「怒り」って言ってるのが今までのヒラサワとは変わって来たなぁと思わせる。

清々しいマジョリティ無視から攻撃への転向。

 

TLシリーズは東と合わせて考えると日が昇る方へ、TLが生まれる前へ移動しそこでTLを終わらせるという生まれる前の幸福(前世)みたいに思える。

ギターソロがアドリブだけどほぼ2音くらいしか弾いてない。ロングトーンとビブラートとグリッサンドで見た目の移動と音は派手だけどそんなに速弾きなんかの難しいフレーズじゃない。

これ見ると「私はギターが上手じゃない」っていうのはホントなんだね。

最後のギター、歪みとクリーントーン混ざったね。ちょくちょく小豆抹茶の調子が狂う。

 

11.Ashura Clock

なんで扉が横に開くんだ。取っ手が付いてるのに。

ここで毎回天候技師はhappra次元数を設定できてるのすごいなぁ。2階とも失敗してない。ここで失敗してたら何か別のルートがあったのかな?

シトリンが「zconite」って発言したの引っかかるね。もう徐々にヒラサワとしての記憶が戻り始めてる?最初は「何よここ」って言ってたのに。

 

やっぱり配信の方がルビィとシトリンの音綺麗。

 

Ashura Clock、今回のストーリーのための曲かと思わせるほど保護者を焼き払う構図とJSRCを爆撃する構図が相似形だわ。

保護者は青い方しか消せてないけどいいの?赤い方は保護者ではなく洗脳された模範奴隷のアンバニだったとか?

青い保護者が消えた途端赤い方の独の流出が消えたのはどうもそれっぽいよね。

 

12.Beacon

声の出が良い。高音域は絶好調って感じ。

せっかくオマエタチでツイッターキャラと繋がった熱い展開の最後の「嘘っぱちだ」がオケにかき消されるのいかにもヒラサワらしくてほほえましいな。

なんで最後はこんなに声絶好調なの?このために温存してた?

 

「ねぇお姉ちゃん、私思い出してきた気がする。」「私もそうなのよ」

「怖いよお姉ちゃん」「やめて私に助けてって言わせないで。助けて!」

......って一人でずっとやってたってことでしょ?こわ。

それをずっと見てたピエロもヒラサワで......。

被害者がいねぇな。じゃあいいか。

 

あのー「彼がやって来たようです」ってのんきに言ってる場合じゃないんじゃない。

「ウアー」って声したよ。

それは「やって来る」んじゃなくて「落ちてくる、あるいは降ってくる」っていうんだよ。

 

13.記憶のbeacon

うっかりzconの爆破と解説沢でライブ終わったと思って拍手しちゃったわよ。

さっきのbeaconで声絶好調だったのにまた外し始めたな。

 

最後のMC、ハケるときに段差に躓いたのはカットかぁ。皆思ったよ。最後の最後でって。本番中はあんなに後ろ気を付けてたのに。

 

さて、配信を見直して記憶違いもなく確認といった感じでしたがやっぱり回収しきれてない伏線いっぱいあるなぁと。

ゾンビとピエロに関してもう少しヒントが欲しかったというか。特にゾンビは幽霊列車の一瞬しか出てこないし。

サイコラビットは一体何なのかとか。

 

最後にBSPで言いそうなこと選手権。

・「今回のインタラクティブライブbe...zconでは」

・「泣く泣くzconiteを外しました。」

 

言わなそうなこと。

・nGiap様は最初眼鏡かけてたのにラストルビィ+シトリンから戻る際に眼鏡どうした。TLの狭間に落としたか?

それともアンバニが人間性を回復すると視力は戻るの?

「zcon」ライブを終えて。マイノリティを誇り高く行くあなたが大好きでした。

kyo-heix.hateblo.jp

この記事とリンクしています。

 

さて、2日間すべての公演に参加し3回も同じストーリーを味わってきた身で今回のインタラの感想と少し思うところを。

言っておきますがただ称賛するだけの記事は書きません。上にリンクを貼った「Beacon」(アルバム)に関して書いた時と同じで。

 

まず「ホログラムを登る男」の頃からのメジャーに対する悪意というか攻撃性が年々増しているなぁと。私はワールドセルのインタラには参加しておらず、アルバムからの感想ですが「ホログラム」のストーリーと「Beacon」のストーリーが似通っているというかホログラムに多数派世界への悪意と憎悪を混ぜたのがBeaconかなぁと。

 

それでもまだ「ホログラム」の頃はマジョリティの抑圧に打ち勝って自らの道を孤独に堂々と進もう!といったようなマジョリティをほったらかしにする何物にも囚われない自由さがあったと思いますが、今回の「Beacon」はアルバムからしてマジョリティへの攻撃性が高いと感じます。

 

インタラではさらにでしたね。zconにヒラサワがダイナマイトを投げ込んでハッピーエンド、というオチでしたがそのzconが絶対悪だとヒラサワは主張しています。

......インタラzconだとヒラサワが絶対善でzconという人を終焉状態に導くものが絶対悪なので破壊してハッミー!となるのですがあまりにも勧善懲悪すぎるんじゃないかと。

 

ヒラサワの言う数多のタイムラインが存在するのならヒラサワが正しいと思ったタイムラインが正しくない世界線だってあるわけで、数多のタイムラインの存在を主張しつつ「私の(今回はzconのなくなった)タイムラインが一番正しい」というのはちょっと横暴というか上のリンクの記事で書いた家父長制っぽいなぁと。だんだん教祖化してきているとアルバムの感想でも書きましたが今回のインタラでそのことを強く感じました。

特に

「私だけがあなたに本当のことを言おう。それは全部ウソだ。」

このフレーズ、GN会員なら今回のインタラより前に知っていたと思いますし私はこのフレーズを最初に読んだとき「いやいや何様だよ」と半笑いになったのですがインタラで、本人の声で聴くとやっぱり教祖化しているように聞こえました。

 

さらに、今回のインタラは特設サイトのストーリーを読んだ時からあからさますぎると感じました。アヨカヨ、アンバニなどのヒラサワ的造語はあるもののSFのテイをとった現実の直喩というかあまりにもヒネリがないんじゃないかなと感じました。

 

私はヒラサワのSFのテイをとった独特のストーリー、ひねりにひねった一度読んだだけでは文章自体に騙されそうになるお話とマイノリティへの賛美(カウボーイとインディアンとか)の堂々とマイノリティとしての道を行き、マジョリティはほったらかしでさようなら、みたいな価値観がたまらなく大好きだったのです。

 

「来なかった近未来」にあったような姿勢、マイノリティであるが故の経験を面白おかしくお話にして語るあのマイノリティの道を誇り高く行く彼の姿勢が大好きでした。

 

ホログラム以降の、特に今回のインタラzconはマイノリティの誇りとマジョリティの出し抜きがマジョリティへの怒りに替わっているなぁと。

 

