トラックラグーンにゴースト浮遊せしや?
元P-Modelメンバーの一人、横川タダヒコ氏のアルバムに収録されている「トラック・ラグーン」の考察をしていく。
まず、この曲は調べても成立した詳細な背景や当時のP-Model、横川さん、作詞とナレーションで参加しているヒラサワの状況がわからない。
そもそも歌詞さえネット上にも存在しないので歌詞すら私が耳コピしたものを頼りに考察する。
歌詞には著作権があるため全て書き写すことはできないので、重要なところのみを記載していく。
そもそもトラック・ラグーンというのはトラック諸島の意味であり、現在ではチューク諸島と呼ばれている。かつて大東亜戦争中に日本軍が占領した南の島の一つであり、1944年に米軍の大規模空襲によりほとんどの船が轟沈したトラック島空襲があった。
「トラック・ラグーン」は横川さんのアルバム「two of us」に収録されており、このアルバムの発表が1990年。
この年はトラック島空襲から46年後であり、歌詞に何度も出てくる40年という数字と符合する(四捨五入したら50年だけど)。
歌詞を書き出した後参照しながら何度か聞いたが、この曲は大東亜戦争へのドキュメンタリー風回想録ではないだろうか。
先日の記事でも書いたがヒラサワの意味する幽霊=ゴーストは
現代人が切り捨ててきた非西洋的、非科学的な叡智
の意味を持つ。
とすると何度も出てくる実質サビの「トラック・ラグーンにゴースト浮遊せしや」はトラック諸島には史実から消されてしまった何か大切なものがまだ眠っており、それは陽の目を見ることなく成仏できぬまま彷徨っている、と解釈できる。
ロストフィンガーの男は傷痍軍人かもしれない。ファーイーストは直訳すれば極東であり我らが日本。
そして対比される時間軸が2つある。コンチネンタル航空では5時間で行ける距離を徒歩や超特急では40年かかる。
この2つのあまりに顕著な対比は何だろう。通常の方法では40年もかかるところをコンチネンタル航空に乗れば何と5時間で行ける。
ちなみにコンチネンタル航空は実在したアメリカの航空会社。2012年にユナイテッド航空と統合され消滅。
なので「トラック・ラグーン」発表時にはまだ実在していた。
調べてみるとトラック諸島への足は日本からの直行便はなく、トラック諸島へ乗り入れているのはユナイテッド航空(コンチネンタル航空)しかない。
経路として日本→グアム→トラック諸島とグアムを経由する。
成田→グアム→チューク国際空港でかかる時間は17時間!
出発日時を変更して調べても大体17~18時間はかかる。ユナイテッド航空なら。
5時間ではたどり着けない。
.....こういう時は発想を変える。ストレートにその地までかかる時間ではないのか。
もしかしたらヒラサワは何かのドキュメンタリーを見てこの曲を作ったのかもしれない。(ドキュメンタリー嫌いとどこかで聞いたが)
その番組が5時間構成だったのかもしれない。
つまり、40年も前の歴史的な出来事を5時間で知ることができるといったような。
40年前の過去と5時間番組が放送される今日が出会う。(これが左耳を打つ40年のロングディレイと右耳を打つ5時間のショートディレイの対比)であり、「私のスケルトンを揺する二つの声」。
「両者の門出を祝う」今やっとトラック諸島の歴史が人々に知られ始めた。
「ヨーソロー」そのまま行け。
ちなみにディレイというのは空間系エフェクターでなにがしかの音にエコーを付けるものだ。このなにがしかの音はおそらく号泣の声。
歴史の上で響いた40年前の泣き声(それは日本兵のものかもしれないし残された遺族かもしれないし、はたまた現地の人のものかも)と今日5時間の中で再び聞こえた泣き声(生き残った傷痍軍人のものか)が右耳と左耳で同時に聞こえ私の中で出会う。
「ロストフィンガーのしぶき」は涙。
ちなみに3度も出てくる「母」。これは戦争という男性性への対抗かも。「然る母の秘めたる和合」から推測するに、戦争というのは男性性でありその名の通り争いで競争だ。その逆が女性性と共感。だから「母の秘めたる和合」
