少年敗走記

脳みそをさらけ出すダンスホール。

「ポピュラー対位法」読んだけど日本語が分からない

音楽理論の本、対位法について書いてある「ポピュラー対位法」を読んでいるんですが、この本日本語が下手すぎる。

分からない文章というのは三種類あって

1.専門用語で煙に巻くタイプ

2.文法が滅茶苦茶、省略された言葉が多いタイプ

3.指示語が多すぎるタイプ(それにあたる、みたいな文章)

 

ですがこの本は2に当たります。主語を言え!日本語は主語や目的語を省略してしまうという傾向のある言語だと思いますが、その典型例のような文章です。かつ間違ってる情報が多い。

例えばGsus4と言いつつ楽譜には「ソ、レ、ファ、ド」の4つの音が書かれていたり(これはG7sus4だよね?)

 

24ページにある「前のコードのコードトーン(3度か6度)が残り」というのは何の前のコードなの?

x→Gsus4→G7ってこと?

じゃあそのxにあたるコードを書いてくれないと前のコードのコードトーンが残ってるかどうか読者には分からないと思うよ。

 

そもそも17ページの楽譜の下に書いてある数字は度数を表しているというけれどト音とへ音でオクターブあるのに8度以内に直されると見づらいんだけどなぁ。

楽譜の視覚情報と度数の情報が一致しないから読者は混乱しやすいよ。

 

僕はまあ、せっかく買ったし良いところもある本だと思うのでこのまま読み進めようと思いますが音楽理論をまだあまりやっていない人には勧めません。そこそこ他の音楽理論が分かってないと訳が分からない本だと思います。

かつ、日本語が母語でない人にも勧めません。よくある、省略された言葉が多すぎて「読む」というよりは「こういうことを言いたいんじゃないかと推理する」本、著者の中で当たり前だと思っていることが前提とされて解説、表記されておらず不親切な本だと思います。悪いけど。

平沢進の音楽と出会った経緯

僕はこの世に13万人いるといわれている馬の骨の一部でありGN団の一員でもあるわけですが、この人を知ったのは9年前。

どっかで話したかもしれませんがここでもう一度丁寧、なぜこの人に出会ったかを話します。

そのためにはまず声優さんの話をしなければなりません。事の発端は代永翼さんという声優です。そのころ両声類の歌い手にハマっておりその情報網のどこかで「代永翼さんという声優が歌うときめきの導火線というカバーが本当に女性のように聞こえる」という話をきいたのです。youtubeで検索しても違法アップロードなどはされておらず音源を入手するために「新・百歌声爛ー男性声優編ー」を入手し聞きました。男性声優がアニソンのメドレーを歌うCDです。

 

で、このCDは代永さん以外の声優さんも歌っているわけで、せっかく買ったのだから最初から全部聞くでしょ?でも古いアニメの曲が多いので知らない歌ばっかりでつまんないんですが律儀に最初から全部聞いたのです。

そうしたら安元洋貴さんのトラックまできたときになにやら壮大でかっこいい音楽が聞こえてきたのです。それがベルセルクのForces。

もちろんオケは師匠ではなくカラオケのようなアレンジでしたが十分原曲のかっこよさは残っているわけです。興奮して歌詞カードを見ると「作詞作曲:平沢進」。

 

あとはネットで「平沢進 ベルセルク」で検索、「救済の技法」ゲット。

当時はまだAmazonのアカウント持ってなかったのでCD屋さんに行きアマゾンのページ見せて「これください」→「置いてません」→取り寄せ、です。

救済の技法にはForcesがボーナストラックとしてついており、Forcesありverとなしverがあるので「ボーナストラック入ってるほうね!」と念押しして取り寄せてもらったのを覚えています。

 

で、せっかく買った救済の技法は最初から聞くでしょ?そうするとますますこの平沢進と言う人が気になるわけです。

どうせならこの人を最初から知ろう、と次に買ったアルバムがP-MODELの「ランドセル」。

今考えると平沢ソロから初期P-MODELに飛ぶのは間違っているわけですが当時はそんなことは露知らず。

当時は「ランドセル」は全く好きではありませんでした。平沢ソロのあの雄大さ、懐かしさはどこへやら。

各種P-MODEL、平沢ソロ、核P-MODELを知った今なら別の元のとして楽しめますがね。

障害者はこの世に「必要」なんだよ!