私はヒラサワがマジョリティを静かに出し抜いてしまう姿がたまらなくカッコよく大好きでした。「来なかった近未来」でアミーガ使いとして密かに世間をアッと言わせてしまうことをやり、Macなど見向きもしないという清々しいマジョリティ無視の姿こそこの人の魅力だと感じていました。

 

普通のロックが体制や社会に愚直に頭から突っ込んでいくのに対し、ヒラサワは別のルートをたどって体制の先回りをしてしまうというのが私の彼に対する感想でした。

 

今回のインタラで改めてヒラサワはそういうマイノリティの誇りなるものをマジョリティへの攻撃の材料に転じつつあるのが残念だと感じました。

 

......ヒラサワ、「救済の技法」のアルバムストーリーとかメチャ面白かったのに。

 

まあそういう説教くささを差し引いてもこの人はマイノリティの誇りではあると思うので私は引き続き彼を追っかけ続けますが、どうも最近はわかりやすくなりすぎているかなぁと。

「私がわかりやすさに降りてこなければいけないほど世界はヒドイのだ」と言われていしまえばそれも一理あるような。

「私はわかりにくくて不親切な男だ」っていうスタンスにはもう戻らないのかな?そっちの方が断然良いと思うしヒラサワだと思うよ......。

「zcon」1日目。アヨカヨの思うつぼだったね。

平沢進インタラクティブライブ「zcon」1日目に参加しました。

2日目の公演の選択肢選びの参考になればと考えをシェアします。

 

ー注意ー

・ライブ内容のネタバレ含みます

・選択肢の内容には触れません(そもそも覚えてません)

 

まあ私がここで選択肢の内容に触れなくとも天候技師の誰かがメモしてネットに流しているかもしれませんのであまり関係ありませんが、私は触れないでおきます。

 

率直に言って今回のインタラ難しかったですね。最後のMCで師匠もおっしゃったように我々現場の評議会は最悪のルートをいきなりたどってしまったようで。

天候技師のみんんさどうも相すみません。

 

天候技師のルート発生させ率がいかほどなのか現場からはわかりませんでしたが4回ほどルート選択のコールが現れていましたので1日目の技師たちはなかなか優秀だったのではないでしょうか。

それにひきかえ評議会のこの体たらく......と言いたいところですがいきなり最悪ルートに入れたのは小手調べとしてはかなり良かったのではないかと私は、思います。

 

今回のインタラの難しさは主に選択肢の文章に原因ありと見ました。

というのも今回の選択肢って国語の問題なんですよ。

書物に書かれた文章を逆に書き換えるという作業なのですが、そこに

①ヒラサワ独特の言い回しと語彙に操られた文脈

②~でないものはない、などの二重否定

③そもそも文章が長い(師匠もMCで言っていたように)

 

①についてはツイッターで鍛えられた語彙力爆発みたいな選択肢とライブストーリーでしたね。文字も御本人も認めるほど多かったし。

 

この①+②+③をライブ中に初見で解釈し、ほとんど考える時間もないままに選べという鬼仕様。

実際私も3問目まではすっかりダマされ逆の選択肢を選んでしまいました。最後の選択肢でようやくヒラサワレトリックをなんとか解釈し、正しい選択肢を選んだものの評議会の総意で間違いの方へ。

 

しかしこれは仕方がないと思います。上にも述べたように今日の選択肢をミスしたことでおそらく多くの馬骨は「なぜ」を考えるでしょう。

ここからは私が考えた「なぜ」をみんんさにシェアします。

 

今回評議会の馬骨がダマされたのは上記の①、②、③の結果目に見えて悪に見えやすい単語に飛びついてしまったことだと思います。例えば

「衆愚の大衆」や「デマゴーグの弁論家」などの分かりやすい悪を指し示す単語が選択肢内にあった場合、そちらをもう一方より選んでしまったのです。

考える時間が少なかったとはいえ、これではアヨカヨの思うつぼです。

 

ヒラサワさんが繰り返し、これまで言ってきたことをよく思い出してみるとそこにヒントがありました。

フジロックでの「夢みる機械」でのポーズがナチス式敬礼に似ていると言われた際に「世界を一枚二枚剥がしてみよ」という言葉。

先日のツイッターでの発言で話題になった「ネオナチにせっせと募金する~」。

 

世界は勧善懲悪が好きです。それを一枚剥がすのは「実は善とされているものは悪なのだ」ということ。

そして二枚剥がすのは「善とされている悪を作り出し、維持しているのは一体誰なのか」「そうすることで誰が誰を益しているのか」ということ。さらには「善と悪という二項対立を望むのは一体誰か」。

もちろん世界を二枚剥がすというのはこの程度ではないでしょう。これはあくまでサワリです。

 

今回のインタラ、「zcon」では我々評議会にも世界を二枚剝がすことを求めていると強く感じました。その具体性のないそのものをなんとかストーリーに落とし込むためにあんなに文字だらけのインタラになったのだと感じました。

要は哲学のような、月を指す指を何とか文字と整合性のあるロゴスの文脈で伝えようとした結果の文章量だったと思います。

 

さて、それでは明日のインタラ2日目、私達はどうやって選択肢を選んでいったら良いでしょうか。

身もふたもないことを言ってしまえば今日とは逆の選択肢を選べばもう一つのルートは容易に見られるでしょう。今日の選択肢の結果を知っていれば造作もないことです。

が、それではおそらく3ルートあるうちの2ルートを見るだけで終わってしまいますし結局自分の頭で考えていないのでいくら成功ルートをたどってもアヨカヨに勝ったことにはなりません。

 

鍵となるのは「世界を二枚剥がす」というワード。

そしてその時に選ぶ選択肢は必ずしも悪をやっつけるようには見えなかったり、むしろアヨカヨを利するように見えたりするものであるべきということ。

 

世界を二枚剝がした結果は必ずしも綺麗な勧善懲悪にはなりません。しかし、一見アヨカヨ側に立ってしまうような選択肢でも恐れずに選ぶべきです。

その時心の中では「本当にこっちでいいのかな」という疑念が浮かぶでしょう。

大丈夫です、転倒するたびに思い出すのなら転んでみればいい。

思慮の羽で空を飛び、墜落する地面などない。

 

こう考えると、なぜアヴァター・アローンが出て来たのかわかる気がしませんか?

さて、私がここまで述べてきたことは仮説にすぎませんが明日の評議会に出席するみんんさ、どうぞ明日もよろしくお願いいたします。

 

最後に。かつてヒラサワさんが人間集団が集まると2割の先導派、2割の自立派、4割の日和見波になるとおっしゃっていましたね。

私は自立派ではありたいですが先導派にはなりたくないので上記の選択肢の選び方を実践する際には自己責任でお願いします。

 

ー追記ー

ここからは私が今日のインタラで謎に思ったことをメモしておきます。

明日わかるかもしれませんしこれを読んだ誰かが解き明かしてくれるかも。

 

・ピエロ=ヒラサワさん?

