「亜人」終結と雰囲気漫画批判。死ぬほど見たよこの設定とキャラ付け。
本日「亜人」を最終巻まで読み終わったので感想をば。
始めに言っておきますが辛口です。と言うよりこのブログをお読みの方はお判りでしょうが私は普段から何かを手放しでほめることはありません。「ここは良かった、けどここがなぁ」といった感じの感想ですので「亜人」が大好きで嫌な思いを1mmでもしたくない方はお逃げください。
かつ「葬儀屋リドル」と現代の漫画についてかなり批判的です。どちらもお好きな方は読まないことをお勧めします。読んだ後の苦情は受け付けません。
今回の文章構成としては前半が亜人の感想、後半が現代のプロが描いたはずの「雰囲気漫画」への批判です。重いよ?今回。
それでは感想を。
一言でいうと「え、これで終わり?」が正直なところです。どうも打ち切りになって慌てて終わらせた感が否めない。「亜人」は中盤まではなかなか設定も凝っていてここまで大風呂敷広げておいて回収できるのかと思っていましたがやっぱり回収できなかったようですね。
16.17巻を一気に読んだのですが、今までさんざん生物学者のオグラ・イクヤ博士まで引っ張り出し科学的な解釈をぶっておいてラストで量子力学「風味」の解釈にかじった心理学思想をぶつけるような半端な設定回収で終わってしまいました。
言葉は悪いですが「新書レベルでかじった知識を頑張って応用しようとして結局力量不足でした」みたいな。
結局のところ亜人の正体ってわからないままじゃないですか。量子の振る舞いはすでに宇宙誕生の時点で決まっている。しかし人間だけが感情というものを持ち、複雑な心を持った。その過程で生み出されたのが生への執着を持った亜人である、というのが作者の主張の様ですが全く腑に落ちませんね。
・どう執着を持ったらどのような作用が人体に働いて「亜人」となるのか?
・結局サトウはどうなったの?上手く気絶させたんでこれからもう一生安泰ですってこと?ここまでサトウ最強説を出しておいて?200年もつ施設の中に幽閉したので万事解決!がなんだかご都合主義。
・終盤でいきなりオグラ・イクヤ博士の息子の話が出てきたのは何で?
・最終シーン、永井と中野はこれからどうするの?とっくに面が割れてるんだから普通に生活なんてできないよね?世間はサトウが捕まったからといってそんなすぐに亜人への偏見は消えないと思うけど?
・で、結局カイは何だったの?ただのいい人キャラ?
......畢竟、頑張って「すべて丸く収まりました。ハイ大団円」に無理矢理持っていこうとして色々失敗しているような......。
個々のシーンを挙げて行けば得心がいかない回収の仕方はごまんとあるんですが特に私は「亜人の生まれ方の設定」と「サトウの最期」には拍子抜けというかガッカリでした。
亜人の設定に関してはたぶん作者も自分でよくわかってないんじゃないかな。最終巻の作者あとがきに途中から原作者が変わり、絵を描いていた自分がやることになりました、という説明がありましたがこれって最初の設定回収できませんでしたっていう言い訳ですよね。
これは私の勘ですがおそらく亜人の細かい設定を作ったのは初めに原作書いてた人なんじゃないでしょうか。その人がいなくなったがために絵を描いてた方の作者がその設定を頑張って引き継いだが細かい部分までは理解できなかった、というのが本当のところじゃないでしょうか。16,17巻のかじった量子力学っぽい説明と浅い心理学知識がそれを証明しているような気がします。悪戦苦闘しましたって感じ?
まぁ途中から人の原作を引き継ぐというのはなかなか難儀でしたでしょうからあんまり攻撃するのも可哀そうですね。この辺にしましょう。
ただ「亜人」は大風呂敷広げて中盤までワクワクさせてもらった割には終わりが拍子抜けだったのが残念だなぁ、と。
それと、ここからは「亜人」は関係ないのですが最近の漫画を読むにつけどんどんオリジナリティがなくなり同人誌との区別がつかなくなっているような気がします。はっきり言ってレベルが低い漫画が多い気がする。
どこかで見たような設定、あるあるのキャラ付け、ヘタに科学的な合理性に沿ってしまった「創作」より「科学的真実」にすり寄ったストーリー。
それをこともあろうにプロの漫画家が恥ずかしげもなくやってしまうのに驚くとともにガッカリしています。そんなに「非科学的」とか「この作者は科学の素養がない」と批判されるの怖い?創作なんだから非科学的でもいいんじゃないですかね。
後はストーリーの途中で作者の照れが入るようなセリフ回しとか。上っ面だけの猿真似ボケとツッコミ会話。百万回他で見たわ。
もう一つついでに言っとくと、心の声全部そのままストレートにキャラに言わせちゃう。ワザと自分でケガした子供キャラが「これで父さんが僕の寂しさに気づいてくれたら......」みたいな。興ざめですよそんなセリフ。気持ち悪い。子供がそんなこと思うわけないでしょ。心の声をストレートに文字で言わせてる時点でもう絵とストーリーで表現できませんでしたっていう敗北宣言。
確かにそういう手法を一番最初にやった人は偉いでしょう。「あえて」あるあるを持ってくる、「あえて」作者の見解をいきなりストーリー上に持って来る。それを後世の漫画家が「同じようなことをやればいいんだ」と何も考えず容易にパクっていくのは思考停止のように思います。人の真似がしたくて漫画描いてるんでしょうか?主義主張や己の世界観など何もなくてただ人気者になりたいの?プロの真似して安泰を得るとともに箔付けたいとか?自分もプロと名乗っているのに。
同人誌や二次創作のレベルが上がったというのは確かだと思います。そういうものを描く創作者はアマチュアなので別に人の真似でもいいと思います。自分が好きでやってるんだしね。完全自分の趣味の世界。「雰囲気漫画」結構結構。
ただ、この「なんとなーくウケそうでどっかで見たことあって自分が好きなだけの設定を寄せ集めて似たようなモンつくりました」みたいな「雰囲気漫画」を自分の世界観を売ってお金をもらうプロがやっちゃいけないと思うんですよ。
他の人がやってるから、みんながやってるからこれが正解、で創作しちゃダメでしょ。プロなら。
プロなら自分だけの世界観を生み出して頭一つアマチュアから抜けてないとプロと名乗る資格はないと私は思います。そもそもゼロから物を作るのになぜみんなと同じことをしてしまうの?それなら二次創作でいいじゃん。「みんなと同じ」から得られる安泰は己の個性を殺すよ?