そう、障害者はこの世に必要なのです。なぜ?多様性のために。多くの人々が多様性を受け入れられるようになるために。

ここでは「命は大事」とか「人の命は地球よりも重い」みたいな所謂キレイゴトを言うつもりはありません。こういう意見はなかなか頭の固い人間には受け入れられないからです。

 

近年しばしばいわれる多様性はなんだか「英語を理解して外国人と仲よくしよう」みたいなただ楽しいだけの思想のように語られていますが、僕は本当の多様性とはもっと複雑で受け入れるのが難しく、人間の本質に揺さぶりをかけるものだと思います。

 

本当の多様性とは今まで社会から排除されてきた人々、障害者や精神病患者、犯罪加害者やその家族、LGBTXと同じ街で暮らします、ってことです。

あなたのマンションの隣の部屋にそういう人たちが住むってことです。

例えばあなたの部屋の隣に統合失調症の人が引っ越して来たら?皆怖いとおもうんじゃないですか?それは今まで統合失調症の人と接した経験がなく、ネットや本の知識でなんだか怖い精神病だ、くらいの認識しかないからでしょう。

 

僕には統合失調症の知り合いがいます。初めてその人と部屋で二人きりになった時、正直に言って恐怖を感じました。僕も統合失調症という病気は文字の知識でしか知らず、何をされるかわからないと感じたからです。

しかし、しばらくその人と会ううちにきちんとその人がどういう人なのかが分かり今は統合失調症という病気の名前で怯むことはありません。

もし僕が子どもの頃から当たり前に身の回りに精神病の人がいたら初めから偏見なしで接することができたのではないかと思います。

なぜなら僕は幼いころダウン症の友達がいたのですが他の健常児の友達と同じように接していました。というか僕はその子がダウン症だということも知らず、(そもそもダウン症自体を知らなかった)ちょっと変わってるけど優しい子だなーくらいに思っていたからです。

差別や偏見をもたないというのはそもそも「この人はダウン症」「この人は黒人」みたいなジャンル分けをしないということだと思います。

 

これは大学の時の経験ですがある時学外の人に「君に黒人の友達はいるか?」と聞かれてとっさに答えられなかったことがあります。

もちろん黒人の友達は何人かいたのですが、おもしろいもので仲が良くなればなるほど相手の人種や国籍なんかは見えなくなってしまうものなのです。

「あいつはアメリカ人で、黒人で」みたいな情報より「あいつはサッカーが好きでカレーは日本のよりスリランカのが好きなジェームズ」みたいな身近な情報にすりかわっていくのです。だから突然黒人の友達はいるか、と聞かれても思い出せなかったのです。しばらくたってから「あ!そういえばジェームズは黒人じゃん」みたいに思い出すのです。

初めてこの感覚を経験した時はものすごく面白く感じましたし、何より差別をなくす方法ってこれなのではないかと思いました。つまり、相手を良く知ってしまうこと。

 

障害者の話に戻りますが、僕は障害者だけでなく上にあげたこの世の中から排除してきた人たちと共に同じ街で暮らすために、「普通」の人たちを多様性に慣らすためにこういう人たちは必要なのです。

 

今の世の中はどんどん右翼化しマイノリティや多様性排除の方向に進んでいますがこういう傾向は普通の人たちの首をも絞めています。

だっていつだれがマイノリティになるか分かりゃしないんですから。障害者やLGBTXが街に普通に存在する世の中になればいざ自分が障害者になったり自分の子がLGBTXだったりしたときに隠さなくてよいし、相談しやすいし、何よりそれほど落ち込まなくてすむのではないでしょうか。少なくとも現実を知らないことで悪い方へ考えすぎることもなくなると思うのです。

以前、一橋の大学院でしたっけ、ゲイだとアウティング(勝手に言いふらされた)されて自殺した男子学生がいましたね。

もし僕が上で述べたように多様性が受け入れられた社会であったなら彼は死なずに済んだのではないでしょうか。彼は社会から放たれた弾丸に殺されたといっても過言ではないと思います。

 

つまり、この世に障害者やあらゆるマイノリティは必要なんだ、自分たちを普通だと思っている人々を多様性に慣らすための先生としてってこと。

 