最後のキャストクレジットにPierrot Susumu Hirasawaとありました。

ピエロというのはあの半裸の(全裸かも)の男ですよね?私はあの声クレジット見るまでヒラサワさんではなく別の人が声をあてているのだと思っておりました。

......本当にヒラサワさんだったのでしょうか?明日もう一度聞き直してみます。

いつかのヨデムと同じく本人の声の加工だったのでしょうか?

 

・キャラに関して

今日の最悪ルートで活躍したお助けキャラが全員既存のキャラで、新登場のルビィとシトリンの姉妹が助けられるばかりだったのがなんとも引っ掛かります。

最悪ルートだったから活躍しなかっただけ?

これでどのルートでも姉妹が活躍しなかったら今までの貯金を使いすぎなんじゃないかなぁ。

 

・核Pとヒラサワ名義の使い分け

フジロックより前からですが、いよいよこの辺の垣根なくなってきましたね。曲調としてはしっかり分かれているのですがインタラやライブストーリーを組み立てる際にこの辺の名義の違いはあまり関係ないのでしょうか。

核pとヒラサワは別人という設定があったような気が。

「亜人」終結と雰囲気漫画批判。死ぬほど見たよこの設定とキャラ付け。

本日「亜人」を最終巻まで読み終わったので感想をば。

始めに言っておきますが辛口です。と言うよりこのブログをお読みの方はお判りでしょうが私は普段から何かを手放しでほめることはありません。「ここは良かった、けどここがなぁ」といった感じの感想ですので「亜人」が大好きで嫌な思いを1mmでもしたくない方はお逃げください。

かつ「葬儀屋リドル」と現代の漫画についてかなり批判的です。どちらもお好きな方は読まないことをお勧めします。読んだ後の苦情は受け付けません。


今回の文章構成としては前半が亜人の感想、後半が現代のプロが描いたはずの「雰囲気漫画」への批判です。重いよ?今回。


それでは感想を。

一言でいうと「え、これで終わり?」が正直なところです。どうも打ち切りになって慌てて終わらせた感が否めない。「亜人」は中盤まではなかなか設定も凝っていてここまで大風呂敷広げておいて回収できるのかと思っていましたがやっぱり回収できなかったようですね。

16.17巻を一気に読んだのですが、今までさんざん生物学者のオグラ・イクヤ博士まで引っ張り出し科学的な解釈をぶっておいてラストで量子力学「風味」の解釈にかじった心理学思想をぶつけるような半端な設定回収で終わってしまいました。


言葉は悪いですが「新書レベルでかじった知識を頑張って応用しようとして結局力量不足でした」みたいな。

結局のところ亜人の正体ってわからないままじゃないですか。量子の振る舞いはすでに宇宙誕生の時点で決まっている。しかし人間だけが感情というものを持ち、複雑な心を持った。その過程で生み出されたのが生への執着を持った亜人である、というのが作者の主張の様ですが全く腑に落ちませんね。

・どう執着を持ったらどのような作用が人体に働いて「亜人」となるのか?

・結局サトウはどうなったの?上手く気絶させたんでこれからもう一生安泰ですってこと?ここまでサトウ最強説を出しておいて?200年もつ施設の中に幽閉したので万事解決!がなんだかご都合主義。

・終盤でいきなりオグラ・イクヤ博士の息子の話が出てきたのは何で?

・最終シーン、永井と中野はこれからどうするの?とっくに面が割れてるんだから普通に生活なんてできないよね?世間はサトウが捕まったからといってそんなすぐに亜人への偏見は消えないと思うけど?

・で、結局カイは何だったの?ただのいい人キャラ?


......畢竟、頑張って「すべて丸く収まりました。ハイ大団円」に無理矢理持っていこうとして色々失敗しているような......。


個々のシーンを挙げて行けば得心がいかない回収の仕方はごまんとあるんですが特に私は「亜人の生まれ方の設定」と「サトウの最期」には拍子抜けというかガッカリでした。

亜人の設定に関してはたぶん作者も自分でよくわかってないんじゃないかな。最終巻の作者あとがきに途中から原作者が変わり、絵を描いていた自分がやることになりました、という説明がありましたがこれって最初の設定回収できませんでしたっていう言い訳ですよね。


これは私の勘ですがおそらく亜人の細かい設定を作ったのは初めに原作書いてた人なんじゃないでしょうか。その人がいなくなったがために絵を描いてた方の作者がその設定を頑張って引き継いだが細かい部分までは理解できなかった、というのが本当のところじゃないでしょうか。16,17巻のかじった量子力学っぽい説明と浅い心理学知識がそれを証明しているような気がします。悪戦苦闘しましたって感じ?

まぁ途中から人の原作を引き継ぐというのはなかなか難儀でしたでしょうからあんまり攻撃するのも可哀そうですね。この辺にしましょう。

ただ「亜人」は大風呂敷広げて中盤までワクワクさせてもらった割には終わりが拍子抜けだったのが残念だなぁ、と。


それと、ここからは「亜人」は関係ないのですが最近の漫画を読むにつけどんどんオリジナリティがなくなり同人誌との区別がつかなくなっているような気がします。はっきり言ってレベルが低い漫画が多い気がする。

どこかで見たような設定、あるあるのキャラ付け、ヘタに科学的な合理性に沿ってしまった「創作」より「科学的真実」にすり寄ったストーリー。

それをこともあろうにプロの漫画家が恥ずかしげもなくやってしまうのに驚くとともにガッカリしています。そんなに「非科学的」とか「この作者は科学の素養がない」と批判されるの怖い?創作なんだから非科学的でもいいんじゃないですかね。

後はストーリーの途中で作者の照れが入るようなセリフ回しとか。上っ面だけの猿真似ボケとツッコミ会話。百万回他で見たわ。

もう一つついでに言っとくと、心の声全部そのままストレートにキャラに言わせちゃう。ワザと自分でケガした子供キャラが「これで父さんが僕の寂しさに気づいてくれたら......」みたいな。興ざめですよそんなセリフ。気持ち悪い。子供がそんなこと思うわけないでしょ。心の声をストレートに文字で言わせてる時点でもう絵とストーリーで表現できませんでしたっていう敗北宣言。


確かにそういう手法を一番最初にやった人は偉いでしょう。「あえて」あるあるを持ってくる、「あえて」作者の見解をいきなりストーリー上に持って来る。それを後世の漫画家が「同じようなことをやればいいんだ」と何も考えず容易にパクっていくのは思考停止のように思います。人の真似がしたくて漫画描いてるんでしょうか?主義主張や己の世界観など何もなくてただ人気者になりたいの?プロの真似して安泰を得るとともに箔付けたいとか?自分もプロと名乗っているのに。


同人誌や二次創作のレベルが上がったというのは確かだと思います。そういうものを描く創作者はアマチュアなので別に人の真似でもいいと思います。自分が好きでやってるんだしね。完全自分の趣味の世界。「雰囲気漫画」結構結構。


ただ、この「なんとなーくウケそうでどっかで見たことあって自分が好きなだけの設定を寄せ集めて似たようなモンつくりました」みたいな「雰囲気漫画」を自分の世界観を売ってお金をもらうプロがやっちゃいけないと思うんですよ。

他の人がやってるから、みんながやってるからこれが正解、で創作しちゃダメでしょ。プロなら。

プロなら自分だけの世界観を生み出して頭一つアマチュアから抜けてないとプロと名乗る資格はないと私は思います。そもそもゼロから物を作るのになぜみんなと同じことをしてしまうの?それなら二次創作でいいじゃん。「みんなと同じ」から得られる安泰は己の個性を殺すよ?