この秘めたるもまたヒラサワらしい。ヒラサワの歌詞にしょっちゅう出てくる夜や陰と似た意味で、この極めて男性性に偏った世界では先に述べた幽霊のようにくだらないと切り捨てられてしまうもの。
さて、ここまで考察してきたが未だ腑に落ちない点もある。
例えばなぜロストフィンガーの男がしょっちゅう出てくるにもかかわらず「指一本の生贄で保たれたファーイーストファミリーの美学」があるのか。
ファーイーストファミリーが皇族だとしたらロストフィンガーの男は指を全てなくしながらも大日本帝国と現人神を守り切ったということか。
いやそれではあまりにも思想が右に寄りすぎてヒラサワらしくない。
それともファーイーストファミリー(皇族)はたかだか指一本で支えられてしまうほど軽々しいものだ、ということか。今度はリベラルすぎるな。
ここはまだ不明だ。何か思いついたら追記するだろう。
最後にこれは歌詞の耳コピが単純に間違っているのかもしれないが「アフリカのウメルハバト」。
ウメルハバトというのは調べても何も出てこない。
ウメルハバト、ウメールハバト、ウメルハーバート.....。
ヒラサワと幽霊
ヒラサワ曲にはしばしば「幽霊」というキーワードが出てくる。曲名なら新曲の「幽霊列車」「幽霊船」「幽霊飛行機」。
サイエンスの幽霊はアルバムがもう幽霊だ。
ヒラサワの言う幽霊は=科学の否定したもの、スピリチュアル系と揶揄されるような西洋科学の思想からこぼれ落ちてしまった東洋思想(仏教とか瞑想とか)古代の部族が持っていた老賢者の知恵とか。
「幽霊船」の歌詞なんてまさにそれを皮肉っている。西洋科学の権威のもとに否定された人類の英知は今幽霊船の形になり人々の前に現れる。
そして科学の権威は古の知恵の前に跪き、古代の知恵は悠々と何に屈することもなく夜というかつて人類が人らしく生きていた時を行く。そんなユートピアの歌なのではないだろうか。
曲調と歌詞からして暗い夜の曲だがこの夜は希望に満ちた人類のための夜なのでこの暗さは希望をはらんだ静まりと安息の夜だ。癒しの暗さ。全きヒト科のための安寧の夜。なので一般的な意味での、絶望の意味での暗さではない。
これ以上言うと幽霊船の曲考察になってしまうな。
そういうかつて活気をもって生きていた西洋哲学でジャッジできない人類の英知、「非科学的」の刀で一刀両断されてしまった輝かしかったヒト科の叡智なのかもしれない。
そう考えるとサイエンスの幽霊より「フィッシュ・ソング」は自然が作り出した法則(のちにフィボナッチ数列への興味へ通ずる?)、誰が教えたわけでもなく魚の群れがまるで一匹の生き物のように動く地球システムへの畏敬の曲だ。
「カウボーイとインディアン」なんてもうそのまま。
ヒラサワの言う幽霊はマイナーとして誇りを持ち、迫害を避けて隠れて生きる賢者たちを指すのだと思う。
NZのボーイアルト、Richard Bonsall君を聞いてくれ。
Richard Bonsall。
ボーイアルト系少年歌手。
かなり昔にボーイソプラノ君の種類分け記事を書いたまま放りっぱなしになっておりました。
あのあと少年歌手について主にソリストを調べていくうちに系統で分類するより個人個人に焦点を当てて書いた方が深く追求できることに気づいたのでもう種類分けはしません。
その代わりに個人で書いていきます。
まずは恐ろしいほど美しいボーイアルト、Richard Bonsall君。
初めて聞いた時、どことなくドイツ系のような技巧を感じました。声質も子供っぽいソプラノでは全くなく、アルトの変声間近のような熟した響き。
iTunesにアルバム「Encore」があります。何歳の時の録音なのか調べても定かでないので気になるところですが13~14くらいかな。
余談ですが
Richard Bonsall (Boy Soprano) - Short Biography
この記事によるとなんと彼は学士、修士ともに日本語専攻です。日本人としては不思議な縁を感じるばかり。
修士はTokyo National University of Fine Arts (おそらく東京藝大?)にて日本語とEthnomusicology (音楽民族学)を専攻。今はNY在住みたいですね。音楽民族学というのは民謡や謡曲などでしょうか?
