少年敗走記

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蟲師ギンコの男っぽさ

蟲師の解説本「連綴」を読みながら蟲師のアニメを見返しています。蟲師のアニメは原作に忠実につくってあるが、それでも動きや色、声がつくことで原作にはない解釈ができたりするものですね。

その一つにこの連綴にある「ギンコは普通の兄ちゃん」というのはアニメではより顕著に出ていると思います。ギンコは男相手には容赦ないというか、乱暴なのに女相手だと優しい気づかいを見せたりするところとか。

例えば「枕小路」でジンを火事の家から連れ出すのはいいがそのあと地面に放り出して火を消しに行く。ジンが地面に頭をぶつけるシーンもちゃんと描かれてるんですよね。

「雨が来る虹が立つ」でも虹郎を夏の炎天下で空を見張らせたり(自分は日陰にいて「ちゃんと見張ってろよ」なんてちょとひどくない?)虹郎が虹蛇に触ってしまったときも肩をつかんで地面に引き倒して助けたり。助け方が乱暴なんですよね。その時のセリフ「ばかやろが。どうともねぇか。」もまさしく相手が男だからでしょうね。女相手だったら「おい、大丈夫か」くらいになりそうです。

女相手だと結構肩入れするし、助け方も優しい。「瞼の光」でも目をなくしたスイに自分の義眼をあげたり「虚繭取り」の綺にも自分の人生を歩ませるために虚穴に連れて行ってあげたり。しかも一緒に入ってあげる。

この、同性相手だと気取らない、飾らないが異性相手だと優しく接するところが自然な自然さというか、作者は女性なのに(アニメの監督は男性だけど)わざとらしくない男っぽさが出ていて面白いなぁと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナザー・カントリー」を今更観た

古き良き英国のパブリックスクールを舞台とした映画「アナザー・カントリー」を今更観てみました。アナザー・カントリーといえば同性愛のテーマがやたらと浮き彫りにされていますが、僕の印象としては「伝統に縛られた不自由な世界で若者はいかに生きるか」がテーマだったように思います。共産主義に賛同する(当時のイギリスではとんでもないこと)学生も出てきますし、学内での教練といった軍隊と言う不自由さの象徴も登場します。

 

さて、なんで今更この古い映画を観たのか。まず初めに言っておくと僕はBLはあまり好きではありません。(自分がLGBTのくせしてね。)

そもそも同性だろうが異性だろうが恋愛モノって観ていてつまらないと思うのでBLだろうがNLだろうがGLだろうが自らすすんで読むことはほとんどありません。

 

ですが、最初に述べた「縛られた不自由さの中でいかに生きるか」というテーマが僕は実は大好きなのです。それは身分かもしれないし、人種かもしれないし、生まれながらに背負った障害かもしれない。その中の一つが同性愛だと思います。そういうわけで今更ながらアナザー・カントリーを観てみました。

 

あらすじなんかは調べれば出てくるのでここでは書きません。この映画の中で最も美しいと感じたのはハーコートとベネットが夜の礼拝堂?かどこかで身を寄せ合い、語り合うシーンです。会話自体は全く甘い恋の睦言でも何でもないんですが、このハーコート役の役者の演技のうまいことうまいこと。

一瞬彼の青い瞳が涙できらりと光るシーンがあります。その時の切なげな物憂い表情。帰りたくないのに帰らなければならない。そしてその後の永遠の別れをすでに知っているかのような、惹きこまれる表情です。

そういえば彼らキスもしてないんですよね。この身を寄せ合い、語り合うのが最大の愛情表現。縛られた世界で生きる抑圧による美しさ、伝統に縛られ不自由な中の耽美さが良く出ている表現だと思います。

 

かつ、映画の中で何度も流れる'I vow to thee my country'ですが、これはジュピターの惑星でも有名ですね。この曲に詩を付けたのがイギリスの外交官だとか。歌詞を見れば愛国歌だとすぐに分かります。