余談ですが平沢進という音楽家がたまに自分が生まれ育った昔の亀有の話をすることがあります。この人の語る亀有はまさに多様性が存在した場所でした。キチガイ日本兵(差別ではなくこう呼ばれていた)ぜんちゃんや変わり者のアキラさんなど今の世の中なら真っ先に排除されてしまう人達とと共に亀有の人々は生きていたようです。今は単なるキレーな街になってしまったようでなんとも残念です。

DTMプラグインと音楽使いヒラサワ

タイトル通り。「来なかった近未来」の話だけ聞きたい人は一番下まで素っ飛ばしてください。

まず問題としては

オンラインインストールの場合

  • 64bit: C:\\ProgramFiles\vstplugins
  • 32bit: C:\\ProgramFiles (x86)\vstplugins

のファイルにインストールされるとあるがされていない。Cにwavesという新たなファイルがつくられそこに入っているがvstプラグインは見当たらず。「waves」→「Plug-Ins V10」にGOLDに入っているとされるエフェクターの名前が表示されているが、例えばディエッサーで、

 

「DeEsser.bundle」→「Contents」→「Linux64」→このフォルダは空です。

となっている。全てのエフェクターがそうである。

 

かつ、オンラインインストール後、Waves CentralのEasy install &activate onthis computer に'There are no licenses on your License Cloud.'とある。つまりおめーのライセンスクラウドにねーからEasy Install はつかえねーよ、とのこと。

 

オフラインインストールも試したがインストーラーというファイルはインストールされるもののその中にインストーラーはないという・・・哲学か。

 

それと、Manage Licensesのselect sourceに僕のPCが認識されていない。ネットで検索してもたいていの人のWaves Centralにはその人のPCが認識されているのだが僕の場合ライセンスが勝手にUntitledに入ってしまう。My License cloudには移せるのだが(それをやるとthere are no..という上記のエラーは出なくなる)そこまでである。

 

インストールできないのでアクティベーションもできない。(というより僕のPCがuntitledと表示されており、wavesのサイトのmy productsを見るとそのuntitledにアクティベートされている)

最後の手段としてgoldのupgradeは行っていない。

 

Media Integrationに問い合わせているもののなにせ正月なんで返信はまだない。

 

こういうときは平沢進の「来なかった近未来」の電子書籍を読むのだ。その中ではヒラサワがワケノワカラナイamigaソフトと格闘し、アメリカのサポートと英語で四苦八苦しながらやり取りしている様が読めるのでwaves goldくらいは何ともないのだ。

ヒラサワの苦労に比べれば!

なにせ公衆電話でアメリカに国際電話をかけたり(アヤシイ英語で)、メールがないのでFaxでやりとりしたりあっちこっちが不良品だったり。

 

みんんさもプラグインのインストールにひっかかったら心を落ち着けて来なかった近未来を読むといい。多少はイライラしなくなる、はず。

アルバム「回=回」の感想と解釈

始めに。僕は回=回のライブには行っていないのでアルバムからの推測が全てです。

曲を聴きながら、歌詞カード見ながらその曲の間に書いたので日本語がちゃんとしてませんが。初聴きの印象としては良いと思います。


1.回=回
ほんとにヒラサワか!?ジャズっぽくない?ノンコードトーンの混じった
イントロ。平沢にしてはキャッチ―過ぎない???おしゃれすぎっていうか。
逆再生ボイスでヒラサワっぽさは出ているが
あと民族調っぽい。どこの国ってわけでもないが 部族
ちゃんとギター弾いてる。いつもどおり歪んでる。
どうでもいいけどこの曲名顔に見える。眼鏡くん。「カイカイ」と呼んでたけど「カイイコールカイ」なのね。

2.遮眼大師
2拍子?だよね。速い。あと最初タイトル読めなかった。いや、ギプノーザよりは読めたけど。
またノンコードトーンというかドミナント系の音で終止してる
最近ヒラサワこういう曲多いね。「ホログラムを登る男」からこんな感じ。現代社会の常識にとらわれて人々をあざけるというか。「お前ら騙されてるよ」って感じのトガッた曲。ユリアの寺院思い出すね。