リチャードのアルバムは何枚かあるみたいですが今すぐに手に入れられるのはiTunesにあるEncoreぐらい。おすすめは「Eldelweiss」。日本人にもおなじみエーデルワイスです。すべてのオケはピアノのみで素朴な音ですがリチャードの深みのある甘いアルトの声を引き立てています。
エーデルワイスの高音は少年の硬質さというよりオペラ風の歌声(このせいで最初ドイツ系かと)と女声のような甘やかさ、まろやかさがあります。しかしそこに少年らしい硬質な暗い深みのベールが柔らかに降り注ぐことで絶対に女声とは違う魅力を醸し出しているのです。
Edelweiss以上に彼の高音を味わえるのが「skye boat song」。女声では叫び声になりそうな高音が少年特有の丸い声で中和され耳に突き刺さらない美しさをみせます。
技巧的なビブラートもやりすぎな感じを出さず何処まで行っても少年の声の美しさを引き出します。
美しい声質とやりすぎない歌のテクニックが素晴らしくリチャードの魅力を引き出し、まさに天上のアルト。
アルトっぽい声を楽しみたいなら「Rose of Tralee」を。素朴なイギリスの片田舎のような曲調に品のある少年の歌声がよく似あいます。
「Rose of Tralee」はアイルランドの民謡。「Eriskay Love lilt」はスコットランド。リチャードの出身はNZとあったのですがもしかしたらイギリスからの移民の子かな?
まあオセアニアは移民の国なのでイギリス系かもしれませんね。
とにかくこれほど上品で甘やかで包容力のある少年のアルトヴォイスはそうそう出会えるものではないと思います。iTunesでアルバムごと買って損はなし。
こういう品のある少年の歌声、僕はかなり好みです。最近の少年シンガーは可愛い声が多く、なかなか上品な子には出会えないのですが。
こういう歌い方って一昔前のクラシカルな歌い方なんでしょうね。上の世代で聞く人はノスタルジックだと思うのかな?
以上Richard Bonsall君の紹介でした。
「BEACON」試聴の覚書と歌メロの変性
本日平沢進氏の新アルバム「BEACON」の視聴動画がyoutubeにアップされた。
試聴と本聞きでは感想が異なると思うので今、新鮮な感想を記しておこう。
いつもの通り、初めてヒラサワ曲を聞くと先が全く予想できない五里霧中の感覚を覚える。何度試聴しても先の展開を覚えられず、5回ループしても「そう来たか!」という新鮮な驚きと奇妙さを覚える。
その奇妙さをひとまとまりの曲に仕上げているのが彼の声だと思う。
「普通の」J-POPは大体において先の展開がなんとなく予想できるので安定しているし、裏切りがないというか何度も聞くと飽きるという結果になるがヒラサワ曲は何度聞いても鮮やかな裏切りの展開と立てた予測の回り道みたいな歌詞、裏口から侵入した影に平手打ちをくらうような空前絶後のvividさがある。
故に何度聞いてもその都度驚く羽目になるという音楽ドラッグのような、新曲を聞くたびに新たなタイムラインに移住させられるかのような目眩と中毒性がある。
さあ僕の御託はこのくらいにして感想を1曲ずつ書いていこう。
1. BEACON
ライブで聞いた時よりテンポが遅い。コーラスは「名もなき」「幸いだ」?
かつもっと多彩な音があったのね。後ろのギュインギュインしてるギターがICE-9の冷たさを思い出す。
やっぱり「あれが我が身」だな。
サビの「ビーコン」のビが唇でハッパをかけるよう。キックが記憶にあるより軽やか。転がりながらもスキップして前に進んでいくような。エンディングに見せかけた快調な走り出し。
2.論理的同人の認知的別世界
わーおわい。
やる気のなさそうなシンセベース。相変わらず歌詞が平沢節全開。相手の出方をうかがうような始まり。
「脱兎のごとく」が「はっと目覚めよ」ホログラムを登る男を思い出すメロ。美の神と鬼畜のロマン?
3.消えるtopia
あっあー。topiaって何。ユートピア?