漫画家ばかりやり玉に挙げているようで申し訳ないんですがこれミュージシャンでもイラストレーターでも何でも創作する人なら当たり前のことだと思います。

そうはいってもどっかで聞いたことあるようなJ-POP、死ぬほど見たことあるような二次元萌えキャラたーくさんあるんですけどね。音楽理論なら「王道進行」「イチロクニーゴー」なんて誰かがつくったお決まりのコード進行があって美メロつけやすいから、なんて理由で容易にそこに乗っかってしまったり。そこで失われているかもしれない己の感性や思考回路、無意識からのメッセージがあるかもしれないとは思わないんでしょうか?


懐古趣味で申し訳ないですがその点昭和の漫画はすごかったと思います。水木しげる石ノ森章太郎手塚治虫など絵柄を観れば一発でその漫画家とわかる絵柄。

ネットで散々ネタ扱いされてる「ベルばら」だって一発で池田先生の絵だってわかるでしょ。わかるからこそネタに使われるんです。量産型の絵じゃないからこそ。


それと最後にもう一つ。私はプロの創作者は創作物に関して言い訳してはいけないと思っています。ストーリーの中で出し切れなかった設定を「ホントはこういう設定だったんですよ、描き切れなかったんだけど」で出すのは後出しじゃんけんのような卑怯な行為だと思います。

己の主義主張があるから漫画描いてるんでしょ?後から「実はこういう設定で~」って文字で言い訳するくらいなら漫画描かなくていいじゃないですか。

一つタイトルを上げさせてもらうと「葬儀屋リドル」。この漫画現代の漫画の欠点がわかりやすく見える漫画だと思います。好きな方いたらすまん。

デジタルで描いた没個性的女性向けの絵柄、あるあるのキャラ設定(無口なショタキャラとかボクっ娘ロリータとか)、背景はいかにもトレスで高校生男子に執着する美形の白人キャラというご都合設定。

ぜーんぶ百万回ぐらいよそで見たわって設定ばかりでこれがプロの描いた漫画だとはとても信じられませんでした。これでお金取るんだ。


何より愕然としたのはキャラ設定を全部言っちゃうんですよ、この漫画。物語外で。

例えば飛廉という中国マフィアと関係のあるキャラ、「この人実は北欧人とのハーフですが物語の中でだす暇ありませんでした」って作者が恥ずかしげもなく言っちゃうんです。

物語の中で使わなかった設定を何でラストで言っちゃうの?それ自分で「ハーフキャラの設定回収できませんでした」って言い訳してるじゃん。

というか何で北欧人とのハーフキャラ?どこにもそれが関係する描写なかったと思いますが。まさか作者が白人ハーフ好きってだけなんじゃ?自分の性癖を持ち込んで自分が満足したいからこそのキャラ設定じゃないかなぁと疑わざるを得ない。作中で北欧ハーフなんて全然関係ないし。作者が自分の作品でオナってるのを見せられてもねぇ。


漫画の中で決めた設定を回収できなかった時点でそれは作者の力量不足だと思います。それをこともあろうに漫画家が文字で言い訳してるって漫画描く意味あるんですかね。読んでいる方には作中で使われなかった設定などないも同然です。それを後に文字で説明するなど言い訳以外何物でもないと思います。悪いけど。


この手法がOKなら創作者はみんな言い訳しますよ。画家なら「この絵はここをもっとこうしたかったんですよ」と言うだろうし音楽家なら「このフレーズはホントはこうしたかったんです」と言えてしまう。でも展覧会で絵の横に画家の言い訳が書いてある絵なんてないですよね。

漫画だって芸術でしょ?漫画だけ漫画以外で言い訳OKなんてちょっと卑怯な気がしますね。


まとめとして、私は創作物は創作物そのもので判断されるべきだと思います。一度世に出した創作物がどう解釈されようとそこに言い訳をはさむ余地はプロならないと思います。

現代の漫画にはプロが描いたはずのものにさえ、そういう作者の言い訳や照れが入ったものが堂々と「プロの創作物」として恥ずかしげもなく売り出されているのがどうも釈然としない、と私は思います。


ね、辛口だったでしょ。

黒執事坊ちゃんに見る理想の女性性

理想の少年

 

女性の理想の女性像とは少年である。

 

黒執事を何年も読んできて近日ふと考えた。

坊ちゃんは現代女性の現実を踏まえた上での女性の理想的な自画像であると。

今回は黒執事の少年像とジェンダーを絡めて論じていく。勿論私の勝手な考察なのでそこはご了承の上読み進めていただきたい。

 

少年は男である。当たり前だ。だがこの点が少年と成人男性との関係を述べるうえでとても重要なことなのだ。

 

古代ギリシア少年愛などは除き、現代の成人男性と少年との関係は男同士という対等性と大人と子供という非対等性の矛盾を含む。

 

つまり男同士であるがゆえにその関係には性の関係は介入しない(一般的には)。しかし大人と子供であるがゆえに成人男性の少年への対応は庇護が含まれる。

 

この性欲を含まない庇護の関係を持ちつつの男同士という対等は現代女性が成人男性に望むものである。ほとんどの場合叶わないが。

男女平等ではあるけれど明らかに男より身体能力的に劣る女への庇護を含む男女平等。かつそこに性欲を含まない対等。

この現代女性の理想を体現しているのが少年という存在である。

 

さて、黒執事の話にいこう。

黒執事のネタバレありだが私は単行本派なので最新巻までのネタバレありで話を進めていく。

なお坊ちゃん、眼帯の方の主人公、を坊ちゃん。蘇った死者の方の本物のシエルを兄シエルと呼んで話を進めていく。

 

坊ちゃんは現代女性の現実を踏まえた上での理想的な自画像であるとはどういうことか。

 

