少年敗走記

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ホームズって結局童貞なの?ゲイなの?

BBCSHERLOCKを「シャーロック」、シャーロック・ホームズその人を「ホームズ」、と呼んで話を進めます。ネタバレあり。

 

子どもの頃からホームズ好きで全巻読破したのですが、映画のホームズの中でも気に入っているのがBBCSHERLOCK。最近また見返しています。

世界観が19世紀ではなくて現代なのも身近に感じられて面白いです。日本の感覚で言うと、19世紀舞台の映画って時代劇みたいなものでしょうか。幕末志士とか尊王攘夷とか。

21世紀版シャーロックと「忌まわしき花嫁」で19世紀に戻ったシャーロックで部屋の内装が一緒なのに気づきましたか?(皆気付くよ)

19世紀の建物が21世紀に残っていても不思議でない国っていいですね、イギリス。日本だったら一部の名家ぐらいしか日本様式の家ってないんじゃないでしょうか。

 

それに英語の勉強にいいんですよね。特にホームズの英語は推理になるとかなり速いのでいいリスニング対策になります。全部はなかなか聞き取れませんが。

 

このBBC,SHERLOCKで特に好きな話が「ベルグレービアの醜聞」。原作だとボヘミアの醜聞ですね。ホームズを唯一打ち負かす女性、「アイリーン・アドラー」が出てくるのですが、この人がホームズの人間らしいところを引き出していく。

 

で、まず第一。「ホームズとアイリーンは恋愛感情がある?」「ホームズって童貞なの?」問題。

原作にはもちろん書いていないし、ホームズのセリフとして「恋愛は精密機械の中の砂粒」という発言がありますね。シャーロックでも言ってましたが。

シャーロックではワトスンがホームズの人間らしいところを引き出してきましたが、恋愛には至っていないと思われます。

今回登場したアイリーンはしょっぱなからホームズをやりこめましたね。裸で登場し、ホームズをまごつかせたり、彼を文字通り「打ちのめした」り。

写真の入ったスマホを自らホームズの元に贈って余裕を見せつけたり。ホームズはパスワードが分からずに悪戦苦闘したり。

 

彼女がワトスンと徹底的に違う面は、ワトスンはホームズより「格下」ですがアイリーンは対等、一時的には格上になり、ホームズを翻弄した点です。

 

彼は少々うぬぼれ屋な所があり、他の人間に翻弄されたり出し抜かれたり振り回されたりしたことはなかったわけです。

ホームズはこれを面白い、興味深いと感じたのではないでしょうか。

しかし、これだけでは恋愛感情には届きません。振り回してるだけならモリアーティだって一緒なわけですから。

ではアイリーンとモリアーティの違いは何か。やっぱり性別じゃないでしょうか。

 

原作ではホームズは少々女性を見下しています。まあ、19世紀の人ですから。しかし、アイリーンに出し抜かれて以降、その見方をやめたという設定になっています。

シャーロックでさすがにあからさまに女性を見下すシーンはないですが、無意識下で少しは「こともあろうに女が僕を翻弄するとは、面白い」という感情があったのではないでしょうか。

アイリーンがホームズに惹かれていくうちに、ホームズの心が全く動かなかったというストーリーよりはホームズも少しはアイリーンになびいた、という設定の方が面白い気がします。

アイリーンに対する、「面白い、興味深い」という感情がしだいに深くなっていき、「愛」と呼べるレベルまで達したとしてもおかしくないと思います。

 

かつ、ホームズが手元にスマホを所持しながらパスワードを破れない間はアイリーンはホームズより格上でした。しかし、ホームズがパスワードを破った瞬間、一気に窮地に立たされたのです。マイクロフトに保護されなければならないほどの窮地に。

この、「格上で少なからず好意と敬意を抱いていた相手が窮地に陥った」状況は人に「助けたい」という情をもたらします。その情は「愛」の一つと呼んでもいいのではないでしょうか。

 

で、結局ホームズは童貞なのか?