叫ぶ叫ぶ「マントラー!!」
やっぱりあんたはロッカーだよ。

「周囲皆窮鼠 噛む」が「周囲皆急速 完」だと思ってて、ここで終わりって言ってくれるのかと。

3.OPUS
また2拍子
これ今監督が志半ばにして亡くなった映画の曲だよね?
はたまた逆再生の切り刻みボーカル。これない曲ってヒラサワにはないんだっけ?
テンポは遅いが迫力あり。ドラムのrideの抜けが良いと思う。さすが鎮西さん。広がるような音。砂がばらまかれた様な綺麗な音。このrideだけでもずっと聞いてたい。

4.TRAVELATOR
EDMっぽい
またちゃんとギター弾いてる。
「出ぬよう」がヒラサワの歌声っぽくない声。
ギターソロあり。あんまり速くないのでコピーしやすいね。
テンポの遅い4拍子。
SEに一昔前の電話みたいな音。いまわし電話かい

5.亜呼吸ユリア
歌い出しの音程難しそう。なんだこりゃどういうキーだ。どういうコード進行だ。
ボーカルの音程があっちこっち行くというかドミナント系が多くて絶対歌いづらい。ボーカルにあんまり使わない音ばっかり。
タイトルからしてユリアの寺院と関係あるだろうが今のところ僕には思いつかない。

6.無頭騎士の伝言
おおノリのいい曲。コードコスタリカ思い出した。歌詞はベーグルなんか食べてる場合じゃないけど。
また遅い4拍子。師匠の曲は3拍子ってないんだっけ?いや、そもそもテクノ実験工房で3拍子のテクノは珍しいって上野さんが言ってたような。
今回歌詞はリフレインが多い。
ファルセットの美しさがこのCDで一番かな。「無数」とか「キミ」のファルセット美しい。
「雨」「塵」でTimelineの東を思い出したよ。
「朝を蹴散らして」ナースカフェかな?家々の窓を破ってたねかつて。

7.ECHO-233
BSPで唯一の、つまりあなたのことですよ、と言い放ち多くの馬骨を落としたとされるこの曲名。
歌詞カードでやっとクロマキーで緑が抜けてないギターがみられた。おとなしい曲。無頭騎士でロックだったからね。
ああ民族調だね。「万象と」の「と」の音程が。この音程が懐かしさと切なさを感じさせる。歌詞から「万象の奇夜」が思い出される。「警鐘」とか「万象」とか「何度も来る」とか。
お、速いギターソロ。「何度も来る警報が」からボーカルが少し小さくなってそのままウィスパーへ。

8.幽霊飛行機
怪しいイントロ。幽霊と言えば現象の花の秘密。アルバム唯一の速い曲。4拍子。「極秘」がかすれてて良い。「超え」でファルセット。
またトガッタ系が来た。「大花輪」のリフレインの音程がまた歌いづらい系のドミナント。ギターソロも速い!なんとなく達人の山を思い出すギターソロだね。

9.PLANET-HOME
おお、低音。またゆっくりの4拍子。改訂Pっぽさを感じる。福間さんとか小西さんとやってたp-model。アルバムで言うと「舟」
この「HOME」の音程どっかで聞いたな。p-modelのどこかで。
あとで聞きなおす。たぶん「舟」のどこか。「普通の人が寝てる隙に」?

いや「始まりの日」の「おぉぉ~おお」かな。
ちょっと明るい曲だね。
ギターソロゆっくり。Fish Songっぽい。ってことはロバートフリップっぽいのかな。
壮大な曲。僕が救済の技法に感じる壮大さ、ベルセルクの時代の世界観を覚える。

10.Human-Le
イントロ、白虎野っぽいよね。そうでなかったとしても絶対ヒラサワサウンドで聞いたよこのイントロ。
ああ、懐かしさを覚える曲だ。民族調。なんとなく「イムジン河」思い出した。

タイの南国とおおらかな世界観が混じっているというか。Switched on Lotusの救済っぽいね。
めっちゃタイだよこの曲。ヒラサワの語るタイ。この明るさ、懐かしさ、ちょっと歌謡曲っぽさ。ヒラサワにしては明るすぎるような曲。どうしたヒラサワ。なにこの感動曲。さんざんトガッておいて最後にこの救済?
アルバムまでツンデレか。


このアルバム、「救済の技法」っぽくない?