1. 坊ちゃんは少年だが仕事をしている

坊ちゃんはおもちゃ会社経営者である。少年という子供だが企業を経営し、そのトップに立ち人を使う立場である(貴族という身分もそうだが)。

経営者としての坊ちゃんと従業員との関係は細かく描かれていないので何とも言い難いが、いくら貴族で社長というトップの立場でも少年という子供である。従業員は当然大人だろう。従業員ははたして坊ちゃんをどの程度対等(あるいは目上)と考え、敬意を払っているだろうか。所詮は子供という面従腹背の態度をとる従業員だって当然いるだろう。

 

この状況は現代女性と同じだ。男性より身体的に劣り、なめられやすい。人の上に立ったり指導する立場になれることはなれるもののまだまだやりづらい雰囲気があるし所詮は女だと思われ、年上の男性の前では発言もしづらい。

能力の前に子供という外見、女という性別が天井になる。

 

ちなみにヤード(警察)との女王の番犬としての関係は極めて現代的な男女観に見える。坊ちゃんは子供だが女王の番犬としての裏社会の権力もあり、ヤードは坊ちゃん逮捕の際に「シエル・ファントムハイブ卿」もしくは「ファントムハイブさん」と呼び掛けている。子供相手にである。

これはキャリアを積んで男性と対等に見てもらえる女性の面の鏡写しだ。若い女の場合年上の男性にはタメ口ちゃんづけで呼ばれることもあるが坊ちゃんのような

「裏社会に権力を持つ(子供だてら)」=「キャリアを持つ(女だてら)」の構図だ。

 

子供だてらなんて言葉はない。私の創作だ。

 

2. 悪魔崇拝儀式での暴行

10歳の誕生日に双子が巻き込まれた悪魔崇拝儀式。ぼかされているが大人の読み手ならここで性的暴行があったことは読み取れる。性的暴行を受けるのが少年という男なのである。

ここに成人男性と同じ男ではあるが庇護が必要で身体的に劣る存在の少年、成人男性には身体的に敵わない少年の弱さが描かれる。これは成人女性の弱さである。

 

これは現代女性の叫びだ。いくら男女平等、成人男性と対等な存在でありたいと望んでも結局は身体的に男性には敵わずそこから生まれる弱さ、脆弱さ、か弱いというイメージへの苦しみ。

 

3.ファントムハイブ家次男という呪い

坊ちゃんは次男である。この次男というワードはずっと坊ちゃんを苦しめてきた単語である。幼いころから兄シエルのスペアという扱い。

「みんなに大切にされているのはシエルだけ。僕はおまけ。」

「僕だけ生きて帰っても誰も喜ばない。」

坊ちゃんはシエルのスペアであり、予備であり、領地も爵位ももらえない。だって次男だから。

だけど貴族というブランドはあるのでロンドンに出ておもちゃ屋になるという夢は型破りで旧来の貴族観を持つ兄シエルには理解されない。義務はあるのに権利はない。

 

これは現代女性の女という呪いだろう。

結婚しろ、子供を産め、少子化は女が子供を産まないせいだ、でも自分で働いて生きろ、介護もやれ、家事もやれ、子供の非行は愛情が足りないからetc........。

だって女だから。

旧来の女性観に沿うという義務は押し付けられるのに男性と全く対等の人生を生きる権利はない。

 

坊ちゃんが兄シエルに身を偽るのはこの構図に照らし合わせると男装だ。ファントムハイブ家次男という呪い、おもちゃ会社経営という夢を叶えるためには兄シエルに成り代わるしかなかった。つまり男装し、男として生きるしか完璧に男と対等にはなれないという一種の男女平等を追求する社会への答えのように見える。

 

しかし坊ちゃんの真相が明らかになり、兄シエルと対峙するために逃げずに戦うというシーンはその「男になるしか男と対等になれない」という構図を崩したように感じられる。

つまりジェンダー的な解釈をすれば「男になって男と対等になる」から「あくまで女のままで男と対等になるために戦う」に作品のテーマが変わったのだ。

このシーンが坊ちゃんが七面鳥を食いちぎり文字通りアイデンティティをぶち壊したシーンだ。いつもの紳士然とした坊ちゃんの態度が一変し「うるせぇ!」という粗野な言葉遣いになる。

 

ここで覚悟を決めたのだ。もう旧来の女性観なんぞ知るものか!自分のために生きるのだ!という押し付けられる女性観への反発。

それが「うるせぇ!」という言葉遣いから読み取れる。

 

 

最後に少年は未来がある。つまり今は「まだ」男だが子供という庇護を受ける存在だがいつの日か男になり成人男性と対等になる。というか成人男性になり他の男性と対等の関係になれる。

これは現代女性が持つ希望に繋がらないだろうか。現代は「まだ」成人男性と男同士のような対等は築けないが「いつの日か」男同士になれるのだという究極の男女平等への希望。

個人的には男女という肉体的な性別があり人類に性欲がある以上これは無理だとは思っているが。

 

黒執事ジェンダーの話をするには坊ちゃんよりもうってつけなのがメイリンだが今回はあくまで少年と絡めての話なのでメイリンの話はまた今度。

救済のBEACON、違和感と共に聞いた。

!注意!

まだお聞きでない方は読まないように!あちこちにネタバレのトラップあり。

 

本日届いた「BEACON」の本聞きの第一印象を書いていく。視聴の感想を書いた時点で第一でもないのだが。

一回目が歌詞を見ずにフルで聞いた印象、二回目が歌詞を見つつ。

新譜を聞きつつ書くという無謀な行為をしているので敬称略、固有名詞のマチガイ、行間のバラつきなどお見苦しい点はご容赦を。

 

そして最後がアルバムを俯瞰して私が感じたことだ。タイトルの「違和感」に関しては下の方にある。

 

1.Beacon

イントロが思ったより左右に揺れている。低音が強く音のカオスさがヒラサワワールド。ライブで聞いた時より多彩な音がある。低音のシンセベースが強い。「せい」じゃくのsの音が強くディエッサーをわざとかけていない。

「放てと枷」だと勘違いしていた。高音域に見え隠れするストリングスが潜む。珍しくピアノがいる。どんどん派手になるオケ。ラストのサビにはブラスが頑張る。

ライブの方が高音域の声がきれいだったな。なぜだ。

 

1.

「名もなき」+一音でつながってたのか。幽霊じゃない。beaconを!を!

 

 

2.論理的同人の認知的別世界

わーおわいのやつ。イントロがなんとも怪しげ。このわーおわいは絶対皮肉ではないか。「半値の丘」じゃなかった。クリーントーンと歪みを混ぜたギターがいる。歌メロは安定に行くと見せかけて不安定へいく天邪鬼。何度聞いてもこの歌メロは覚えられないよ。

奪取のところはシャガン大師だ。いやmonster a go goだ。

!? 語り出した!