僕は違うと思います。なぜなら女の扱いをわかっている行動をとっているから。

どの話かは失念しましたが、ホームズがドアのロックを破るために社長秘書の女性と恋仲になる話がありましたね。ドアの前で指輪を出してプロポーズするあのシーンです。

女性と恋仲になれる程度には女性のことをわかっているわけです。

そして、アイリーンが裸で登場した時、ワトスンが言葉を失ったのに対し、ホームズはそこまで驚きませんでした。(偽名は飛びましたが)

童貞だったら視線ぐらいは泳ぐんじゃないでしょうか。

また、アイリーンに自分のコートを着せるとき、彼は後ろを向きましたね。あれはコートを着るときに身体を隠せなくなるからですよね。

一瞬でそこまでの気づかいを出来るのなら彼は女性経験はあると思います。

 

第二問題。「ホームズはゲイか?」

まず初めに述べておきますが、ワトスンは違うと思います。ワトスンは原作でもかなりの女好きですし、シャーロックでもたくさんの女性と恋仲になっています。ホームズのせいでそのぶん振られてるわけですが。

ホームズもたぶん違うでしょうね。本人が違うと言っていますし、アイリーンにあれだけ興味を示した(恋愛感情というよりは興味ですが)わけですし。

ホームズは恋愛より自分の興味のある道を一途に突っ走るタイプなので、女に興味がないというよりは恋愛に興味がないのだと思います。

 

ちなみに原作ではふたりが腕を組んで歩いている挿絵があったりしますが、あれは19世紀では普通の習慣らしいです。

 

しかし二人がゲイでないとすると腑に落ちないのが、どうしてあれだけゲイネタを入れてくるのか?

初期のピンク色の研究でもハドスンさんやカフェのマスターが二人をカップルだと思ったり、ホームズがワトスンに「誘ってくれるのはうれしいけど」と言うシーンがあったり。

バスカヴィルのハウンドで田舎に泊まった時も店主がゲイだったり、彼にダブルベッドがなくて悪いね、と言わせたり。

ワトスンが爆弾を巻かれて助かった後の一言で「君に暗いプールで服を脱がされるところを~」というセリフがあったり。

 

思いつくだけでこれだけゲイネタがあるのにレズネタといえばワトスンの姉ハリエットは女性と結婚していたこととアイリーンが女性とも「仕事」をしていたという点だけ。

ゲイネタと比べて圧倒的に少ないですよね。ハリエットは姿も見せてないですし。

深読みしなくても脚本側が「この二人(ホームズとワトスン)をそういう目で見てください」とリードしているように見えます。

 

結論を言えばこの二人はブロマンスだと思いますがこれだけゲイネタが多いのはなぜなのでしょうか。

ワトスンは「あなたはホームズにとっていい彼氏ね」と彼女に言われるほどホームズに尽くしていますし。

つまり、恋愛<<<二人の絆

という構図に描かれていますがこれは果たしてブロマンスの範疇なのか...?

日本の男女格差は別に男が優位なわけではない

日本の男女格差を端的に表すと、「男も女もそれぞれ別の問題で苦しみ、いがみあっている」です。

どちらも苦しんでいるという点においては平等ですねぇ。

もっと詳しく言いますと、男女とも「男はこうあるべき。」「女はこうあるべき。」に苦しんでいて、どちらもが「俺の方が、私の方が苦しいんだ!」と喧嘩している状態ということです。

 

例えば男の場合経済力です。やっぱり男は経済力がないと結婚しづらい。見た目が悪くても金があれば結婚できますが、金がなかったり主夫になったりすると苦しい立場に立たされます。

女の場合は見ためと年齢です。「結婚適齢期」なんて言葉がある様に、結婚するにはある程度の年齢でしておかなければならないという思想があります。

確かに子供を産みたいならある年齢までに結婚、妊娠する必要があるという考えは正しいですが、子どもを持たない場合、結婚に適齢期なんてあるわけないじゃないですか。

しかし、日本で子どもを産まない女はまだマイノリティですし、子供産めプレッシャーはこれからどんどん強くなるでしょうね、少子化で。

見た目に関しては、女だったら化粧をしてちゃんと着飾って当たり前という思想があります。女芸人が自分のブサイクをネタにして笑いが取れるのも「女は見た目が良くて当たり前」という概念があるからこそだと思います。

