救済のBEACON、違和感と共に聞いた。
!注意!
まだお聞きでない方は読まないように!あちこちにネタバレのトラップあり。
本日届いた「BEACON」の本聞きの第一印象を書いていく。視聴の感想を書いた時点で第一でもないのだが。
一回目が歌詞を見ずにフルで聞いた印象、二回目が歌詞を見つつ。
新譜を聞きつつ書くという無謀な行為をしているので敬称略、固有名詞のマチガイ、行間のバラつきなどお見苦しい点はご容赦を。
そして最後がアルバムを俯瞰して私が感じたことだ。タイトルの「違和感」に関しては下の方にある。
1.Beacon
イントロが思ったより左右に揺れている。低音が強く音のカオスさがヒラサワワールド。ライブで聞いた時より多彩な音がある。低音のシンセベースが強い。「せい」じゃくのsの音が強くディエッサーをわざとかけていない。
「放てと枷」だと勘違いしていた。高音域に見え隠れするストリングスが潜む。珍しくピアノがいる。どんどん派手になるオケ。ラストのサビにはブラスが頑張る。
ライブの方が高音域の声がきれいだったな。なぜだ。
1.
「名もなき」+一音でつながってたのか。幽霊じゃない。beaconを!を!
2.論理的同人の認知的別世界
わーおわいのやつ。イントロがなんとも怪しげ。このわーおわいは絶対皮肉ではないか。「半値の丘」じゃなかった。クリーントーンと歪みを混ぜたギターがいる。歌メロは安定に行くと見せかけて不安定へいく天邪鬼。何度聞いてもこの歌メロは覚えられないよ。
奪取のところはシャガン大師だ。いやmonster a go goだ。
!? 語り出した!
びっくりしたわ。もはや独り舞台。深紅の緞帳は上がり、シルクハットにおかしなスーツのサーカス案内人道化が半笑いしているようだ。
あー大丈夫よタービンが回るわ......
うそつき!
2.
こんな曲一回聞いたぐらいで感想かけるかい。ちなみに英訳タイトルの同人、coterieはロングマン英和辞典によると「特に排他的な同人」だそう。やはりyoutubeでおっしゃっていたいくつかのタイムラインが同時に進行し、あるタイムラインはその中で起きていることしか見えないというのはこのcoterieとこの曲のことだと思う。
3. 消えるTOPIA
やさしい歌い出し。human-leのような南国系救いかと思ったら歌メロ変。無理歌えない。どういうテンポなのさ。
この出だしからなんでそんな怪しげ???え、違う曲を間違って繋げちゃったんじゃないの??
すげー変態曲。2/4拍子だと思うけど。BDが3拍子。
今回歌い方にクセあるねぇ。
あんなに優し気で教え諭すようなイントロだったのに葬式のような雰囲気になりまた優し気に戻ったかと思いきや「たった今」のテンポ何。
無国籍風民族調に天邪鬼ヒラサワサウンドが乗る。
どう考えても途中に違う曲入ってるでしょ。「リセットは」から違う曲でしょ。6分近くある曲で違う2曲を飛び移っているようだ。
始めてヒラサワ曲で長いと感じた。というかいつ終わるかつかめないからだ。
3.
イントロ歌詞でロタティオン思い出したのに。そんな感傷はどこへやら。
これ、コピーしたい。歌詞を見て初めて思った。曲調に妖しげが混じってるのでわかりづらかったが歌詞を見れば救済系だとわかる。子守歌じゃん。馬骨専用子守歌。試聴が3番からだったせいであやしい印象がついてたのか。怪しげ→救済へ向かっている。enola思い出す世界観。宇宙とロケット。星を二つ生きて?
<追記> アルバムをフルで何度も聞き、このアルバム中で一番好きになった曲だ。デモの段階では「幽霊列車」が一番の気に入りになると踏んでいたが予想は裏切られた。おそらく「幽霊列車」が思ったよりキャッチーな曲調ではなかったからだ。デモで聞こえたクリーントーンのギターフレーズがヨーロッパの冬を思わせたがそんな美しい荘厳は直ぐに裏切られるのだ。
4.転倒する男
ブラス系の王国のような音にヒラサワギターがやってきた。
また!「消されぬ」からどうしたの。何が起きたの。寝起きにやってきたフレーズに聞け!