びっくりしたわ。もはや独り舞台。深紅の緞帳は上がり、シルクハットにおかしなスーツのサーカス案内人道化が半笑いしているようだ。

あー大丈夫よタービンが回るわ......

うそつき!

 

2.

こんな曲一回聞いたぐらいで感想かけるかい。ちなみに英訳タイトルの同人、coterieはロングマン英和辞典によると「特に排他的な同人」だそう。やはりyoutubeでおっしゃっていたいくつかのタイムラインが同時に進行し、あるタイムラインはその中で起きていることしか見えないというのはこのcoterieとこの曲のことだと思う。

 

3. 消えるTOPIA

やさしい歌い出し。human-leのような南国系救いかと思ったら歌メロ変。無理歌えない。どういうテンポなのさ。

この出だしからなんでそんな怪しげ???え、違う曲を間違って繋げちゃったんじゃないの??

すげー変態曲。2/4拍子だと思うけど。BDが3拍子。

今回歌い方にクセあるねぇ。

あんなに優し気で教え諭すようなイントロだったのに葬式のような雰囲気になりまた優し気に戻ったかと思いきや「たった今」のテンポ何。

無国籍風民族調に天邪鬼ヒラサワサウンドが乗る。

どう考えても途中に違う曲入ってるでしょ。「リセットは」から違う曲でしょ。6分近くある曲で違う2曲を飛び移っているようだ。

始めてヒラサワ曲で長いと感じた。というかいつ終わるかつかめないからだ。

 

3.

イントロ歌詞でロタティオン思い出したのに。そんな感傷はどこへやら。

これ、コピーしたい。歌詞を見て初めて思った。曲調に妖しげが混じってるのでわかりづらかったが歌詞を見れば救済系だとわかる。子守歌じゃん。馬骨専用子守歌。試聴が3番からだったせいであやしい印象がついてたのか。怪しげ→救済へ向かっている。enola思い出す世界観。宇宙とロケット。星を二つ生きて?

 

<追記> アルバムをフルで何度も聞き、このアルバム中で一番好きになった曲だ。デモの段階では「幽霊列車」が一番の気に入りになると踏んでいたが予想は裏切られた。おそらく「幽霊列車」が思ったよりキャッチーな曲調ではなかったからだ。デモで聞こえたクリーントーンのギターフレーズがヨーロッパの冬を思わせたがそんな美しい荘厳は直ぐに裏切られるのだ。

 

4.転倒する男

ブラス系の王国のような音にヒラサワギターがやってきた。

また!「消されぬ」からどうしたの。何が起きたの。寝起きにやってきたフレーズに聞け!

同じ歌詞で違うメロ!ヒラサワ曲では初めてだね。synth1っぽいシンセが水のように流れる。

今回不意を衝く音が多くびっくりさせられっぱなしだ。意表を突く介入が多い。ぜったいにやにやしながら作ったな。

 

4.

仏教というか東洋哲学系(特に中国思想)の五行っぽいサビの歌詞。易経のようだ。これ英語訳がFallsの現在形なのでこの転ぶ状況は未来で変わると予測させるな。過去分詞だと絶望的。「ないもの」に騙される男を励ます師匠。水面の宮に騙されるなよ、なあ兄弟。

 

5. 燃える花の隊列

最初のハープで癒しだと思った私があほでした。今回全部テンポがいかれてるな。緩急在りすぎで転ぶわ。ちょっと疲れて来たよ、慣れない回路を使って聞いてるから。

おお美しいクリーントーン

後ろでドコドコ言ってるのはなんだ?大太鼓?いやシンセドラムかな。

真面目にギター弾いてる!えらいぞ。「タララララン」のンが舌足らずに聞こえてかわい....

やっぱりこの曲も長い。先の展開が読めないからなぁ。こういう曲は聞き込むとお気に入りになることが多いな。まだ歌詞見てないから余計に長いと思う。元プログレの人だしな。だんだん日本語にも聞こえなくなってきたよ。ハープ最初と最後だけじゃないか。

5.

英訳のranksはrankingを思い起こさせるチョイスだ。ただの列じゃなくて優劣ついた列なのかな。というか英訳は師匠はどこまで関わってるんだ?

「水面に輝る月」って鏡花水月だよね。世間からなきものと扱われることに誇りをもちかまわず行け、かな。

「あるべくあるそれ」ってなんだ?子供のようなずいぶんと素直な歌詞だこと。この曲ところどころに幼さがある気がする。生まれる前の自由さをってところかな。

 

6. LANDING

これじゃないか?湯本さんが感動した曲。サーカスっぽいリフのシンセに美しいレガートチェロ。あ、インストじゃないのね。え、これ泣く?怪しすぎるでしょ。湯本さん、これのどこに泣いたの???恐怖で???

どう考えてもアヤシイ移動サーカス。フリークショー。サーカスは隠れ蓑で裏で子供の人身売買とかやってるシンジゲートでしょ。

ああ、ボーカルと言い何といいクラウスノミ風。あ、サビはヒラサワらしい優し気な救済。ここかな、湯本さんが感動したのだ。でも一瞬だよ。

サビで一気に救済に向かうのがヒラサワらしいな。でも葬式で棺を運ぶような情景しか私には見えない、このサビ。

 

6.

何も浮かんでこない。一体何を書けと?いやオケのサーカスっぽさと歌詞が合ってないようなちぐはぐな印象。でもタイトルと俯瞰の世界観からして航空機の操縦席にいる気分だ。一人だけの着陸。旅客機には私以外誰も乗っていない。

 

 

7. COLD SONG

きた。ノミ。この曲はyoutubeでも何度も聞いたので今更特筆すべきことは少ないが歌詞がヘヴィメタルのようなヴィジュアル系のような。う~ん、でもごめんな師匠。ノミのほうが好き。まあノミが本家なわけだし。よくこの音域出したものだ。ちょっと奴隷のところが無理やりっぽくて笑ってしまう。

人様の曲なのに歌詞でヒラサワールド全開。まあカバー曲といってもタダでカバーするなんざ誰も思っちゃいなかったよ。バイクの前例があるしな。

 

7.

これ全曲中一番皮肉。「騙されこき使われる哀れな連中」への皮肉。見晴るかすなんて単語どこで覚えたのだろう。一体何を読んだ?

 

8. 幽霊列車

試聴で一番好きだったこの曲。??イントロどうしたの。さっきからイントロ全部おかしいわ。きれいなギターで入らないのね。

え「残骸」だったの。どう聞いても「塹壕

 

惨憺たる履歴はだれのためを思い出すbメロ。キャッチ―なイントロをわざとぶち壊してるな?

 

オケの一瞬の厚みがいいよね。クラシックに見せかけてヒラサワールドへ。童話調。この列車宮沢賢治の南極へ行くあの列車を思い出す。黄色いレインコート着た客がいるやつ。

見事に予想を裏切ってくるのがもういっそ清々しいわ。素直にそのままサビに突入すると思って待ってたのに。「ランラン」だもん。

 

8.