この映画はソ連のスパイになった主人公が過去を思い出すという語り口で始まる映画なのでまさにこの曲はぴったり。なぜ彼が国を売ったのか、祖国に牙をむいたのかが分かっていくとこのI vow to thee my countryは皮肉ですし、映画のタイトル「アナザー・カントリー」の意味も分かってきます。

この「アナザー・カントリー」は I vow to thee my countryの歌詞 'And there's another country, I've heard of long ago...'に出てくる言葉です。「誰にも知られることのない国がある、その道は静かで穏やかで平和へと繋がっている・・・」というような歌詞です。この意味をふまえて映画「アナザー・カントリー」を観ると監督が描きたかった内容が見えてくるようです。

この英国で認められなかった共産主義、同性愛はきっといつかどこかのまだ見ぬ国で受け入れられる時が来るだろう.....といったようなことでしょうか?

まあ現代を見ればそんな国はどこにもないわけですが。

 

あ、あと少年好きの僕としては時々可愛いショタが出てくるので満足でした。ウォトートン可愛い。彼と、あと物語の序盤でリネン室の階段の上で湯がぬるいと言いに来たあの少年が可愛かったです。始め女性の寮母か女中だと思いました。見た目は普通の(といっても美少年)男の子なんですが、声が女の子のように可愛いです。名前も出てこない役ですがあのシーンだけ何度も見てもいいほどかわいい子です。

 

I vow to thee my countryで最もおすすめなのがLiberaが歌うものです。Winter Songsというアルバムに入っているので是非。

「ポピュラー対位法」読んだけど日本語が分からない

音楽理論の本、対位法について書いてある「ポピュラー対位法」を読んでいるんですが、この本日本語が下手すぎる。

分からない文章というのは三種類あって

1.専門用語で煙に巻くタイプ

2.文法が滅茶苦茶、省略された言葉が多いタイプ

3.指示語が多すぎるタイプ(それにあたる、みたいな文章)

 

ですがこの本は2に当たります。主語を言え!日本語は主語や目的語を省略してしまうという傾向のある言語だと思いますが、その典型例のような文章です。かつ間違ってる情報が多い。

例えばGsus4と言いつつ楽譜には「ソ、レ、ファ、ド」の4つの音が書かれていたり(これはG7sus4だよね?)

 

24ページにある「前のコードのコードトーン(3度か6度)が残り」というのは何の前のコードなの?

x→Gsus4→G7ってこと?

じゃあそのxにあたるコードを書いてくれないと前のコードのコードトーンが残ってるかどうか読者には分からないと思うよ。

 

そもそも17ページの楽譜の下に書いてある数字は度数を表しているというけれどト音とへ音でオクターブあるのに8度以内に直されると見づらいんだけどなぁ。

楽譜の視覚情報と度数の情報が一致しないから読者は混乱しやすいよ。

 

僕はまあ、せっかく買ったし良いところもある本だと思うのでこのまま読み進めようと思いますが音楽理論をまだあまりやっていない人には勧めません。そこそこ他の音楽理論が分かってないと訳が分からない本だと思います。

かつ、日本語が母語でない人にも勧めません。よくある、省略された言葉が多すぎて「読む」というよりは「こういうことを言いたいんじゃないかと推理する」本、著者の中で当たり前だと思っていることが前提とされて解説、表記されておらず不親切な本だと思います。悪いけど。

平沢進の音楽と出会った経緯

僕はこの世に13万人いるといわれている馬の骨の一部でありGN団の一員でもあるわけですが、この人を知ったのは9年前。

どっかで話したかもしれませんがここでもう一度丁寧、なぜこの人に出会ったかを話します。

そのためにはまず声優さんの話をしなければなりません。事の発端は代永翼さんという声優です。そのころ両声類の歌い手にハマっておりその情報網のどこかで「代永翼さんという声優が歌うときめきの導火線というカバーが本当に女性のように聞こえる」という話をきいたのです。youtubeで検索しても違法アップロードなどはされておらず音源を入手するために「新・百歌声爛ー男性声優編ー」を入手し聞きました。男性声優がアニソンのメドレーを歌うCDです。