 

それと、女は若い子でも「男にサービスしてもらって当たり前」という考えを持っている人が多いです。

「男に守ってもらって当たり前。夜道が暗くて怖いので男に迎えに来てもらった(ほぼ初対面。ただの近所の人。)」

とか、

「女なんだから男におごってもらえばいいじゃーん。買い物袋とか持ってもらってあたりまえでしょー。」

とのたまった馬鹿を僕は二人ほど知っています。開いた口が塞がらないとはこのことかと。

これじゃあ結婚したくない男が増えてもしょうがないなと思いますね。

もちろん、夜道が怖いとか荷物が重くて持てないなんてことはあるでしょう。僕も元女なのでこの状況はよくわかります。

でもさ、迎えに来てもらったり荷物もってもらったりしたんならちゃんとお礼するのが当然だよね。なんで当たり前だと思ってるの?奴隷じゃあるまいし。

 

別に女を庇うわけじゃないんですが、これは日本の文化にも問題があると感じますね。

日本でサービスはタダです。正確にはタダじゃないんですが、タダだと思われています。スマイルは0円だし。レジの袋詰めは綺麗で速くて当たり前。

だから男が女にサービス(夜道を迎えに行くとか荷物を持つとか)もタダで当たり前。

 

今回は男女格差の問題でしたが、日本で今起きている問題(スパイト行動とか貧者の貧者叩きとか)は根本を突き詰めていくと日本の構造問題だと思います。

だから容易には解決しないでしょう。

劇薬として移民を入れるのも一つの手だと思います。最初は社会が大混乱してツイッターでは不満の嵐が吹き荒れるでしょう。(スーパーのレジが座っているだの愛想が悪いだの)

しかし、完璧を求める、完璧で当たり前という日本の構造を壊すにはこれしかないと思います。

僕は完璧で当たり前という思想は自分の首をも絞めていることにいつか多くの人が気付き、完璧を求めないという実践ができる未来を望みます。

なんで日本の俳優は皆同じ演技をするのか

僕は日本のドラマとか映画を最後まで見たことがありません。

理由は気持ち悪いから。いかにも「演技してます!」って感じでわざとらしくて笑っちゃう。

 

例えばミステリーで犯人が罪を告白するシーン。

男の場合、ポケットに手を突っ込んであごを突き出して

「ああ!俺がやったよ!」とえらそうに語る。途中でポケットから手を出し両手を肩の前で広げるジェスチャーをする。

ここまでもう決まってるじゃないですか。

 

あるいは、第三者が死体を発見するシーン。

男女混合の複数人が発見者の場合、ぜーったい女が「キャー」と金切声を上げ、男は目を見開いたり、座っている場合は中腰になる。

もうここまで見えてるんですよ。

最初からある程度読めてるストーリーなんか見ててもつまらないわけで。なので僕は日本の映画やドラマは嫌いです。こういう演技をしろと演劇学校で教わるんですかね。

 

でもね、これ俳優のせいだけじゃないんですよ。日本文化にそもそも「演技」というものが馴染まないのだと思います。

例えば、欧米の学者や人前に立つ人が話すシーンを思い浮かべてください。

皆声がワントーン下がったり、話し方が落ち着いたりする。

つまり、欧米はもともと「演技する」社会なのです。最初にジョークを言って楽しませるとかね。だからドラマや映画で演技をしてもわざとらしくならない。観る人が皆演技することに鳴れているから。

 