「救済の技法」は人体の曲。という解釈が一部にあって、この「回=回」のアルバムジャケットも緑の人体。もちろん「救済」は平沢進名義でこの「回=回」は核P-MODEL名義だから違うはずなんだけどでも一部に「ホログラムを登る男」っぽいコンセプトもあるのでこの二つの名義はどんどん近づいているのかも。

ただ音としてはぜんぜん違う。核Pはテクノに入るだろうが平沢進はどこのジャンルにも入らない気がする。

米津玄師「vivi」は消えるイマジナリーフレンドを歌ったものか

 今回は米津玄師さんの「vivi」を分析していきます。最初に行っておきますが、以下の考察は総て僕が考えたもので本人がそうおっしゃったわけではありません。なんの根拠もないので「お前の妄想だろ?」と言われればその通りです。

この点のご了承をお願いします。あと、歌詞に「僕」という言葉が使われているので私は今回「私」という一人称を使います。

 

さて分析開始。

まず登場人物はふたり。ロボットの様な生き物と少女。

どっちが「僕」でどっちが「vivi」か。

ロボットの方が「僕」で少女が「vivi」です。「愛してるよvivi」の歌詞が僕目線、PVの「あなたへと渡す手紙のため」でロボットが机に向かっているので「あなた」=「少女」=「僕じゃない方」になります。つまりこの歌はこのロボット目線で話が進むんですね。始め逆かと思ってました。

 

普通の恋愛や友情でないことは「僕」が明らかに人間じゃないことからわかります。

私はこの「僕」を少女がつくりだしたイマジナリーフレンドではないかと推測しました。

この曲を一言でいえば「イマジナリーフレンドを失い’普通の大人’に成長していく少女の歌」だと考えました。それをイマジナリーフレンドの視点から歌う歌。

 

なぜ私がそう考察したか?

まず何度も繰り返されるサビに注目します。

「愛してるよビビ、明日になればバイバイしなくちゃいけない僕だ」

つまり僕は「あなた(少女)を愛しているけれど、明日(未来)にはあなたの傍にいてはいけない」と歌っています。

イマジナリーフレンドは多くの子供が持っていますが大人になるにつれてほとんどが消えてしまいます。

精神科でも一昔前までは病気かどうか審議されていたものでした。現在でも人格解離(多重人格)と区別がつきにくいもの、とされています。

つまり世間的にはイマジナリーフレンドを持たない大人が正常とされ、子どもの頃から持ち続けているのはおかしいとされるのです。

だから僕は少女の傍にはいられない。この少女の幸せを願うなら自分は消えなくてはならない。ただし、この「あなた」を置いていくのは「灰になりそうなまどろむ街」だ。

 

次にDメロの「溶けだした琥珀の~」を見ていきます。

まず耳慣れない「カリブー」という言葉ですがこれはトナカイの一種だそうです。トナカイと言えば?サンタクロースですよね。

そしてはっきり子供という言葉が出てくるのが「街から子供が消えていく」。その場面でPVでは「僕」が空から落ちていきます。

子供時代の空想は終わり、サンタやイマジナリーフレンドを失った子供たちは普通の大人になっていく。つまり、「街から子供が消える」のです。

 

では少しずつ歌詞の違うサビに注目します。

2番のサビでは「明日になれば今日の僕らは死んでしまう」「こんな話など忘れておくれ」「言いたいことはひとつもない」と僕は言います。

確かにイマジナリーフレンドとの思い出は写真に残せるものではないし、成長するにつれ自分がイマジナリーフレンドを持っていたことも忘れてしまいます。たとえ覚えていても誰かに話せるものでもなし。そういう意味で「明日になれば(未来では)今日の僕らは死んでしまう」「こんな話など忘れておくれ」ではないでしょうか。

 

「言いたいことはひとつもない」はこれから消えていく僕が何を言ったところで少女は悲しむだけでしょう。「さよなら」「元気でね」はもちろん「また会おう」でもないし。ここは本当は「言いたいことはひとつもない」ではなく「言える言葉はひとつもない」ではないでしょうか。実際最後のサビで「それでも何も言えない僕だ」と歌ってますし。

 

最後の「さよならだけが僕らの愛だ」がちょっとひっかかりました。

では今まで一緒に過ごしてきた時間は愛ではなかったのかと。

これはもちろん今まで一緒に過ごしてきた時間だって愛だけれど本当にあなたのことを想うなら僕は消えなくてはならない、それこそが本当の愛なのだ、ということではないでしょうか。