 

で、このCDは代永さん以外の声優さんも歌っているわけで、せっかく買ったのだから最初から全部聞くでしょ?でも古いアニメの曲が多いので知らない歌ばっかりでつまんないんですが律儀に最初から全部聞いたのです。

そうしたら安元洋貴さんのトラックまできたときになにやら壮大でかっこいい音楽が聞こえてきたのです。それがベルセルクのForces。

もちろんオケは師匠ではなくカラオケのようなアレンジでしたが十分原曲のかっこよさは残っているわけです。興奮して歌詞カードを見ると「作詞作曲:平沢進」。

 

あとはネットで「平沢進 ベルセルク」で検索、「救済の技法」ゲット。

当時はまだAmazonのアカウント持ってなかったのでCD屋さんに行きアマゾンのページ見せて「これください」→「置いてません」→取り寄せ、です。

救済の技法にはForcesがボーナストラックとしてついており、Forcesありverとなしverがあるので「ボーナストラック入ってるほうね!」と念押しして取り寄せてもらったのを覚えています。

 

で、せっかく買った救済の技法は最初から聞くでしょ?そうするとますますこの平沢進と言う人が気になるわけです。

どうせならこの人を最初から知ろう、と次に買ったアルバムがP-MODELの「ランドセル」。

今考えると平沢ソロから初期P-MODELに飛ぶのは間違っているわけですが当時はそんなことは露知らず。

当時は「ランドセル」は全く好きではありませんでした。平沢ソロのあの雄大さ、懐かしさはどこへやら。

各種P-MODEL、平沢ソロ、核P-MODELを知った今なら別の元のとして楽しめますがね。

障害者はこの世に「必要」なんだよ!

そう、障害者はこの世に必要なのです。なぜ?多様性のために。多くの人々が多様性を受け入れられるようになるために。

ここでは「命は大事」とか「人の命は地球よりも重い」みたいな所謂キレイゴトを言うつもりはありません。こういう意見はなかなか頭の固い人間には受け入れられないからです。

 

近年しばしばいわれる多様性はなんだか「英語を理解して外国人と仲よくしよう」みたいなただ楽しいだけの思想のように語られていますが、僕は本当の多様性とはもっと複雑で受け入れるのが難しく、人間の本質に揺さぶりをかけるものだと思います。

 

本当の多様性とは今まで社会から排除されてきた人々、障害者や精神病患者、犯罪加害者やその家族、LGBTXと同じ街で暮らします、ってことです。

あなたのマンションの隣の部屋にそういう人たちが住むってことです。

例えばあなたの部屋の隣に統合失調症の人が引っ越して来たら?皆怖いとおもうんじゃないですか?それは今まで統合失調症の人と接した経験がなく、ネットや本の知識でなんだか怖い精神病だ、くらいの認識しかないからでしょう。

 

僕には統合失調症の知り合いがいます。初めてその人と部屋で二人きりになった時、正直に言って恐怖を感じました。僕も統合失調症という病気は文字の知識でしか知らず、何をされるかわからないと感じたからです。

しかし、しばらくその人と会ううちにきちんとその人がどういう人なのかが分かり今は統合失調症という病気の名前で怯むことはありません。

もし僕が子どもの頃から当たり前に身の回りに精神病の人がいたら初めから偏見なしで接することができたのではないかと思います。

なぜなら僕は幼いころダウン症の友達がいたのですが他の健常児の友達と同じように接していました。というか僕はその子がダウン症だということも知らず、(そもそもダウン症自体を知らなかった)ちょっと変わってるけど優しい子だなーくらいに思っていたからです。

差別や偏見をもたないというのはそもそも「この人はダウン症」「この人は黒人」みたいなジャンル分けをしないということだと思います。

 