同じ歌詞で違うメロ!ヒラサワ曲では初めてだね。synth1っぽいシンセが水のように流れる。
今回不意を衝く音が多くびっくりさせられっぱなしだ。意表を突く介入が多い。ぜったいにやにやしながら作ったな。
4.
仏教というか東洋哲学系(特に中国思想)の五行っぽいサビの歌詞。易経のようだ。これ英語訳がFallsの現在形なのでこの転ぶ状況は未来で変わると予測させるな。過去分詞だと絶望的。「ないもの」に騙される男を励ます師匠。水面の宮に騙されるなよ、なあ兄弟。
5. 燃える花の隊列
最初のハープで癒しだと思った私があほでした。今回全部テンポがいかれてるな。緩急在りすぎで転ぶわ。ちょっと疲れて来たよ、慣れない回路を使って聞いてるから。
おお美しいクリーントーン。
後ろでドコドコ言ってるのはなんだ?大太鼓?いやシンセドラムかな。
真面目にギター弾いてる!えらいぞ。「タララララン」のンが舌足らずに聞こえてかわい....
やっぱりこの曲も長い。先の展開が読めないからなぁ。こういう曲は聞き込むとお気に入りになることが多いな。まだ歌詞見てないから余計に長いと思う。元プログレの人だしな。だんだん日本語にも聞こえなくなってきたよ。ハープ最初と最後だけじゃないか。
5.
英訳のranksはrankingを思い起こさせるチョイスだ。ただの列じゃなくて優劣ついた列なのかな。というか英訳は師匠はどこまで関わってるんだ?
「水面に輝る月」って鏡花水月だよね。世間からなきものと扱われることに誇りをもちかまわず行け、かな。
「あるべくあるそれ」ってなんだ?子供のようなずいぶんと素直な歌詞だこと。この曲ところどころに幼さがある気がする。生まれる前の自由さをってところかな。
6. LANDING
これじゃないか?湯本さんが感動した曲。サーカスっぽいリフのシンセに美しいレガートチェロ。あ、インストじゃないのね。え、これ泣く?怪しすぎるでしょ。湯本さん、これのどこに泣いたの???恐怖で???
どう考えてもアヤシイ移動サーカス。フリークショー。サーカスは隠れ蓑で裏で子供の人身売買とかやってるシンジゲートでしょ。
ああ、ボーカルと言い何といいクラウスノミ風。あ、サビはヒラサワらしい優し気な救済。ここかな、湯本さんが感動したのだ。でも一瞬だよ。
サビで一気に救済に向かうのがヒラサワらしいな。でも葬式で棺を運ぶような情景しか私には見えない、このサビ。
6.
何も浮かんでこない。一体何を書けと?いやオケのサーカスっぽさと歌詞が合ってないようなちぐはぐな印象。でもタイトルと俯瞰の世界観からして航空機の操縦席にいる気分だ。一人だけの着陸。旅客機には私以外誰も乗っていない。
7. COLD SONG
きた。ノミ。この曲はyoutubeでも何度も聞いたので今更特筆すべきことは少ないが歌詞がヘヴィメタルのようなヴィジュアル系のような。う~ん、でもごめんな師匠。ノミのほうが好き。まあノミが本家なわけだし。よくこの音域出したものだ。ちょっと奴隷のところが無理やりっぽくて笑ってしまう。
人様の曲なのに歌詞でヒラサワールド全開。まあカバー曲といってもタダでカバーするなんざ誰も思っちゃいなかったよ。バイクの前例があるしな。
7.
これ全曲中一番皮肉。「騙されこき使われる哀れな連中」への皮肉。見晴るかすなんて単語どこで覚えたのだろう。一体何を読んだ?
8. 幽霊列車
試聴で一番好きだったこの曲。??イントロどうしたの。さっきからイントロ全部おかしいわ。きれいなギターで入らないのね。
え「残骸」だったの。どう聞いても「塹壕」
惨憺たる履歴はだれのためを思い出すbメロ。キャッチ―なイントロをわざとぶち壊してるな?
オケの一瞬の厚みがいいよね。クラシックに見せかけてヒラサワールドへ。童話調。この列車宮沢賢治の南極へ行くあの列車を思い出す。黄色いレインコート着た客がいるやつ。
見事に予想を裏切ってくるのがもういっそ清々しいわ。素直にそのままサビに突入すると思って待ってたのに。「ランラン」だもん。
8.