AメロBメロは僕とあなたが過ごした時間の感情の揺れ動きを歌っている、と見ました。

最後にviviという単語ですがパッと出てきたのがvivid,vivianなど。vivianは人名で男女どちらでもあり得る名前です。vividは「鮮明な、はつらつな」という意味です。これ、「灰になりそうな」と対比してますね。はつらつとした少女を灰になりそうなまどろむ街に置いていく。

「僕」は本当は消えたくないというかこんな「灰になりそうな街」=「一般社会、世間」に、このはつらつとした愛している少女を置いていきたくない、というのが真意ではないでしょうか。いつかこの少女もつまらない「普通の大人」になってしまうのが分かっているから。

 

ここで考察終わります。

はっきりいってこの曲すごく考察が難しい曲です。Dメロの「溶けだした琥珀」はたぶん「足のないブロンズ」とつながっているというのは分かりますが、なぜ「足が無い」のか。なぜ魚が僕を見るのか。空から海に落ち、海に還るということなのか。(海は生命の母ですから)

踊りを踊った閑古鳥?静かなのか騒がしいのか。

なによりイマジナリーフレンドが消える時手紙なんて書くでしょうか?人格解離の人の中には全人格で情報や予定を共有する為にメモやメールを書く人はいます。

解離した人格が統合され消える歌、でも考察できそうな。

PVがあるにもかかわらず平沢進なみに分析しづらい歌でしたが私は子供時代の終焉の歌と解釈しました。

私は米津玄師さんの曲はこういう悲しげで切ないものが好きです。こういう系はあんまりないんですが。「アイネクライネ」もいつか分析したいですね。今のところ私は「アイネクライネ」は親子の愛の歌だと思っています。成長した娘から若き父親への歌。あるいは逆です。成長した息子から若き日の母への歌。

なぜ恋愛だと解釈しなかったかはその時の考察で語ります。

長々とお読みいただきありがとうございました。

ホームズって結局童貞なの?ゲイなの?

BBCSHERLOCKを「シャーロック」、シャーロック・ホームズその人を「ホームズ」、と呼んで話を進めます。ネタバレあり。

 

子どもの頃からホームズ好きで全巻読破したのですが、映画のホームズの中でも気に入っているのがBBCSHERLOCK。最近また見返しています。

世界観が19世紀ではなくて現代なのも身近に感じられて面白いです。日本の感覚で言うと、19世紀舞台の映画って時代劇みたいなものでしょうか。幕末志士とか尊王攘夷とか。

21世紀版シャーロックと「忌まわしき花嫁」で19世紀に戻ったシャーロックで部屋の内装が一緒なのに気づきましたか?(皆気付くよ)

19世紀の建物が21世紀に残っていても不思議でない国っていいですね、イギリス。日本だったら一部の名家ぐらいしか日本様式の家ってないんじゃないでしょうか。

 

それに英語の勉強にいいんですよね。特にホームズの英語は推理になるとかなり速いのでいいリスニング対策になります。全部はなかなか聞き取れませんが。

 

このBBC,SHERLOCKで特に好きな話が「ベルグレービアの醜聞」。原作だとボヘミアの醜聞ですね。ホームズを唯一打ち負かす女性、「アイリーン・アドラー」が出てくるのですが、この人がホームズの人間らしいところを引き出していく。

 

で、まず第一。「ホームズとアイリーンは恋愛感情がある?」「ホームズって童貞なの?」問題。

原作にはもちろん書いていないし、ホームズのセリフとして「恋愛は精密機械の中の砂粒」という発言がありますね。シャーロックでも言ってましたが。

シャーロックではワトスンがホームズの人間らしいところを引き出してきましたが、恋愛には至っていないと思われます。

今回登場したアイリーンはしょっぱなからホームズをやりこめましたね。裸で登場し、ホームズをまごつかせたり、彼を文字通り「打ちのめした」り。

写真の入ったスマホを自らホームズの元に贈って余裕を見せつけたり。ホームズはパスワードが分からずに悪戦苦闘したり。

 

彼女がワトスンと徹底的に違う面は、ワトスンはホームズより「格下」ですがアイリーンは対等、一時的には格上になり、ホームズを翻弄した点です。

 

彼は少々うぬぼれ屋な所があり、他の人間に翻弄されたり出し抜かれたり振り回されたりしたことはなかったわけです。

ホームズはこれを面白い、興味深いと感じたのではないでしょうか。

しかし、これだけでは恋愛感情には届きません。振り回してるだけならモリアーティだって一緒なわけですから。

ではアイリーンとモリアーティの違いは何か。やっぱり性別じゃないでしょうか。

 