これは大学の時の経験ですがある時学外の人に「君に黒人の友達はいるか?」と聞かれてとっさに答えられなかったことがあります。

もちろん黒人の友達は何人かいたのですが、おもしろいもので仲が良くなればなるほど相手の人種や国籍なんかは見えなくなってしまうものなのです。

「あいつはアメリカ人で、黒人で」みたいな情報より「あいつはサッカーが好きでカレーは日本のよりスリランカのが好きなジェームズ」みたいな身近な情報にすりかわっていくのです。だから突然黒人の友達はいるか、と聞かれても思い出せなかったのです。しばらくたってから「あ!そういえばジェームズは黒人じゃん」みたいに思い出すのです。

初めてこの感覚を経験した時はものすごく面白く感じましたし、何より差別をなくす方法ってこれなのではないかと思いました。つまり、相手を良く知ってしまうこと。

 

障害者の話に戻りますが、僕は障害者だけでなく上にあげたこの世の中から排除してきた人たちと共に同じ街で暮らすために、「普通」の人たちを多様性に慣らすためにこういう人たちは必要なのです。

 

今の世の中はどんどん右翼化しマイノリティや多様性排除の方向に進んでいますがこういう傾向は普通の人たちの首をも絞めています。

だっていつだれがマイノリティになるか分かりゃしないんですから。障害者やLGBTXが街に普通に存在する世の中になればいざ自分が障害者になったり自分の子がLGBTXだったりしたときに隠さなくてよいし、相談しやすいし、何よりそれほど落ち込まなくてすむのではないでしょうか。少なくとも現実を知らないことで悪い方へ考えすぎることもなくなると思うのです。

以前、一橋の大学院でしたっけ、ゲイだとアウティング(勝手に言いふらされた)されて自殺した男子学生がいましたね。

もし僕が上で述べたように多様性が受け入れられた社会であったなら彼は死なずに済んだのではないでしょうか。彼は社会から放たれた弾丸に殺されたといっても過言ではないと思います。

 

つまり、この世に障害者やあらゆるマイノリティは必要なんだ、自分たちを普通だと思っている人々を多様性に慣らすための先生としてってこと。

 

余談ですが平沢進という音楽家がたまに自分が生まれ育った昔の亀有の話をすることがあります。この人の語る亀有はまさに多様性が存在した場所でした。キチガイ日本兵(差別ではなくこう呼ばれていた)ぜんちゃんや変わり者のアキラさんなど今の世の中なら真っ先に排除されてしまう人達とと共に亀有の人々は生きていたようです。今は単なるキレーな街になってしまったようでなんとも残念です。

師匠はゲイじゃないけど女嫌い?むしろ「女好き」では

タイトルまんまですが。平沢進氏の話題です。

これから話すことは総て僕の推測です。師匠がそう言ったわけではないので僕の考察というか、妄想というか、それをふまえて読んでください。つまりヒラサワを僕の文脈で解釈したもの、ということです。

かつ、この記事では誰をも貶めたり差別したりする意図は全くありません。

 

最近、というか数ヶ月前に、師匠がやたらと「私はゲイではない」とツイートしているのが気にかかって。なんで今更そんなことを言い出したのか?古いファンなら皆知ってると思うんですが。知らないことで何か問題が起きたのか?

ふと思ったのが、回=回のBSPで新参のファンに対し「ヒラサワを知らなすぎる」と不満げに話していたことです。何か自分について勘違いされることで嫌な目にあったのか?ゲイかどうか疑われることも含めて?

 

僕は本当の男ではなくFtXであるため生まれながらの男性がゲイだと勘違いされることがどういうことなのかは真に理解することはできませんが、どうやら少し屈辱的なことの様です。

師匠はSP-2のおともだちがいたり、普通の人よりはLGBTXに理解がある様に思えますがアライ(LGBTXの理解者)であることで謂れのない差別や偏見を経験したことがあったのかもしれません。残念ですが師匠に限らずこういうことはままあります。特に男性だとアライだと公言すると「お前もゲイなんだろ?」みたいな無理解の攻撃が飛んできたり。

 