これもコピーしたいな。この列車、ハルディンホテルの列車だよね?ハルディンで乗ってたキチガイ博士が今度は亡き者たちへ。

 

9. TIMELINEの終わり

これもyoutubeでフルを聞いた後。ドラムのひずみがいいよね。ライブよりも全体的に歪みが強い。「晴るかす」は古語。この曲がアルバム中で一番キャッチーで裏切りがないかな。あくまでヒラサワ尺度で。今回シンセパーカッションが散見される。この曲好きな人多いだろうな。私も好きだ。真っすぐでヒラサワの皮肉なしの救済系。human-leあたりに通ずる系統。「エンドレスの緯度を割いて」だと思ってた。緯度と比喩じゃだいぶ違う。どうして全然違う音に聞こえるんでしょ?ヒラサワのかつぜ....、いやわざと?

ロングトーンのストリングス系の素直な感動をそのままにって感じのサビ。こういうシンプルな音も好きですよ。どう聞いてもこの曲がラストでしょ。なのにまだあと2曲ある。

9.

やっぱりこの曲だけ毛色が違うな。皮肉なしの完全救済。やっぱりキミを抱っこしてたか。焚き上げじゃなかった。焚くのは正気だけ。

この曲聞きほれてしまってうっかりこれを書き忘れていた。

 

10. ZCONITE

箸休めのインスト。と思ったら箸休まらず。ユーラシア21℃のような後ろのチャント。イスラム系の総会に聞こえる。モスクでとった話し声?

わーお儀式的。短いね!

niteはドイツ語?なぜnightじゃない?夜とは関係ない?

 

11. 記憶のBEACON

!?しゃべりだした。ひーにーくー。

また変なイントロ。イントロがサビじゃん。ああ確かにエンディングっぽい。ボーカルがかなり前に出てきてまるで耳元で歌っているようだ。やったー。

何後ろの音。何の音だか見当もつかんわ。シンセでつくったんだとは思うが。

あ、皮肉っぽい始まりだったがこれ救済系の曲だわ。苦難の助手よ、私に続き給えだ。

 

エンディング曲は華やかなフィナーレって感じ。パーカッションのトンシャリ、ドンシャリじゃない、がノリの良さを出す。前途を行けが草原に吹き渡る声のよう。ブックレットのせいもあるだろうが青い空と地平線まで続く緑の草原が見える。春っぽい。

全曲の中で一番救済系だね。

 

11.

イントロの「もう大丈夫ですよ」は私は皮肉と受け取っているが歌詞の救済ぶりとあわないよな。でも師匠の言う安寧は思考停止にも聞こえるんだわ。これ多重コーラスでコピーしたら綺麗だろうな。

アカシックレコードの要素が来た。滅私ってたぶん良い意味。無意識の奥底で他人とつながるような滅私。我と彼の境目が消え去るような。道教で言う道枢の境地。華厳で言う一即多多即一だ。滅私から韻踏んで摂氏にしたでしょ。

 

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アルバム全体の印象としては「異色」だ。

今回聞きやすく(といってもヒラサワ基準だが)覚えやすい曲はライブで公開した「Beacon」と「Timelineの終わり」くらいであり後は(ノミカバーを除き)すべて変な曲である。

近年「ホログラムを登る男」より後はどんどん核Pとヒラサワソロの垣根が低くなっていく印象を受けたが今回の「Beacon」はもうどちらの世界観も混ざり合い一つの境地のヒラサワを見せている。

twitterでQ阿野ん(ワザと当て字)に言及したり24曼荼羅のBSPの最後の熱意に満ちたメッセージを発信したりと、以前からイスラエルユダヤの陰謀に言及したり科学を外れた知性を重んじている節はあったが最近はそれが偏重になってきているような気がする。

(もちろん西洋科学から外れた知性はマイナー故に攻撃されがちでまさにヒラサワの世界観への呼び水ではあるけれどそのいわゆるオカルトだって玉石混交だ。)

 

私はこの「Beacon」への全体的な印象と最近のヒラサワの言動を見るにつけてだんだん教祖化してきていないか?と感じるのだ。

 

マイナーな叡智への賛同とそれを陰らせる権威のような陽への批判は彼が姿勢としてずっと持ち続けてきたものだけれど「Beacon」はそこへの皮肉と怒りと卑下が感じ取れる。このアルバムは怖い。残念ながらヒラサワをよく知らない人が言う「宗教みたい」という言葉は少なからず当たっているように思えてくる。

 

「自分で考えろ」というスタンスをヒラサワは言いつつも一方で「Beacon」からは人をこちらの方へ、ヒラサワが正しいと思った方へ導いてあげるといった家父長制のような庇護を私は感じた。ヒラサワが確信したただ一つの世界を提示し、ついてこいと命じているようだ。これを教祖と言わずしてほかに何と呼べばいいだろう。

 

もっと簡単に言うと以前までは「私はこういう世界観で生きていきます。他者がどうするかは自由だ。」という単なるヒラサワの提示に過ぎなかったものが「私が生きると決めたこの世界をお前たちも生きよ」という教えに変性してきたように私には思えるのだ。

 

アルバム全体へのもう一つの印象が「違和感」である。

 

ヒラサワが貫いてきた「苦難の助手よ、私に続きたまえ。(ただしそうするかどうかは自分で決めよ。続いた後どうするかもあなたの自由だ。)」だった姿勢が「苦難の助手よ、私に続きたまえ。」で終わってしまっているように私には思えた。

 

初期平沢ソロアルバム「Aurora」と今回の「Beacon」。どちらも陽の世界観だと定義してみてもその陽の質は真逆に感じられる。「Aurora」はストレートな明るさ。これまでマイナーとして蔑まれてきたものが力を得て目覚めるという希望のストーリー。

そして今回の「Beacon」は攻撃的な陽。力を得たマイナーが、君臨し腐敗した現実を作り出すメジャーを攻撃するというパワーに満ちた構図。こちらも希望と言えば希望だがマイナーを傷つけるメジャーを傷つけ、蹴落とす希望である。勧善懲悪的希望である。

 

私はヒラサワにはずっと対話の人というイメージを抱いてきた。どこかで「人それぞれだからこそ対話が必要」といったようなことをおっしゃっていたがこの人はどんな相手でもはなから対話をあきらめてしまうことはないと信じていた。

だけど「Beacon」はどうだろう。腐敗したメジャーのタイムラインとの対話は諦めてしまってもはや見放すのみ、という態度が私には見て取れた。もしくは家父長制的態度で「私の価値観が生きる世界へ導いてあげる」というような態度。

ヒラサワ、諦めてしまったのか?