それと、日本のドラマ、映画はジェンダーが反映されてますね。

女はみんな「~よね。」「~だわ。」という不自然な話し方をするとか。そんな人今時オネエだけです。

さっきの死体発見シーンで言えば、悲鳴をあげて取り乱すのが女、そこまで騒がないのが男。

男は取り乱す女を庇うもの。

例えば発見者がツアーガイドと観光客の場合、立場で言えばガイドが客を守らなくてはいけない訳です。

しかし、ガイドが女で客が男の場合、客がガイドを庇います。

これっておかしいじゃないですか。

でも多くのドラマ、映画で普通に描かれてしまっている。

日本のドラマ、映画はある型にはまってしまっている。だからつまらないのです。

ジェンダーについてはまた後日書きます。

なぜ日本の景観は醜いか

今回は日本の街並みの話です。

はっきり言って、日本の街並みって美しくないですよね。

衛生の話ではありません。衛生面であれば日本の街はかなり綺麗です。パリの駅とかハンバーガーの包み紙があっちこっちに落ちてたりしますから。

でも、ヨーロッパの街並みが伝統的な建築様式の建物が立ち並んでいるのに対し、日本は味気ないビルばかり。

東京の街並みは綺麗になりつつあるといってもやっぱりビルなんですよね。

どこも同じ感じの。

しかもそのビルとビルの間に伝統的な様式のお寺が挟まれていたり。混ざりすぎというか。

 

僕はしばらくニュージーランドに住んでいたことがあるのですが、都市と郊外がはっきり分かれていて、郊外から都市に行く途中はひたすら道しかありませんでした。たまに動物園があったり発電所があったりしましたが店らしい店はなく、家は一軒もありませんでした。高速道路みたいな感じでした。

 

日本はなぜこんなにめちゃくちゃに建物を建ててしまったのか。

考えられる理由はいくつかあります。

 

まず、単純に人口が多くて住める場所が狭い。

日本の国土の7割は山だと言われるほど日本は平地の少ない国です。そりゃあビルみたいなマンション建てて居住面積を稼ぐしかないですね。豪華な1軒家とか建ててる場合じゃない。郊外と都市をはっきり分けるほどの面積の余裕はないわけです。

ちなみに、データをとってみました。2017年のものです。

人口密度

日本 335人/㎢

ニュージーランド 17人/㎢

アメリカ 33.7人/㎢

国土は

日本 378,000㎢

ニュージーランド 268,000㎢

アメリカ 9,834,000㎢ でした。

 

国土としては日本はニュージーランドより広いですが、先ほども言ったように7割山です。それにニュージーランドは人より羊が多いといわれる国ですから羊口密度も考慮にいれないといけないのかもしれないですね。

 

第二に、日本は戦争で焼け野原になった。

日本は太平洋戦争で東京、大阪といった主要都市まで空襲にあい、焼け野原になりました。そこから始まったのがまず経済の復興です。文化とか言ってる場合じゃない、まず稼がなきゃ。国民を食わせなきゃ。

そんな時に建物のデザインなんざごちゃごちゃいってられません。便利ならいいんです。もう二度と燃えない、倒れない頑丈な建物がいいんです。

そもそも日本家屋は「紙と木」の家でした。夏は涼しいが、燃えやすいし地震が来れば倒れる。じゃあもっと頑丈にビルにしようぜ、コンクリで固めようぜとなるのは合理的です。(芸術は合理性ではないですが)

 

第三に、日本はヨーロッパに支配されませんでした。(アメリカにはされましたが)東南アジアに欧米風の建物が残っているのはヨーロッパ支配の名残です。支配されていないのだからヨーロッパ風の建物を建てる必要が無かった。

 

第四に、単に日本の気候に合わない。

伝統的な日本家屋は風が通りやすくつくってあります。日本の夏は蒸し暑いのでヨーロッパ風の重圧な建物なんか建てたら湿気がたまってしょうがないんじゃないですかね。それにヨーロッパの伝統建築は隙間風が入って来たり虫が侵入しやすいそうです。

だったらコンクリでビルつくりますよね。

 

ちなみに、もし日本が焼け野原にならなかったら伝統的な日本家屋のままだったかと問われればそんなことはないと思います。

やっぱり少しずつビルになったと思いますよ。残念ながら。

人質と「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」

ずーっと昔の話をします。

といっても数百年さかのぼるわけではありません。

 

最近すっかり聞かなくなりましたが、ISを覚えていますか?たびたび世界各国の人を人質にとり、身代金を要求していたあの組織(国?)です。

ある時、日本人が捕まったことがありましたね。何人かいますが、僕に強い記憶を残したのは後藤さんです。

なぜか?