これもコピーしたいな。この列車、ハルディンホテルの列車だよね?ハルディンで乗ってたキチガイ博士が今度は亡き者たちへ。
9. TIMELINEの終わり
これもyoutubeでフルを聞いた後。ドラムのひずみがいいよね。ライブよりも全体的に歪みが強い。「晴るかす」は古語。この曲がアルバム中で一番キャッチーで裏切りがないかな。あくまでヒラサワ尺度で。今回シンセパーカッションが散見される。この曲好きな人多いだろうな。私も好きだ。真っすぐでヒラサワの皮肉なしの救済系。human-leあたりに通ずる系統。「エンドレスの緯度を割いて」だと思ってた。緯度と比喩じゃだいぶ違う。どうして全然違う音に聞こえるんでしょ?ヒラサワのかつぜ....、いやわざと?
ロングトーンのストリングス系の素直な感動をそのままにって感じのサビ。こういうシンプルな音も好きですよ。どう聞いてもこの曲がラストでしょ。なのにまだあと2曲ある。
9.
やっぱりこの曲だけ毛色が違うな。皮肉なしの完全救済。やっぱりキミを抱っこしてたか。焚き上げじゃなかった。焚くのは正気だけ。
この曲聞きほれてしまってうっかりこれを書き忘れていた。
10. ZCONITE
箸休めのインスト。と思ったら箸休まらず。ユーラシア21℃のような後ろのチャント。イスラム系の総会に聞こえる。モスクでとった話し声?
わーお儀式的。短いね!
niteはドイツ語?なぜnightじゃない?夜とは関係ない?
11. 記憶のBEACON
!?しゃべりだした。ひーにーくー。
また変なイントロ。イントロがサビじゃん。ああ確かにエンディングっぽい。ボーカルがかなり前に出てきてまるで耳元で歌っているようだ。やったー。
何後ろの音。何の音だか見当もつかんわ。シンセでつくったんだとは思うが。
あ、皮肉っぽい始まりだったがこれ救済系の曲だわ。苦難の助手よ、私に続き給えだ。
エンディング曲は華やかなフィナーレって感じ。パーカッションのトンシャリ、ドンシャリじゃない、がノリの良さを出す。前途を行けが草原に吹き渡る声のよう。ブックレットのせいもあるだろうが青い空と地平線まで続く緑の草原が見える。春っぽい。
全曲の中で一番救済系だね。
11.
イントロの「もう大丈夫ですよ」は私は皮肉と受け取っているが歌詞の救済ぶりとあわないよな。でも師匠の言う安寧は思考停止にも聞こえるんだわ。これ多重コーラスでコピーしたら綺麗だろうな。
アカシックレコードの要素が来た。滅私ってたぶん良い意味。無意識の奥底で他人とつながるような滅私。我と彼の境目が消え去るような。道教で言う道枢の境地。華厳で言う一即多多即一だ。滅私から韻踏んで摂氏にしたでしょ。
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アルバム全体の印象としては「異色」だ。
今回聞きやすく(といってもヒラサワ基準だが)覚えやすい曲はライブで公開した「Beacon」と「Timelineの終わり」くらいであり後は(ノミカバーを除き)すべて変な曲である。
近年「ホログラムを登る男」より後はどんどん核Pとヒラサワソロの垣根が低くなっていく印象を受けたが今回の「Beacon」はもうどちらの世界観も混ざり合い一つの境地のヒラサワを見せている。
twitterでQ阿野ん(ワザと当て字)に言及したり24曼荼羅のBSPの最後の熱意に満ちたメッセージを発信したりと、以前からイスラエルやユダヤの陰謀に言及したり科学を外れた知性を重んじている節はあったが最近はそれが偏重になってきているような気がする。
(もちろん西洋科学から外れた知性はマイナー故に攻撃されがちでまさにヒラサワの世界観への呼び水ではあるけれどそのいわゆるオカルトだって玉石混交だ。)
私はこの「Beacon」への全体的な印象と最近のヒラサワの言動を見るにつけてだんだん教祖化してきていないか?と感じるのだ。
マイナーな叡智への賛同とそれを陰らせる権威のような陽への批判は彼が姿勢としてずっと持ち続けてきたものだけれど「Beacon」はそこへの皮肉と怒りと卑下が感じ取れる。このアルバムは怖い。残念ながらヒラサワをよく知らない人が言う「宗教みたい」という言葉は少なからず当たっているように思えてくる。