 

これは私の意見だが、世の中には一定数話の通じない相手はいる。そういう存在との対話は無理だ。

 

しかしこれは私の意見でありヒラサワは私のような一部人間を諦めてしまった人ではないと思っていた。twitterでの人類への賛美のように何があっても人を見限らないのだと信じていた。(といっても心の端では「ヒラサワも人間なのだから切り捨てた人もいるでしょ」とは毒づいていたけれど)

 

しかしまあごちゃごちゃ外野が文句を言うだけならラクだ。では私はヒラサワにどうしてほしかったのか?

私は「相容れない連中は放置して私は私の世界観で生きていきますので。さよなら」のような今までのアルバムから私が感じ、憧れていた独立した世界観を貫いてほしかったのだ。ソーラーライブをやっていた時代のように。来なかった近未来でコンピュータに自称詳しい権威先生を放置したように。

そういう権威や権力に対しほくそ笑みながら全く予想もつかないようなことをやって世間をあっと言わせてしまう、ヒラサワのそういう真正面から権威に対峙するのではなく横道にそれて先回りしてしまうような、面従腹背でメジャーの世からは大したことないと思われていた人がとんでもないことを発明してしまうような、そういう面が私は大好きだったしだからこそこの人の曲だけではなく文章や発言も追いかけていたのに。

 

......でもそれだとヒラサワの姿勢のひとつであるマイナーを貫くを貫ききれないのかもなぁ。マイナーを貫くにはどうしたってそれを邪魔するメジャー的硬直概念という敵が必要だからなぁ。

 

しかし今回のヒラサワはメジャー的くだらない世界観への対応を放置から攻撃に寄せすぎたように感じるんだ......。

 

あまり長々書いても取り留めもないのでこの辺で筆を置くがもう私のヒラサワへの印象は「何ものにもとらわれず悠々と自分の世界を生きる孤高のアーティスト」ではなくなった。この人もまたこの世界で生きる人なのだ、と。

「わが愛しのホームズ」に見た影絵。

ホームズとワトスンの関係を意図的に読み違えた、あるいは勘ぐったパスティーシュや二次創作は枚挙に暇がないが、重圧で作者が原作を読み込んでおり原作ファンの好奇心を小ネタでくすぐる良作に巡り合うのは大変である。

と一シャーロキアンとして述べておこう。

今日ホームズものの二次創作などタダでネット上にいくらでも転がっているし、なんせ本国BBCという本家の本家が現代版ホームズを公式で出しているくらいだ。こちらもわざと二人の関係を同性愛的に解釈させようとするスイッチがいたるところに仕込まれている。

 

「わが愛しのホームズ」はそんな二次創作の中でも異彩を放つ作だ。原作小説の二次小説という形を取っているにも関わらず原作を下敷きに新しい世界を展開するのではなくドイルの築いた土台にそっと矛盾しないように新たな世界や物語を付け加えているという書かれ方なのだ。

 

作者のピアシーがいかにドイルを尊敬し、敬愛し、その完成された世界観を崩さぬよう細心の注意を払いつつ、また原作と矛盾しない設定をドイルが書かなかった物語の裏に付け加えていく。それは二次創作と呼ぶよりもドイルが表に出さなかった影を影絵として「私はこう読み解いた」という解説である。

これは二次「創作」ではなく二次「考察」である。

もちろんドイルが書いていない以上正解ではないのだけれど。

 

この本を恋愛小説だと思って手に取った人はきっとがっかりするだろう。「わが愛しのホームズ」は恋愛というかわいらしい甘やかな世界なんぞ展開されない。

あるのは重圧な人間性の交差であり二本だけのもつれた糸かせだ。時代は同性同士の特別な絆に対して冬の時代であり、そのもつれた糸かせはオスカーワイルドやアランチューリングといった実在の人々をも凍えさせ、巻き込んでいるのだと読み手は徐々に気づかされていく。

そしてヴィクトリア朝という史実とホームズという創作、上品でクラシカルな大英帝国というレトロな暖炉の火の陰には貧困にあえぐ労働階級やストリートチルドレン、インドやその他植民地の血の苦しみという二重の対比が映し出される。

 

さらに一歩踏み込んでいるのはホームズとワトソンという二本の糸にはミス・ダーシーとカークパトリック夫人、メアリとフォレスター夫人という糸たちもまたもつれこんでいるのである。

 

「わが愛しのホームズ」が他のホームズもの二次創作と比較してずっと異質で際立っているのは話が単なる二人の絆で終結せずにオリジナルキャラクターの掘り下げとホームズとワトスンに対する象徴性、そして時代背景の押しつけがましくない反映、説明ではなく匂わせるにとどまるその同性同士の特別な絆の書かれ方。

私は「わが愛しのホームズ」を読み終わった後、自分の嫌いとする恋愛小説を読んだとは感じなかった。この本は社会学的歴史書のような重みと原作への深い理解に裏打ちされた社会学系新書のようである。

 

もちろん原作の二人の仕草や性格が相手への愛情的に解釈されている点はまぎれもなく恋愛ものである。例えばホームズの人を人とも思わぬ態度でワトスンを批判するのは彼の気を引くためであるとかワトスンの結婚に対しホームズが普段の冷徹さを亡くして狼狽した風を見せるとか、そういう原作へのピアシーの解釈は恋愛小説と呼ぶにふさわしい。

 

だがそういう、私が苦手な恋愛描写すら目をつぶれるほどの原作への深い理解と敬愛が見て取れる、なるべく原作の世界観を壊すわけにはいかないという細やかな配慮が読み手に伝わってくるほどの緻密に構成されたストーリーは一シャーロキアンをして圧倒されたと言わざるを得ない。

 

綿密に織り込まれた原作ネタ、緻密なストーリー運び、忠実に再現されたワトスンの口調、矛盾のない新たな世界観の付加、オリジナルキャラクターを登場させながらも原作ファンを納得させる構成力。

二人が一歩近づくだけの動作を丁寧に描写していく細やかで繊細な文章の特徴は、後半の舞台として描かれる黄金に染まった秋のパリの情景に一部の隙もなくぴったりで息をのむほど美しい。挿絵もない文章だけでこれほど美しいのならもし映像化されたらどれほどの芸術的描写になるだろう。そこだけ時の止まった永遠の絵画のように空気すらも情景を醸し出す雰囲気に姿を変えるであろう。

書き手ピアシーの筆致には舌を巻くばかりである。この一作しかホームズパスティーシュを発表していないのが残念だ。

是非ともこの人にはその後のストーリーも書いてもらいたいものだ。

例えば引退後の二人のストーリーとか。あれだけの構成力でおだやかな二人の邂逅を描くピアシーなら引退後の静かな生活を送る二人の関係はどう描くだろう?

今作のおだやかな雰囲気はそのままにもっと老成した情景を流れるように展開させるに違いない。

何時までも待っているのでぜひとも書いてもらいたい。