少年敗走記

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師匠はゲイじゃないけど女嫌い?むしろ「女好き」では

タイトルまんまですが。平沢進氏の話題です。

これから話すことは総て僕の推測です。師匠がそう言ったわけではないので僕の考察というか、妄想というか、それをふまえて読んでください。つまりヒラサワを僕の文脈で解釈したもの、ということです。

かつ、この記事では誰をも貶めたり差別したりする意図は全くありません。

 

最近、というか数ヶ月前に、師匠がやたらと「私はゲイではない」とツイートしているのが気にかかって。なんで今更そんなことを言い出したのか?古いファンなら皆知ってると思うんですが。知らないことで何か問題が起きたのか?

ふと思ったのが、回=回のBSPで新参のファンに対し「ヒラサワを知らなすぎる」と不満げに話していたことです。何か自分について勘違いされることで嫌な目にあったのか?ゲイかどうか疑われることも含めて?

 

僕は本当の男ではなくFtXであるため生まれながらの男性がゲイだと勘違いされることがどういうことなのかは真に理解することはできませんが、どうやら少し屈辱的なことの様です。

師匠はSP-2のおともだちがいたり、普通の人よりはLGBTXに理解がある様に思えますがアライ(LGBTXの理解者)であることで謂れのない差別や偏見を経験したことがあったのかもしれません。残念ですが師匠に限らずこういうことはままあります。特に男性だとアライだと公言すると「お前もゲイなんだろ?」みたいな無理解の攻撃が飛んできたり。

 

それにそもそもテクノというジャンルがゲイ文化と結びついている点があります。ウェンディ・カルロスとかクラウス・ノミとか。ノミはニューウェーブかな。

ニコ動にある「平沢進のテクノ実験工房」でもウェンディ・カルロスの話題が出たり、ヤプーズの中原さんがゲストに来た回で「女嫌いの師匠としては~」という上野君の発言を否定してなかったり。

僕は師匠はゲイだけど言わないだけだと思っていたのでツイッターではっきりと「私はゲイではない」と言い切っていたのを見てびっくりした記憶があります。確かに食べものや外見に気を使っていたり(人前に出る仕事なら当然か)、仕草がちょっと女性っぽかったり、タイのGID(性別違和)に理解があったりしますから勘違いされやすい要素は持っていると思います。個人的にちょっとナルシストっぽいかなと感じたり。(すみません師匠)

ですが、おそらくこの人の場合セクシャリティに関しては嘘をつかない気がします。SP-2と親しくしているし、ゲイであったところで音楽には何も関係ないでしょう。会社に勤めているわけでもなし。もっとアヤシイ要素いっぱい持ってるし。もしゲイであったならセクシャリティについてははっきり「私はゲイだ」と言うかせいぜい何も言わないかのどちらかになりそうだと思います。

 

それと、これもニコ動にある師匠と戸川純ちゃんのわけのわからない対談番組がありますよね?その時に幼少期に感じた「女の人は穢い」と「女性の死体の美しさ」について語っていたのを観ました。 とりあえず後者は置いておいて、普通の人なら幼少期の経験や感覚というのは忘れてしまうし、覚えていたところで所詮子供の考えだと切り捨ててしまうものをこの人はずっと感覚として持ち続けているように感じられます。

 

つまり、「女の人は穢い」という感覚を未だに(無意識下でも)持っているのでは?という考えに至りました。「女性の死体の美しさ」に関しても生きている普通の女性ではなく死体に見出される一種の魅力にとりつかれたのかな、と。

 

師匠が出したSP-2本を読んだことがありますか?僕はこの本読んだんですが、もしかしてこの人は女をSP-2の敵、くらいに感じているのでは?と感じました。Sp-2を不自然だと陰口を叩く日本人女性に皮肉な対応をしたり(まあ、これは当然)、とあるSp-2の「平沢さんて私が女だったら興味ないんでしょ」という言葉を肯定していたり。この本の中で述べられているようにSp-2の方は生まれながらの女性とはあまり関わりたくない、らしいので女はSp-2の敵くらいに感じていてもおかしくはないかな、と思います。敵という言葉は少々言い過ぎかもしれませんが。

