少年敗走記

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米津玄師「vivi」は消えるイマジナリーフレンドを歌ったものか

 今回は米津玄師さんの「vivi」を分析していきます。最初に行っておきますが、以下の考察は総て僕が考えたもので本人がそうおっしゃったわけではありません。なんの根拠もないので「お前の妄想だろ?」と言われればその通りです。

この点のご了承をお願いします。あと、歌詞に「僕」という言葉が使われているので私は今回「私」という一人称を使います。

 

さて分析開始。

まず登場人物はふたり。ロボットの様な生き物と少女。

どっちが「僕」でどっちが「vivi」か。

ロボットの方が「僕」で少女が「vivi」です。PVの「あなたへと渡す手紙のため」でロボットが机に向かっているので「あなた」=「少女」=「僕じゃない方」になります。つまりこの歌はこのロボット目線で話が進むんですね。始め逆かと思ってました。

 

普通の恋愛や友情でないことは「僕」が明らかに人間じゃないことからわかります。

私はこの「僕」を少女がつくりだしたイマジナリーフレンドではないかと推測しました。

この曲を一言でいえば「イマジナリーフレンドを失い’普通の大人’に成長していく少女の歌」だと考えました。それをイマジナリーフレンドの視点から歌う歌。

 

なぜ私がそう考察したか?

まず何度も繰り返されるサビに注目します。

「愛してるよビビ、明日になればバイバイしなくちゃいけない僕だ」

つまり僕は「あなた(少女)を愛しているけれど、明日(未来)にはあなたの傍にいてはいけない」と歌っています。

イマジナリーフレンドは多くの子供が持っていますが大人になるにつれてほとんどが消えてしまいます。

精神科でも一昔前までは病気かどうか審議されていたものでした。現在でも人格解離(多重人格)と区別がつきにくいもの、とされています。

つまり世間的にはイマジナリーフレンドを持たない大人が正常とされ、子どもの頃から持ち続けているのはおかしいとされるのです。

だから僕は少女の傍にはいられない。この少女の幸せを願うなら自分は消えなくてはならない。ただし、この「あなた」を置いていくのは「灰になりそうなまどろむ街」だ。

 

次にDメロの「溶けだした琥珀の~」を見ていきます。

まず耳慣れない「カリブー」という言葉ですがこれはトナカイの一種だそうです。トナカイと言えば?サンタクロースですよね。

そしてはっきり子供という言葉が出てくるのが「街から子供が消えていく」。その場面でPVでは「僕」が空から落ちていきます。

子供時代の空想は終わり、サンタやイマジナリーフレンドを失った子供たちは普通の大人になっていく。つまり、「街から子供が消える」のです。

 

では少しずつ歌詞の違うサビに注目します。

2番のサビでは「明日になれば今日の僕らは死んでしまう」「こんな話など忘れておくれ」「言いたいことはひとつもない」と僕は言います。

確かにイマジナリーフレンドとの思い出は写真に残せるものではないし、成長するにつれ自分がイマジナリーフレンドを持っていたことも忘れてしまいます。たとえ覚えていても誰かに話せるものでもなし。そういう意味で「明日になれば(未来では)今日の僕らは死んでしまう」「こんな話など忘れておくれ」ではないでしょうか。

 

「言いたいことはひとつもない」はこれから消えていく僕が何を言ったところで少女は悲しむだけでしょう。「さよなら」「元気でね」はもちろん「また会おう」でもないし。ここは本当は「言いたいことはひとつもない」ではなく「言える言葉はひとつもない」ではないでしょうか。実際最後のサビで「それでも何も言えない僕だ」と歌ってますし。

 

最後の「さよならだけが僕らの愛だ」がちょっとひっかかりました。

では今まで一緒に過ごしてきた時間は愛ではなかったのかと。

これはもちろん今まで一緒に過ごしてきた時間だって愛だけれど本当にあなたのことを想うなら僕は消えなくてはならない、それこそが本当の愛なのだ、ということではないでしょうか。

AメロBメロは僕とあなたが過ごした時間の感情の揺れ動きを歌っている、と見ました。

最後にviviという単語ですがパッと出てきたのがvivid,vivianなど。vivianは人名で男女どちらでもあり得る名前です。vividは「鮮明な、はつらつな」という意味です。これ、「灰になりそうな」と対比してますね。はつらつとした少女を灰になりそうなまどろむ街に置いていく。

「僕」は本当は消えたくないというかこんな「灰になりそうな街」=「一般社会、世間」に、このはつらつとした愛している少女を置いていきたくない、というのが真意ではないでしょうか。いつかこの少女もつまらない「普通の大人」になってしまうのが分かっているから。

 

ここで考察終わります。

はっきりいってこの曲すごく考察が難しい曲です。Dメロの「溶けだした琥珀」はたぶん「足のないブロンズ」とつながっているというのは分かりますが、なぜ「足が無い」のか。なぜ魚が僕を見るのか。空から海に落ち、海に還るということなのか。(海は生命の母ですから)

踊りを踊った閑古鳥?静かなのか騒がしいのか。

なによりイマジナリーフレンドが消える時手紙なんて書くでしょうか?人格解離の人の中には全人格で情報や予定を共有する為にメモやメールを書く人はいます。

解離した人格が統合され消える歌、でも考察できそうな。

PVがあるにもかかわらず平沢進なみに分析しづらい歌でしたが私は子供時代の終焉の歌と解釈しました。

私は米津玄師さんの曲はこういう悲しげで切ないものが好きです。こういう系はあんまりないんですが。「アイネクライネ」もいつか分析したいですね。今のところ私は「アイネクライネ」は親子の愛の歌だと思っています。成長した娘から若き父親への歌。あるいは逆です。成長した息子から若き日の母への歌。

なぜ恋愛だと解釈しなかったかはその時の考察で語ります。

長々とお読みいただきありがとうございました。