ネットで「国に迷惑をかけるな、自決しろ」という意見を見かけたからです。

これを見た時、パッと思い浮かんだのが「生きて虜囚の辱めを受けず」です。

 

太平洋戦争時、日本人は捕虜になる前に死んでしまう、捕虜になっても死んでしまうという現象が兵隊にも民間人にも起きました。

その理由はもっともらしいのが「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が国民全体に広がっていたため、というものですが僕はそれだけではないと思います。

 

人間は、というか生き物は命に執着するものですからいくらそんな教育(洗脳)をされていたとしてそれだけで多くの人(特に兵士としての教育を受けていない民間人)が命を捨てるものでしょうか。特攻隊だって大君のため、だけではなく家族のためにと飛び立った人も多かったと聞きます。

真実は、「生きて虜囚の辱めを受けずの思想がみんなに広まっているのに自分だけ生き残ったら家族がいじめられるかもしれない」ではなかったでしょうか。

確かに女性であれば暴行されるかもしれないという恐怖もあったでしょう。そこに生き残ったら家族がいじめられるという恐怖が重なって死を選んだのではないでしょうか。

 

この「生き残ったら、生きて帰ったら家族がいじめられるかも」という恐怖は現代でも生きています。

人質となった後藤さんがそう思ったかどうかはわかりません。でもネットで身代金は「国民の税金を使うな、迷惑だ。」とか「自分で払え。」などと言っている連中はもし後藤さんが生きて帰ってきたらいじめる気マンマンだったでしょうね。人質となった人は顔も名前の全世界に知られてますから。

これも以前安楽死の件で述べた通りスパイト行動にあたるのではないでしょうか。

「みんなの命を踏み台にお前だけ死なないのはずるい」が「みんなの金を使ってお前が助かるのはおかしい。みんなに迷惑だ。」になったのです。

命→金に変わっただけです。

 

前にツイッターでたしか「うちの祖父は赤紙が来たけど逃げて助かった」と発言した人が「みんなお国のために戦って死んだのにお前の祖父は卑怯だ」とバッシングされてましたね。

これも「みんなの命を踏み台にお前の祖父は生き残って恥を知れ!」ってことでしょ。やっぱりスパイト行動ですな。

日本で安楽死はまあ無理だよね

今回は安楽死とスパイト行動についてです。

 

橋田壽賀子という脚本家をご存知でしょうか?

おしん」の脚本を書いた人ですね。他にも有名な作品はありますが。

この人が以前「安楽死で死にたい」と発言したところ、世間から大バッシングを受けたことがあります。

僕は個人的には安楽死は選択肢のひとつとしてあって良いと考える賛成派なので、安楽死が嫌な人は選ばなければいいだけですから反対派の意見がよくわからなかったのですが、偶然「スパイト行動」という行動を知り「なるほど」と納得しました。

 

この人の安楽死発言へのバッシングとして

「死に逃げるな」とか

「もっと苦しんで頑張っている人に失礼だ」

という意見を聞きました。

 

まあ、前者の発言はいかにも日本らしいですね。精神論というか根性論というか。体育会系かな。

例えて言えばうつ病の人に「がんばれば治る!」って言っちゃうタイプ。後で説明しますがこれはスパイト行動です。

後者は前者よりいっそう意味がわかりません。もっと苦しんでいるって何?

苦しみ度合って数字で表現できるわけ?できますよ日本では。

この国では「つらいです。苦しいです。」と言うと必ず「お前より苦しんでる奴はたくさんいるんだ!」と言う人がいます。

そして苦しみを誰にも打ち明けずに死んでしまった人に対し、「つらかったね。がんばったね。」と言う人もいます。

 

つまり自分で苦しいと言える内はまだ苦しくないのだ、自分で助けを求められない状態(多くの場合は死)になってから初めて助けてもらえるのだ。

という思想です。この思想は結構どんな分野にでもありますよね。

児童虐待は子どもが死んでからじゃないとドアを破って家に突入できないとか。

ストーカーで被害届を出しても相手にされず、殺されて初めて捜査がスタートとか。

 

さて、安楽死の話に戻りますが、「もっと苦しんでいる人に失礼だから」安楽死はダメ。というのは何で失礼なのか。

例えば苦しみ度合60%のAさんと80%のBさんがいたとします。(日本では苦しみ度合いははかれますからね!)