それにそもそもテクノというジャンルがゲイ文化と結びついている点があります。ウェンディ・カルロスとかクラウス・ノミとか。ノミはニューウェーブかな。

ニコ動にある「平沢進のテクノ実験工房」でもウェンディ・カルロスの話題が出たり、ヤプーズの中原さんがゲストに来た回で「女嫌いの師匠としては~」という上野君の発言を否定してなかったり。

僕は師匠はゲイだけど言わないだけだと思っていたのでツイッターではっきりと「私はゲイではない」と言い切っていたのを見てびっくりした記憶があります。確かに食べものや外見に気を使っていたり(人前に出る仕事なら当然か)、仕草がちょっと女性っぽかったり、タイのGID(性別違和)に理解があったりしますから勘違いされやすい要素は持っていると思います。個人的にちょっとナルシストっぽいかなと感じたり。(すみません師匠)

ですが、おそらくこの人の場合セクシャリティに関しては嘘をつかない気がします。SP-2と親しくしているし、ゲイであったところで音楽には何も関係ないでしょう。会社に勤めているわけでもなし。もっとアヤシイ要素いっぱい持ってるし。もしゲイであったならセクシャリティについてははっきり「私はゲイだ」と言うかせいぜい何も言わないかのどちらかになりそうだと思います。

 

それと、これもニコ動にある師匠と戸川純ちゃんのわけのわからない対談番組がありますよね?その時に幼少期に感じた「女の人は穢い」と「女性の死体の美しさ」について語っていたのを観ました。 とりあえず後者は置いておいて、普通の人なら幼少期の経験や感覚というのは忘れてしまうし、覚えていたところで所詮子供の考えだと切り捨ててしまうものをこの人はずっと感覚として持ち続けているように感じられます。

 

つまり、「女の人は穢い」という感覚を未だに(無意識下でも)持っているのでは?という考えに至りました。「女性の死体の美しさ」に関しても生きている普通の女性ではなく死体に見出される一種の魅力にとりつかれたのかな、と。

 

師匠が出したSP-2本を読んだことがありますか?僕はこの本読んだんですが、もしかしてこの人は女をSP-2の敵、くらいに感じているのでは?と感じました。Sp-2を不自然だと陰口を叩く日本人女性に皮肉な対応をしたり(まあ、これは当然)、とあるSp-2の「平沢さんて私が女だったら興味ないんでしょ」という言葉を肯定していたり。この本の中で述べられているようにSp-2の方は生まれながらの女性とはあまり関わりたくない、らしいので女はSp-2の敵くらいに感じていてもおかしくはないかな、と思います。敵という言葉は少々言い過ぎかもしれませんが。

 

さて、で、師匠は女嫌いなのか?いや、僕はむしろ女好きではないのかと思います。それは世間で言われているような女好きではなく、もっと心の深いところに存在する女性性にこの人は惹かれているのではないかと思います。

この人の曲や書いたものを読むとだんだんわかってきますがこの人はSp-2に原始の女性性や母性を見出しているように感じられます。Sp-2の方々が女性としてふるまうために手本としているのは本当の女性ではなく集合的無意識下のなかの原型(アーキタイプ)に存在する女性像だそうです。(このへんはユング心理学に由来します)

師匠の音楽はこの集合的無意識下のアーキタイプに太古の昔、原始の風景を「思い出す」「帰る」タイプの曲が多いように感じられますが、Sp-2はまさにそれを体現している存在。そこに存在する女性性に惹かれているので傍から見ればヒラサワを知らない人、あるいはミーハーファンには「ニューハーフに惹かれているオジサン」だと誤解を受けるのではないかと思いました。ゲイでないというのはこの原始的、アーキタイプの男性性についてはあまり何も言ってない点からも見受けられると感じます。老賢者ぐらいでしょうか。

 

つまり、女嫌いというよりは女が女であるというだけでは興味はない、というのが正しいかと。こう考えると女性ファンが多いのは得心が行きます。つまり、世の男性と違ってこの人は相手が女であるだけでは性的な目で見ない人だ、と女性ファンは分かっているのではないでしょうか。(無意識でも)