原作ではホームズは少々女性を見下しています。まあ、19世紀の人ですから。しかし、アイリーンに出し抜かれて以降、その見方をやめたという設定になっています。

シャーロックでさすがにあからさまに女性を見下すシーンはないですが、無意識下で少しは「こともあろうに女が僕を翻弄するとは、面白い」という感情があったのではないでしょうか。

アイリーンがホームズに惹かれていくうちに、ホームズの心が全く動かなかったというストーリーよりはホームズも少しはアイリーンになびいた、という設定の方が面白い気がします。

アイリーンに対する、「面白い、興味深い」という感情がしだいに深くなっていき、「愛」と呼べるレベルまで達したとしてもおかしくないと思います。

 

かつ、ホームズが手元にスマホを所持しながらパスワードを破れない間はアイリーンはホームズより格上でした。しかし、ホームズがパスワードを破った瞬間、一気に窮地に立たされたのです。マイクロフトに保護されなければならないほどの窮地に。

この、「格上で少なからず好意と敬意を抱いていた相手が窮地に陥った」状況は人に「助けたい」という情をもたらします。その情は「愛」の一つと呼んでもいいのではないでしょうか。

 

で、結局ホームズは童貞なのか?

僕は違うと思います。なぜなら女の扱いをわかっている行動をとっているから。

どの話かは失念しましたが、ホームズがドアのロックを破るために社長秘書の女性と恋仲になる話がありましたね。ドアの前で指輪を出してプロポーズするあのシーンです。

女性と恋仲になれる程度には女性のことをわかっているわけです。

そして、アイリーンが裸で登場した時、ワトスンが言葉を失ったのに対し、ホームズはそこまで驚きませんでした。(偽名は飛びましたが)

童貞だったら視線ぐらいは泳ぐんじゃないでしょうか。

また、アイリーンに自分のコートを着せるとき、彼は後ろを向きましたね。あれはコートを着るときに身体を隠せなくなるからですよね。

一瞬でそこまでの気づかいを出来るのなら彼は女性経験はあると思います。

 

第二問題。「ホームズはゲイか?」

まず初めに述べておきますが、ワトスンは違うと思います。ワトスンは原作でもかなりの女好きですし、シャーロックでもたくさんの女性と恋仲になっています。ホームズのせいでそのぶん振られてるわけですが。

ホームズもたぶん違うでしょうね。本人が違うと言っていますし、アイリーンにあれだけ興味を示した(恋愛感情というよりは興味ですが)わけですし。

ホームズは恋愛より自分の興味のある道を一途に突っ走るタイプなので、女に興味がないというよりは恋愛に興味がないのだと思います。

 

ちなみに原作ではふたりが腕を組んで歩いている挿絵があったりしますが、あれは19世紀では普通の習慣らしいです。

 

しかし二人がゲイでないとすると腑に落ちないのが、どうしてあれだけゲイネタを入れてくるのか?

初期のピンク色の研究でもハドスンさんやカフェのマスターが二人をカップルだと思ったり、ホームズがワトスンに「誘ってくれるのはうれしいけど」と言うシーンがあったり。

バスカヴィルのハウンドで田舎に泊まった時も店主がゲイだったり、彼にダブルベッドがなくて悪いね、と言わせたり。

ワトスンが爆弾を巻かれて助かった後の一言で「君に暗いプールで服を脱がされるところを~」というセリフがあったり。

 

思いつくだけでこれだけゲイネタがあるのにレズネタといえばワトスンの姉ハリエットは女性と結婚していたこととアイリーンが女性とも「仕事」をしていたという点だけ。

ゲイネタと比べて圧倒的に少ないですよね。ハリエットは姿も見せてないですし。

深読みしなくても脚本側が「この二人(ホームズとワトスン)をそういう目で見てください」とリードしているように見えます。

 

結論を言えばこの二人はブロマンスだと思いますがこれだけゲイネタが多いのはなぜなのでしょうか。

ワトスンは「あなたはホームズにとっていい彼氏ね」と彼女に言われるほどホームズに尽くしていますし。

つまり、恋愛<<<二人の絆

という構図に描かれていますがこれは果たしてブロマンスの範疇なのか...?