Aさんが安楽死した場合、Bさんはかわいそうになるのか。

「私は頑張って生きてるのにAさんだけ死ねてずるい、あいつは私より苦しんでないのに」とか?

だったらBさんも安楽死を選べばいいじゃないですか。権利のひとつとして。

ちなみにこういう「あいつだけずるい、私が苦しんでいるのだからお前も苦しめ」というのをスパイト行為(行動)といいます。

 

ついでに言うと前者の「死に逃げるな」もスパイト行為に入ると僕は考えます。これって「みんな頑張って生きてるのにお前だけ死に逃げるのはずるいぞ!」ってことでしょ?

 

だから日本で安楽死は無理だよね、って話。

つきのPさん「真夏の雨」を分析してみた

ニコ動に投稿されているつきのPさんの真夏の雨。

僕はこの曲に自分なりの(おそらく合ってるんじゃないかなー)解釈を見出したので語ってみようかと思います。

もちろんご本家に確認をとったわけではないので想像と言われれば想像です。

この曲です。

nico.ms

僕はこの曲を「死んだ兵士が霊となって故郷へ帰る歌」だと解釈しました。

それを歌詞を追って説明していきます。

ちなみにこの曲は(A→A→B→C→C')×2→D→転調して→(C→C’)×2です。

それと、歌の歌詞に「僕」が出てくるので混同を防ぐため、今回私は私という一人称を使います。

 

まずAメロ「立ち込める霧の向こう~馬車があった」まで。

霧の中こっそり走る馬車があるわけですが、ここで真っ先に思いついたのがデュラハン。妖精のね。

この世の者でないデュラハンのように「誰にも気付かれないように」走らなければならない。なぜか?

馬車に乗っている人はもうこの世の人ではないからです。霧の中を走っていくのも神話っぽさを出していますね。

 

次のAメロ。「古ぼけた幌~見つめていた」まで。

馬車に乗っているのはなんと兵士ではなく少年。「細い腕」と強調されていることからして青年ではなくほんの子供です。兵士は子供の姿で帰ってきたのです。「おぼろげな面影」の歌詞から兵士と少年が同一人物だと分かります。

 

Bメロ。「今宵目指すは~帰ってきたと伝えよう」まで。

ここではっきりと故郷を目指して馬車は走ることが分かります。かつ、「白く染まる布を掲げ」と歌われていることから敗戦、負け、戦死をイメージさせます。

 

Cメロ。「流れた時は~あの日の姿を」まで。

この兵士は長い間戦争にいっていたとうかがえます。ここで一度出てくる「君」の「あの日の姿」。このフレーズを覚えておいてください。

 

C'メロ。Cメロと最後の一部しか違わないメロディです。「どこかで聞いた~進み行くこの道」まで。

雨を聞いたら左腕が冷たくなった。「だけど」君を抱く。

この雨とは空爆の爆弾だと思われます。兵士は空から降ってきた爆弾で左腕を失い死んだのではないでしょうか。動画の絵も血の様な紋様が描かれていますね。

当然腕がなければ人を抱きしめることはできません。

だから「だけど」と逆接の接続詞で「君を抱く」をつないでいるのです。

 

またAメロに戻ります。ここから二番ですね。「タイヨウが~温めてくれるだろう」まで。

「冷えて硬い体」のフレーズから死体を思い起こさせます。

更に歌詞では太陽は「タイヨウ」とカタカナで書かれており、空に輝くsunではないと思われます。いくら太陽が6000度もあるからといって死体を生き返らせることはできないでしょう。

この「タイヨウ」は「君」のことだと解釈しました。「君」の存在(光)はこの兵士の全て(世界中)であり、死んだ自分をも生き返らせるほどのパワーがあるのだ、と兵士は歌います。体ではなく心を。