ヒラサワ曲の特徴として始まりの歌い出しが相手の出方をうかがうような不安定だよね。
イントロで一瞬音が上で切られて消える感じがblue limbo思い出す。やる気のないバカコーラス。ボーカルはオクターブ違いのおなじみで。
テンポがえらいこっちゃ。
4.転倒する男
イントロで軍勢のようなフリューゲルホルンかと思いきや。そのままオーケストラ風に行かないのがひねくれもんのヒラサワ流さ。
今回よくギターを弾いている。金属っぽい冷徹な音。
鉄塔からジュラ紀の花降る宵の星
丘までがオカマでに空耳しかねない。
5. 燃える花の隊列
あの日列で撃たれた本望の花を思い出すタイトル。ジャングルベッド1.5
アルバム中最も好みな曲。今のところ。
明るいね。どの曲も変だ。なんでそんなテンポ?この曲が一番テンションが安定していない。遅く入ったかと思えばいきなり畳み掛けるアップテンポ。躁うつ病のようだ。synth1っぽいかわいい金属のシンセ。今回テンポが全然一定じゃない曲ばかり。
6.landing
アヤシイサーカスのイントロ。ハロウィンのような暗さと暗愚と怠惰といった感じのオケ。恨み言っぽいねえ。曲調は違うがテンションと声で核Pっぽい。この裏声はcold songへの布石?
これで泣くことがあるのか?フルを待て。
7.cold song
カバー曲はノミでした。オケのコーラスが耳に着く。日本語歌詞が聞き取れない。いつものことか。「合言葉はバイク」風の歌詞求む。思ったより汚したオケじゃない。ノミのハイトーンに挑むのか。
8.幽霊列車
ああ、これも好きだ。すり切れたヨーロッパの冬をギター列車が通っていく。雪の中。ソ連の暗さを切り裂くよう。塹壕、塹壕? 懺悔?
後ろのフリューゲルホルンかな?が東欧を蹂躙するスターリンの軍隊の軍靴のよう。
おいおい「す」で切っちゃあ。
9.timelineの終わり
オケ割れてない?いや歪んだギターか。ライブで聞こえなかった多彩な音が出現。ピアノいたのね。珍しいねヒラサワ曲のピアノ。キックにディストーションかかってる。今回ギター系の音多い。
10.zconite
インストと呼んでいいのか。シンセを拷問したような悲鳴とボイスコラージュ。後ろの唱え声は何だ?モスクで人々が会話するような。祈る気もない市井の音。
11.記憶のBeacon
これ最後の曲?いまいち盛り上がらない平坦ボーカル。オケは無理やり明るさを注入されたような。エンディングに聞こえない。なぜこれをエンディングに?中間曲のほうがあってるような。いやフルで聞かないとわからないが。
うーんこの曲あまり好みでないな。わざわざこれをエンディングにしてるには何か理由があるはずなんだが試聴で聞ける範囲においてはあまりに影が薄い曲のような。
口直し?timelineの終わりで感動的なフィナーレにしておいたほうがきれいな終わり方だったと思うのに。
といってもヒラサワなのでたぶん何かあるのだろう。なんてったって24万打のラストをダクトテープで奪うおちゃらけた人だ。ストレートな感動的なフィナーレは嫌だったのか。
追記
今回のアルバムを試聴して思ったがヒラサワというミュージシャンは年々歌メロがヘンになっている。
いやもともと全く既存のポップスに当てはまるようなアーティストではなかったのだが昔の歌メロはもっと歌いやすく覚えやすくどこか民謡じみた素朴さがあった。
例えば「静かの海」。この曲はかなり歌いやすくて好きだ。
確かに先日のBSP24曼荼羅で本人が言っていたように国籍不明の民族風は昔からオケにおいて貫かれているけれども歌メロはどんどん特異な方向へ向かって行っている。
普通何十年も作品作りをしていればだいたいの方向性はきっちり固まってしまってそこから変節しないものだ。
むしろ初心者の頃の方が特異なものをつくりやすく、プロになればなるほど王道という名の普通に収斂してしまう。
それがこの人の場合昔よりどんどんキャッチーさが消え、もはや唯一無二の方向を何のためらいもなく一人爆走しているようである。
この人、すごくヘンだ。こんな人はほかにどんなジャンルのアーティストでも見たことがない。いるとすれば夭折して伝説になった創作者くらいだ。