 

さて、で、師匠は女嫌いなのか?いや、僕はむしろ女好きではないのかと思います。それは世間で言われているような女好きではなく、もっと心の深いところに存在する女性性にこの人は惹かれているのではないかと思います。

この人の曲や書いたものを読むとだんだんわかってきますがこの人はSp-2に原始の女性性や母性を見出しているように感じられます。Sp-2の方々が女性としてふるまうために手本としているのは本当の女性ではなく集合的無意識下のなかの原型(アーキタイプ)に存在する女性像だそうです。(このへんはユング心理学に由来します)

師匠の音楽はこの集合的無意識下のアーキタイプに太古の昔、原始の風景を「思い出す」「帰る」タイプの曲が多いように感じられますが、Sp-2はまさにそれを体現している存在。そこに存在する女性性に惹かれているので傍から見ればヒラサワを知らない人、あるいはミーハーファンには「ニューハーフに惹かれているオジサン」だと誤解を受けるのではないかと思いました。ゲイでないというのはこの原始的、アーキタイプの男性性についてはあまり何も言ってない点からも見受けられると感じます。老賢者ぐらいでしょうか。

 

つまり、女嫌いというよりは女が女であるというだけでは興味はない、というのが正しいかと。こう考えると女性ファンが多いのは得心が行きます。つまり、世の男性と違ってこの人は相手が女であるだけでは性的な目で見ない人だ、と女性ファンは分かっているのではないでしょうか。(無意識でも)

ちょっと話はずれますが宗教にのめり込むのは女性が多いそうです。理由はいろいろあるでしょうが僕は、ブッダやキリストは女を性的な目で見ない男だからというのが一つあると感じています。

ヒラサワも女性ファンには現実味のない、男としての肉体性を持たない存在として認識され、愛されているのではないかと思います。

 

まとめます。

つまり、師匠はそこら辺のただ女であるだけの人間には興味がなく、集合的無意識に存在するアーキタイプの女性性を体現したSp-2に惹かれているのだ、という推測を導き出しました。これって回りくどいけど結果だけ見れば女好きって言えません?ってこと。

あと、僕は心理学を学んではいますがユングについてはそれほど詳しくないので専門用語の使い方が間違っていたらすみません。

 

最後に、まるでストレートの男性がゲイだと勘違いされるのが「悪いこと」のように読めてしまうかもしれませんがそういう意図はまったくございません。

僕もLGBTXに当てはまる人間ですので師匠が味方(アライ)でいてくださるのはとても嬉しいし心強いです。

・・・なんてだらだら語っていたら2343文字も書いてしまいました。

 

あ、あとこれはまた記事にしようかなと思っていますがウェンディ・カルロスはなぜ自分をGIDだと感じたのでしょう?

僕もGIDに近い存在なのでなぜもへったくれもなく「女で生きていくのは辛い」と感じますが、彼女の場合大学で物理を専攻したりテクノという「男っぽい」音楽に興味関心があるにも関わらずそれでも自分を女性だと感じるのか。不思議です。

ちなみに僕は子どもの頃からお人形やままごとには興味がなく、ラジコンや鉄道模型が好きでした。

ウェンディは子どもの頃どういう子だったのでしょう?子どもの頃に違和感のないGIDもたまにいるようですがそれはGIDなのか?性別を変えれば抱えている問題は解決するのか。

性別適合手術の前にはかなり綿密に医者と話し合いをするそうです。本当に性別を変えて生きていけるか。一度変えた性別はそう簡単には戻せませんからね。

そもそもウェンディが性転換をしたのは1972年。この時代はどういう基準でGIDを判断し、性別適合手術を行ったのか。

僕はまだ知識が無いのでなんとも言えませんがその後ウェンディが幸せに生きているのなら問題ないですね。

 

ちなみに僕はGIDかどうかを判断する一つの基準として自画像や自分の理想像を描く、という手法が使えるのではないかと思います。その姿が男の姿なのか、女の姿なのか。