ちょっと話はずれますが宗教にのめり込むのは女性が多いそうです。理由はいろいろあるでしょうが僕は、ブッダやキリストは女を性的な目で見ない男だからというのが一つあると感じています。

ヒラサワも女性ファンには現実味のない、男としての肉体性を持たない存在として認識され、愛されているのではないかと思います。

 

まとめます。

つまり、師匠はそこら辺のただ女であるだけの人間には興味がなく、集合的無意識に存在するアーキタイプの女性性を体現したSp-2に惹かれているのだ、という推測を導き出しました。これって回りくどいけど結果だけ見れば女好きって言えません?ってこと。

あと、僕は心理学を学んではいますがユングについてはそれほど詳しくないので専門用語の使い方が間違っていたらすみません。

 

最後に、まるでストレートの男性がゲイだと勘違いされるのが「悪いこと」のように読めてしまうかもしれませんがそういう意図はまったくございません。

僕もLGBTXに当てはまる人間ですので師匠が味方(アライ)でいてくださるのはとても嬉しいし心強いです。

・・・なんてだらだら語っていたら2343文字も書いてしまいました。

 

あ、あとこれはまた記事にしようかなと思っていますがウェンディ・カルロスはなぜ自分をGIDだと感じたのでしょう?

僕もGIDに近い存在なのでなぜもへったくれもなく「女で生きていくのは辛い」と感じますが、彼女の場合大学で物理を専攻したりテクノという「男っぽい」音楽に興味関心があるにも関わらずそれでも自分を女性だと感じるのか。不思議です。

ちなみに僕は子どもの頃からお人形やままごとには興味がなく、ラジコンや鉄道模型が好きでした。

ウェンディは子どもの頃どういう子だったのでしょう?子どもの頃に違和感のないGIDもたまにいるようですがそれはGIDなのか?性別を変えれば抱えている問題は解決するのか。

性別適合手術の前にはかなり綿密に医者と話し合いをするそうです。本当に性別を変えて生きていけるか。一度変えた性別はそう簡単には戻せませんからね。

そもそもウェンディが性転換をしたのは1972年。この時代はどういう基準でGIDを判断し、性別適合手術を行ったのか。

僕はまだ知識が無いのでなんとも言えませんがその後ウェンディが幸せに生きているのなら問題ないですね。

 

ちなみに僕はGIDかどうかを判断する一つの基準として自画像や自分の理想像を描く、という手法が使えるのではないかと思います。その姿が男の姿なのか、女の姿なのか。

Burning Brainのボーカル、秋山さん

P-MODELのボーカルはほぼ平沢さんですが、たまに他のメンバーが歌ってることがありますよね?カルカドルの「オール」の一部を横川さんが歌ったりとか、big bodyの「Burning Brain」は秋山さんボーカルだったりとか。

 

僕はP-MODELを知ったばかりの頃、正直に言うと平沢さんのボーカルが好きではありませんでした。(今は大好きですが)

僕はボカロネイティブ世代でかつ「歌ってみた」のイケボ歌い手の歌に慣れ切っていたので初めてP-MODELを聞いた時、「なんだこのオジサン声・・・」と感じたことを覚えています(14歳の子どもの時ですのでお許しを!)。

 

それでも曲調や歌詞は好きだったのでCDを手に入れて聞いていたところ、big body のBurning Brainでなんとイケボが聴こえてきたのです。低音で囁くような身体に響く歌声。(この曲だけずっとリピートで聞いてた)

P-MODELについて調べ、秋山さんというメンバーが歌っていると知りすっかりこの人好きになりました。

 

youtubeでいろいろ聞いてきたら話し声も低音でかっこいいね。

あ~低音かっこいい・・・。いいなぁこういう包みこむような低音。

 

P-MODEL時代、秋山さんはファンから冷遇?というかあんまり他のメンバーと比べて人気がなかったとか・・・信じられないなぁ

歌えば良かったのでは。