何という生きながらにして伝説を築き続ける人なのか。このまま70代、80代に突入したら一体何が起きてしまうのか。怖いもの見たさで見てみたい。聞いてみたい。
自分の命がある限り僕はこの人をこっそりと追い続けるだろう。
ヒラサワ、これからもよろしく。
ガイとサクラは対の存在か(カカシにとってのマイト・ガイとは)
2年後よりお久しぶりです。今この記事を読み返してみると確かに考察の甘いところがいくつかありましたね。コメントでもご指摘の通り「カカシにとっての最高の幸せは過去である」というのは確かに僕の決めつけが入っているように思えました。
「最高」かどうかはカカシにしかわからない以上僕が決めつけるべきではなかったですね。
さて、今回はカカシにとってのマイト・ガイを考察してみます。
しかし、僕が原作を読んだのがずいぶん前(下手したら2年前)な上、ガイは本編でもそれほど深く掘り下げられていないキャラなので半分以上僕の妄想大爆発です。まったく一ミリも原作に書かれていないことを言い出しますので二次創作ぐらいの気持ちで読んでください。それをご承知の上で読み、コメントいただきたいと思います。読んだ後の苦情は受け付けません。荒らしも反応しませんので。
かつ、僕はNARUTOのアニメは観ていませんしBORUTOも読んでいません。NARUTOの原作だけが資料です。
さて、カカシにとってのガイを考察する前にまず木の葉におけるスリーマンセルの特徴を述べておきます。
第7班のようにスリーマンセルは文字通り3人1組のチームのように見えますが、実は2+1なのではないかと思います。
まずカカシ班が アスマ班が ミナト班が
ナルトーサスケ チョウジーシカマル オビトーカカシ
↑ ↑ ↑
サクラ いの リン
です。
時代をまたいでますがあしからず。紅班は原作でもそこまで細かく描かれていないのでとりあえずおいておきましょう。
このチームを見るとまず男2女1の編成、かつ女キャラがサポートという形をとっているのがわかります。
次に左の男キャラ(ナルト、チョウジ、オビト)がちょっとおバカで明るいキャラ、右の男キャラ(サスケ、シカマル、カカシ)がクールな知能系です。
NARUTOのストーリー内ではっきり対比されているスリーマンセルがカカシ班とミナト班です。つまりナルト=オビト、サスケ=カカシ、サクラ=リンです。
しかし、決定的に違うのがミナト班はカカシ以外全員亡くなっているということ。
ここから僕の妄想が大爆発しますが、カカシ一人になったミナト班にガイの存在を加えたら?
カカシ班にサイが加わったように。
以前の記事で僕はカカシの救われた姿がサイなのでは、と考察しましたがその救われたという陽の要素がガイ要素由来であるとしたら?
「何言ってるんだってばよ」と思うでしょ?
僕も思います。これ以上うまく言語化するのは至難の業なのですが、つまり
ナルトーサスケ オビトーカカシ
↑ ←サイ ↑ ←ガイ
サクラ リン
(カカシ班) (ミナト班)
という図式です。時系列としては新←古です。
で、ここからもっと妄想大爆発です。ではガイ→サイとつながった明るさの遺伝(便宜上こう呼びます)は誰からガイへとつながったか。
リンではないでしょうか。
はぁ?って思うでしょ。僕も思います。
先ほどカカシ班とミナト班は対比されていると書きましたがその対比の中でさらに対比が起きていると考えられないでしょうか。
ナルトーサスケ オビト ?ーカカシ
↑ ↑
サクラ リン ガイ
(カカシ班) (暫定的に新ミナト班とします)
オビトは子供時代で死んだ(はずの)オビトと考えてください。トビのほうではなく。
の図があるとしてサクラとガイが対比です。なぜなら性別が逆だから。
サクラとガイを比べてみてください。見事に真逆です。
サクラは女性で医療系サポート忍者。本来は後方支援向き。(怪力パンチあるけど)その手で人を治し、癒す人。インテリです。
ガイは男性で体術系で前線で戦う肉体派忍者。その手でものを壊す人。熱血です。
そして何より、救いたかった人を救えた人と救えなかった人。
サクラは最終的に救いたかったサスケを救い、結婚までします。ガイは救いたかったカカシを救えず暗部に入るカカシを見守ることしかできなかった人。