漫画家ばかりやり玉に挙げているようで申し訳ないんですがこれミュージシャンでもイラストレーターでも何でも創作する人なら当たり前のことだと思います。
そうはいってもどっかで聞いたことあるようなJ-POP、死ぬほど見たことあるような二次元萌えキャラたーくさんあるんですけどね。音楽理論なら「王道進行」「イチロクニーゴー」なんて誰かがつくったお決まりのコード進行があって美メロつけやすいから、なんて理由で容易にそこに乗っかってしまったり。そこで失われているかもしれない己の感性や思考回路、無意識からのメッセージがあるかもしれないとは思わないんでしょうか?
懐古趣味で申し訳ないですがその点昭和の漫画はすごかったと思います。水木しげるや石ノ森章太郎、手塚治虫など絵柄を観れば一発でその漫画家とわかる絵柄。
ネットで散々ネタ扱いされてる「ベルばら」だって一発で池田先生の絵だってわかるでしょ。わかるからこそネタに使われるんです。量産型の絵じゃないからこそ。
それと最後にもう一つ。私はプロの創作者は創作物に関して言い訳してはいけないと思っています。ストーリーの中で出し切れなかった設定を「ホントはこういう設定だったんですよ、描き切れなかったんだけど」で出すのは後出しじゃんけんのような卑怯な行為だと思います。
己の主義主張があるから漫画描いてるんでしょ?後から「実はこういう設定で~」って文字で言い訳するくらいなら漫画描かなくていいじゃないですか。
一つタイトルを上げさせてもらうと「葬儀屋リドル」。この漫画現代の漫画の欠点がわかりやすく見える漫画だと思います。好きな方いたらすまん。
デジタルで描いた没個性的女性向けの絵柄、あるあるのキャラ設定(無口なショタキャラとかボクっ娘ロリータとか)、背景はいかにもトレスで高校生男子に執着する美形の白人キャラというご都合設定。
ぜーんぶ百万回ぐらいよそで見たわって設定ばかりでこれがプロの描いた漫画だとはとても信じられませんでした。これでお金取るんだ。
何より愕然としたのはキャラ設定を全部言っちゃうんですよ、この漫画。物語外で。
例えば飛廉という中国マフィアと関係のあるキャラ、「この人実は北欧人とのハーフですが物語の中でだす暇ありませんでした」って作者が恥ずかしげもなく言っちゃうんです。
物語の中で使わなかった設定を何でラストで言っちゃうの?それ自分で「ハーフキャラの設定回収できませんでした」って言い訳してるじゃん。
というか何で北欧人とのハーフキャラ?どこにもそれが関係する描写なかったと思いますが。まさか作者が白人ハーフ好きってだけなんじゃ?自分の性癖を持ち込んで自分が満足したいからこそのキャラ設定じゃないかなぁと疑わざるを得ない。作中で北欧ハーフなんて全然関係ないし。作者が自分の作品でオナってるのを見せられてもねぇ。
漫画の中で決めた設定を回収できなかった時点でそれは作者の力量不足だと思います。それをこともあろうに漫画家が文字で言い訳してるって漫画描く意味あるんですかね。読んでいる方には作中で使われなかった設定などないも同然です。それを後に文字で説明するなど言い訳以外何物でもないと思います。悪いけど。
この手法がOKなら創作者はみんな言い訳しますよ。画家なら「この絵はここをもっとこうしたかったんですよ」と言うだろうし音楽家なら「このフレーズはホントはこうしたかったんです」と言えてしまう。でも展覧会で絵の横に画家の言い訳が書いてある絵なんてないですよね。
漫画だって芸術でしょ?漫画だけ漫画以外で言い訳OKなんてちょっと卑怯な気がしますね。
まとめとして、私は創作物は創作物そのもので判断されるべきだと思います。一度世に出した創作物がどう解釈されようとそこに言い訳をはさむ余地はプロならないと思います。
現代の漫画にはプロが描いたはずのものにさえ、そういう作者の言い訳や照れが入ったものが堂々と「プロの創作物」として恥ずかしげもなく売り出されているのがどうも釈然としない、と私は思います。
ね、辛口だったでしょ。