 

Aメロ。「しみついた~見失って生きている」

ここは反戦歌ともとれます。「黒い汚れ」=血、「不必要なモノばかり」=武器、「ありのままの形見失って」=戦争という歪な世界で生きている人間たち

そのまま「黒い汚れ」=血、「ありのままの形見失って生きている」から「ありのままの形」=生きていたころの体、「見失って‘‘生きている‘‘」が「死んだ」の皮肉ともとれます。

この兵士が自分が死んだことに気づいていない線もありますが、後に「僕を壊した真夏の雨」と歌うのでそれは違うかな、と。ただ、この「壊した」が「左腕を奪った」の意味だとしたらそうかもしれません。

 

Bメロ。「次第変わるは~家に帰ろうと」

耳慣れない「二十重」という言葉は幾重にも重なること、という意味だそうです。

ここで歌われるのは郷愁ですね。風は次第に「変わっていく」が、景色には「懐古の声」(なつかしさ)が残っている。変わるものとそのままのものの対比です。

「去りし時の地図」はやはり時間の経過を歌っているのかな、と。ここでも「故郷へ帰る」ことが強調されます。

 

Cメロ。「視界の先に~幼いままかな」まで。

Bメロ、Cメロでどんどん故郷へ近づいていることがわかります。

「淡い形あらわになる」でもう故郷が見えていることがうかがえます。ただ、「淡い形」といっているのでまだ霧がかっているのか、それともこの兵士が長い間故郷を離れていたために忘れてしまったか。(自分の生まれ故郷を忘れる人はいないので霧がかっている方の解釈が適切かな)

 

それよりひっかかるのが「君」はまだ幼いままかな、という歌詞。

当然人は成長しますからこの兵士が家を去ったころに幼かった「君」も大きくなっているはずです。なぜ、「幼いままかな」なのか。

理由として考えられるのは二つ。

1.「君」ももう亡くなっているので成長しない

2.「僕(兵士)は幼いころの君しか知らないので大きくなった姿が想像できない」

「幼いままかな」→「いや、そんなわけないよね」という自問自答。

歌詞全体を見ても「君」が生きているのかいないのかははっきりしませんでした。ただ、私は「君」は生きていると推測しました。その理由は後の歌詞で。

だとすると2の解釈になります。

 

次行きます。

C'メロ。「僕を壊した~信じて」まで。

先ほども書いたように「僕を壊した真夏の雨」が「僕を殺した爆弾」の意味。「それは癒えぬまま」と言っているのでやはり兵士は自分が死んだことに気づいている様子です。「癒えた」というのは「生き返る」ことだと思いますがそれはありえないので。

イエス・キリストじゃあるまいし。

 

さて、「もしも君に会えたなら戻れると信じて」とはどこに戻れるのか。この世に?

もしかしたら兵士は確信している、もしくはそう自分に言い聞かせているのかもしれません。

「君」は兵士にとっては彼の全て、神にも等しい存在。その「神」に会うことができれば兵士は生き返ることができるのだ、と。

もっと違う解釈もあります。こっちの方がありそうです。「戻れる」とは「あの頃に戻れる」の意味。

つまりもし「君に会うことができれば戦争に行く前のあの一緒に暮らした平和だった頃に戻れるんじゃないか」という意味です。

 

Dメロ。大サビというやつです。「踏みしめるごとに~たどるのだろう」

とうとう故郷が間近になり兵士は馬車を降りて走り出します。ここで最初に出てきた幌の中の少年が実は兵士の子供の頃の姿だと明かされます。

こういう歌詞の書き方うまいですよね。

「あの日駆け抜けた田舎道」を反対にたどる。つまり、意気揚々と期待に胸を膨らませて若き日に走り抜けた道を、今度は故郷へ戻るのです。しかも戻る時は駆け抜けていません。「たどる」という言葉は「ゆっくり歩く」イメージです。

やはり「敗戦」や「戦死」をイメージさせます。

 