また、この二人は「託した人」でもあります。
サクラはナルトに一度はサスケを託しますが最後には救うためにともに戦います。
ガイはカカシを救えずおそらくナルトに託したのではないでしょうか。
つまりサクラは時系列として
救いたい人をナルトに託す→最後には自ら救いに行く
これに対してガイは
救いたい人を救いに行く→できずにナルトに託す
ここも真逆です。
要はサクラとガイは根っこ「あの人を救いたい」という思いは共通ですが、そこからの生きざまや能力が見事に逆なのです。
そしてなによりサスケ(カカシ)に対する態度も逆です。
サクラはサスケに対して里抜けの夜、「行かないで」と泣きつきすがることができました。
それに対し、ガイはカカシに対しすがることはできません。
なぜならサクラとサスケの関係が恋愛だとしたらガイとカカシはライバルの関係だから。ここも逆ですし、ここにちょっとナルトとサスケの関係も見ることができます。新ミナト班ではオビトにあたる人がいませんがガイとカカシが男同士であるのでナルトーサスケのライバルの関係もここに見出すことができると思います。
ナルトーサスケ オビト ガイ'ーカカシ
↑ ↑
サクラ リン ガイ
つまりカカシーガイの関係は単にサスケーナルトの関係だけでなくスリーマンセルすべての関係を二人でできてしまうのではないでしょうか。ただしナルト=ガイというわけにはいきません。なぜならガイはカカシを救えなかったから。ガイ'としておきます。
ただこう考えると一つ困ったのがナルトーサクラの関係です。ナルトとサクラは純粋な愛、友情、仲間という明るい感情ですがこれをカカシとガイに当てはめるとガイ'ーガイになってしまうので.....。
ガイ'ーガイを一人の人間の2面性と考えればガイ'はガイの熱血な面、ノーマルガイはガイのカカシを救いたかった面と考えればあるいはいけるかもしれません。ちょっと無理やりですが。
最後に少しひどいことをいうと新ミナト班はナルト達第7班になれなかった姿ではないでしょうか。
ナルトがサスケを救えたのに対し、ガイはカカシの支えにはなれましたが救えはしませんでした。これがガイがナルトになれなかったということだと思います。
第7班でもサスケを救ったのは最終的にナルトです。サクラではありません。もちろんサクラもサポートはしましたが。ガイは立ち位置としてはサクラの位置なのでカカシを救うことはできなかったのだと思います。
もし、新ミナト班にナルトにあたる人、つまり子供オビトの後継者がいたならば、きっとカカシは救われたかもしれませんね。そう考えると切ないです。
さて、長々この考察をお読みくださりありがとうございました。最初と途中で申し上げた通りこの考察はもはや考察というより僕の妄想の大爆発の跡地みたいなものですので最初のとおり二次創作ぐらいの心構えで読んだほうがいいと思います。読後の苦情は受け付けませんので。
蟲師ギンコの男っぽさ
蟲師の解説本「連綴」を読みながら蟲師のアニメを見返しています。蟲師のアニメは原作に忠実につくってありますが、それでも動きや色、声がつくことで原作にはない解釈ができたりするものですね。
その一つにこの連綴にある「ギンコは普通の兄ちゃん」というのはアニメではより顕著に出ていると思います。ギンコは男相手には容赦ないというか、乱暴なのに女相手だと優しい気づかいを見せたりするところとか。
例えば「枕小路」でジンを火事の家から連れ出すのはいいがそのあと地面に放り出して火を消しに行く。ジンが地面に頭をぶつけるシーンもちゃんと描かれてるんですよね。
「雨が来る虹が立つ」でも虹郎を夏の炎天下で空を見張らせたり(自分は日陰にいて「ちゃんと見張ってろよ」なんてちょとひどくない?)虹郎が虹蛇に触ってしまったときも肩をつかんで地面に引き倒して助けたり。助け方が乱暴なんですよね。その時のセリフ「ばかやろが。どうともねぇか。」もまさしく相手が男だからでしょうね。女相手だったら「おい、大丈夫か」くらいになりそうです。
女相手だと結構肩入れするし、助け方も優しい。「瞼の光」でも目をなくしたスイに自分の義眼をあげたり「虚繭取り」の綺にも自分の人生を歩ませるために虚穴に連れて行ってあげたり。しかも一緒に入ってあげる。