「自分で考えろ」というスタンスをヒラサワは言いつつも一方で「Beacon」からは人をこちらの方へ、ヒラサワが正しいと思った方へ導いてあげるといった家父長制のような庇護を私は感じた。ヒラサワが確信したただ一つの世界を提示し、ついてこいと命じているようだ。これを教祖と言わずしてほかに何と呼べばいいだろう。
もっと簡単に言うと以前までは「私はこういう世界観で生きていきます。他者がどうするかは自由だ。」という単なるヒラサワの提示に過ぎなかったものが「私が生きると決めたこの世界をお前たちも生きよ」という教えに変性してきたように私には思えるのだ。
アルバム全体へのもう一つの印象が「違和感」である。
ヒラサワが貫いてきた「苦難の助手よ、私に続きたまえ。(ただしそうするかどうかは自分で決めよ。続いた後どうするかもあなたの自由だ。)」だった姿勢が「苦難の助手よ、私に続きたまえ。」で終わってしまっているように私には思えた。
初期平沢ソロアルバム「Aurora」と今回の「Beacon」。どちらも陽の世界観だと定義してみてもその陽の質は真逆に感じられる。「Aurora」はストレートな明るさ。これまでマイナーとして蔑まれてきたものが力を得て目覚めるという希望のストーリー。
そして今回の「Beacon」は攻撃的な陽。力を得たマイナーが、君臨し腐敗した現実を作り出すメジャーを攻撃するというパワーに満ちた構図。こちらも希望と言えば希望だがマイナーを傷つけるメジャーを傷つけ、蹴落とす希望である。勧善懲悪的希望である。
私はヒラサワにはずっと対話の人というイメージを抱いてきた。どこかで「人それぞれだからこそ対話が必要」といったようなことをおっしゃっていたがこの人はどんな相手でもはなから対話をあきらめてしまうことはないと信じていた。
だけど「Beacon」はどうだろう。腐敗したメジャーのタイムラインとの対話は諦めてしまってもはや見放すのみ、という態度が私には見て取れた。もしくは家父長制的態度で「私の価値観が生きる世界へ導いてあげる」というような態度。
ヒラサワ、諦めてしまったのか?
これは私の意見だが、世の中には一定数話の通じない相手はいる。そういう存在との対話は無理だ。
しかしこれは私の意見でありヒラサワは私のような一部人間を諦めてしまった人ではないと思っていた。twitterでの人類への賛美のように何があっても人を見限らないのだと信じていた。(といっても心の端では「ヒラサワも人間なのだから切り捨てた人もいるでしょ」とは毒づいていたけれど)
しかしまあごちゃごちゃ外野が文句を言うだけならラクだ。では私はヒラサワにどうしてほしかったのか?
私は「相容れない連中は放置して私は私の世界観で生きていきますので。さよなら」のような今までのアルバムから私が感じ、憧れていた独立した世界観を貫いてほしかったのだ。ソーラーライブをやっていた時代のように。来なかった近未来でコンピュータに自称詳しい権威先生を放置したように。
そういう権威や権力に対しほくそ笑みながら全く予想もつかないようなことをやって世間をあっと言わせてしまう、ヒラサワのそういう真正面から権威に対峙するのではなく横道にそれて先回りしてしまうような、面従腹背でメジャーの世からは大したことないと思われていた人がとんでもないことを発明してしまうような、そういう面が私は大好きだったしだからこそこの人の曲だけではなく文章や発言も追いかけていたのに。
......でもそれだとヒラサワの姿勢のひとつであるマイナーを貫くを貫ききれないのかもなぁ。マイナーを貫くにはどうしたってそれを邪魔するメジャー的硬直概念という敵が必要だからなぁ。
しかし今回のヒラサワはメジャー的くだらない世界観への対応を放置から攻撃に寄せすぎたように感じるんだ......。
あまり長々書いても取り留めもないのでこの辺で筆を置くがもう私のヒラサワへの印象は「何ものにもとらわれず悠々と自分の世界を生きる孤高のアーティスト」ではなくなった。この人もまたこの世界で生きる人なのだ、と。