さて、転調していよいよクライマックスです。

Cメロ。「煙が上がる~照れくさい」まで。

私が「君」が生きていると解釈したのはこのパートの歌詞からです。家から煙が上がっている、これは炊事の煙でしょう。火事ではなく。

ここで生活感を出すことで君が生きている、とリスナーは考えるでしょう。また、「少し残る面影」といっているので君が成長したことがわかります。

 

C'メロ。「彼方に残る~巡り会いの歌を」まで。

一番で「今宵目指すは」と歌っていたのに対し、「真昼の月」が出てきます。もう夜は明けました。この夜明けに希望や再会の喜びが重なっているようですね。

「巡り会いの歌を」で再会した、と読み取れます。

 

Cメロ。「どこかで聞いた~暖かなほおで」まで。

一番と同じ歌詞が出てきます。とうとう兵士は「君」を抱きしめるのです。左腕がないのでおそらくニコ動の画像のように抱き寄せたのでしょう。

 

C’メロ。最後です。「誰も涙を~タイヨウが出る様に」まで。

「誰も涙を流さぬよう」からこの兵士と君のように悲しい思いをする人がいなくなるように、二人で歌い続けよう、と言います。おそらく「巡り会いの歌」を歌うのでしょう。

「いつかこんな世界にもタイヨウが出る様に」からここで言う「世界」は兵士の全てのことではなく本当のworldの方だと思います。

こんな戦争ばかりの世界にも「君」のような希望があらわれるように、兵士と「君」で「巡り会いの歌」を歌うのです。

 

さて、歌詞を追って解釈してきましたが、ひとつ疑問が残りました。

つまり、「君」とはだれか。動画から女性であることは間違いないんですが、私は最初、この兵士の娘かと推測しました。

女性なら妻の可能性もあるんですが「あの日のように君はまだ幼いままかな」という歌詞があるので娘のほうが有力な推測だと感じます。同じ理由で母もありえません。

しかし、ここにももう1つの解釈ができるのです。

 

「田舎道を駆け抜けたのは少年の頃」「あの日のように君はまだ幼いままかな」

この二つを組み合わせて考えると幼馴染の可能性も出てくるのです。というより幼馴染説のほうが有力だと感じます。

つまり、時系列で書くと

兵士(少年時代)                   戦死、生まれ故郷へ帰る

         →何らかの理由(引っ越しなど)で →

君(幼いころ)   分かれる              生まれ故郷に住んでいる

 

こうであれば当然兵士は「君」の幼いころしか知らなくて当然です。

そもそも田舎道を駆け抜けたのが少年の頃というのがちょっとひっかかっています。

田舎道を駆け抜けてそのまま軍隊に行くには幼すぎないか?と。

この少年が18歳くらいであればそれもありえるでしょうが、田舎道を駆け抜けたのが少年の頃、今死んで故郷へ帰る姿も少年。

この二つの少年の姿はおそらく全く同じ歳でしょう。別だと推測できる要素もないですから。

だとすると18歳の男を表す言葉に「細い腕を抱いて」とは使わないでしょう。少年が細い腕であるのは第二次性徴前ですから仮に12歳ほどだとしておきます。

 

少年は12歳で生まれ故郷を離れ、何年かしてから軍に入隊し、戦って死んだ。

「君」は少年と同い年(あるいは近い歳)の少女で少年が故郷を去った後もそのままそこで育ち、大人になった今もそこで生活している。

少年は(大人になって兵士になり死んだのですから元少年ですが)心のよりどころであった生まれ故郷の幼馴染の元に帰りたい一心で「君」が覚えている少年の姿になり馬車を飛ばす。

こういうストーリーではないかな、と私は推測しました。

そもそも鏡音二人の関係性は兄妹、姉弟、恋人、幼馴染と色々つくれますが、父と娘設定でストーリーを作っている人は見たことがないです。

もしこれが父親の少年時代と娘、だったら斬新で素晴らしいですが曲としては分かりづらいかな、と感じました。

歌詞って小説とは違ってじっくり推測を重ねていくようなことはしないですし。

 

以上長々とつきのPさんの「真夏の雨」分析でした。

最後まで読んでくださった方がいましたら長々とお付き合いいただきありがとうございました。