この、同性相手だと気取らない、飾らないが異性相手だと優しく接するところが自然な自然さというか、作者は女性なのに(アニメの監督は男性だけど)わざとらしくない男っぽさが出ていて面白いなぁと感じます。
「アナザー・カントリー」を今更観た
古き良き英国のパブリックスクールを舞台とした映画「アナザー・カントリー」を今更観てみました。アナザー・カントリーといえば同性愛のテーマがやたらと浮き彫りにされていますが、僕の印象としては「伝統に縛られた不自由な世界で若者はいかに生きるか」がテーマだったように思います。共産主義に賛同する(当時のイギリスではとんでもないこと)学生も出てきますし、学内での教練といった軍隊と言う不自由さの象徴も登場します。
さて、なんで今更この古い映画を観たのか。まず初めに言っておくと僕はBLはあまり好きではありません。(自分がLGBTのくせしてね。)
そもそも同性だろうが異性だろうが恋愛モノって観ていてつまらないと思うのでBLだろうがNLだろうがGLだろうが自らすすんで読むことはほとんどありません。
ですが、最初に述べた「縛られた不自由さの中でいかに生きるか」というテーマが僕は実は大好きなのです。それは身分かもしれないし、人種かもしれないし、失った大切な思い出かもしれないし、生まれながらに背負った障害かもしれない。その中の一つが同性愛だと思います。そういうわけで今更ながらアナザー・カントリーを観てみました。
あらすじなんかは調べれば出てくるのでここでは書きません。この映画の中で最も美しいと感じたのはハーコートとベネットが夜の礼拝堂?かどこかで身を寄せ合い、語り合うシーンです。会話自体は全く甘い恋の睦言でも何でもないんですが、このハーコート役の役者の演技のうまいことうまいこと。
一瞬彼の青い瞳が涙できらりと光るシーンがあります。その時の切なげな物憂い表情。帰りたくないのに帰らなければならない。そしてその後の永遠の別れをすでに知っているかのような、惹きこまれる表情です。
そういえば彼らキスもしてないんですよね。この身を寄せ合い、語り合うのが最大の愛情表現。縛られた世界で生きる抑圧による美しさ、伝統に縛られ不自由な中の耽美さが良く出ている表現だと思います。
かつ、映画の中で何度も流れる'I vow to thee my country'ですが、これはジュピターの惑星でも有名ですね。この曲に詩を付けたのがイギリスの外交官だとか。歌詞を見れば愛国歌だとすぐに分かります。
この映画はソ連のスパイになった主人公が過去を思い出すという語り口で始まる映画なのでまさにこの曲はぴったり。なぜ彼が国を売ったのか、祖国に牙をむいたのかが分かっていくとこのI vow to thee my countryは皮肉ですし、映画のタイトル「アナザー・カントリー」の意味も分かってきます。
この「アナザー・カントリー」は I vow to thee my countryの歌詞 'And there's another country, I've heard of long ago...'に出てくる言葉です。「誰にも知られることのない国がある、その道は静かで穏やかで平和へと繋がっている・・・」というような歌詞です。この意味をふまえて映画「アナザー・カントリー」を観ると監督が描きたかった内容が見えてくるようです。
この英国で認められなかった共産主義、同性愛はきっといつかどこかのまだ見ぬ国で受け入れられる時が来るだろう.....といったようなことでしょうか?
まあ現代を見ればそんな国はどこにもないわけですが。
あ、あと少年好きの僕としては時々可愛いショタが出てくるので満足でした。ウォトートン可愛い。彼と、あと物語の序盤でリネン室の階段の上で湯がぬるいと言いに来たあの少年が可愛かったです。始め女性の寮母か女中だと思いました。見た目は普通の(といっても美少年)男の子なんですが、声が女の子のように可愛いです。名前も出てこない役ですがあのシーンだけ何度も見てもいいほどかわいい子です。
I vow to thee my countryで最もおすすめなのがLiberaが歌うものです。Winter Songsというアルバムに入っているので是非。