少年敗走記

辛口の感想もありますがお気軽にコメントしてください

つきのPさん「真夏の雨」を分析してみた

ニコ動に投稿されているつきのPさんの真夏の雨。

僕はこの曲に自分なりの(おそらく合ってるんじゃないかなー)解釈を見出したので語ってみようかと思います。

もちろんご本家に確認をとったわけではないので想像と言われれば想像です。

この曲です。

nico.ms

僕はこの曲を「死んだ兵士が霊となって故郷へ帰る歌」だと解釈しました。

それを歌詞を追って説明していきます。

ちなみにこの曲は(A→A→B→C→C')×2→D→転調して→(C→C’)×2です。

それと、歌の歌詞に「僕」が出てくるので混同を防ぐため、今回私は私という一人称を使います。

 

まずAメロ「立ち込める霧の向こう~馬車があった」まで。

霧の中こっそり走る馬車があるわけですが、ここで真っ先に思いついたのがデュラハン。妖精のね。

この世の者でないデュラハンのように「誰にも気付かれないように」走らなければならない。なぜか?

馬車に乗っている人はもうこの世の人ではないからです。霧の中を走っていくのも神話っぽさを出していますね。

 

次のAメロ。「古ぼけた幌~見つめていた」まで。

馬車に乗っているのはなんと兵士ではなく少年。「細い腕」と強調されていることからして青年ではなくほんの子供です。兵士は子供の姿で帰ってきたのです。「おぼろげな面影」の歌詞から兵士と少年が同一人物だと分かります。

 

Bメロ。「今宵目指すは~帰ってきたと伝えよう」まで。

ここではっきりと故郷を目指して馬車は走ることが分かります。かつ、「白く染まる布を掲げ」と歌われていることから敗戦、負け、戦死をイメージさせます。

 

Cメロ。「流れた時は~あの日の姿を」まで。

この兵士は長い間戦争にいっていたとうかがえます。ここで一度出てくる「君」の「あの日の姿」。このフレーズを覚えておいてください。

 

C'メロ。Cメロと最後の一部しか違わないメロディです。「どこかで聞いた~進み行くこの道」まで。

雨を聞いたら左腕が冷たくなった。「だけど」君を抱く。

この雨とは空爆の爆弾だと思われます。兵士は空から降ってきた爆弾で左腕を失い死んだのではないでしょうか。動画の絵も血の様な紋様が描かれていますね。

当然腕がなければ人を抱きしめることはできません。

だから「だけど」と逆接の接続詞で「君を抱く」をつないでいるのです。

 

またAメロに戻ります。ここから二番ですね。「タイヨウが~温めてくれるだろう」まで。

「冷えて硬い体」のフレーズから死体を思い起こさせます。

更に歌詞では太陽は「タイヨウ」とカタカナで書かれており、空に輝くsunではないと思われます。いくら太陽が6000度もあるからといって死体を生き返らせることはできないでしょう。

この「タイヨウ」は「君」のことだと解釈しました。「君」の存在(光)はこの兵士の全て(世界中)であり、死んだ自分をも生き返らせるほどのパワーがあるのだ、と兵士は歌います。体ではなく心を。

 

Aメロ。「しみついた~見失って生きている」

ここは反戦歌ともとれます。「黒い汚れ」=血、「不必要なモノばかり」=武器、「ありのままの形見失って」=戦争という歪な世界で生きている人間たち

そのまま「黒い汚れ」=血、「ありのままの形見失って生きている」から「ありのままの形」=生きていたころの体、「見失って‘‘生きている‘‘」が「死んだ」の皮肉ともとれます。

この兵士が自分が死んだことに気づいていない線もありますが、後に「僕を壊した真夏の雨」と歌うのでそれは違うかな、と。ただ、この「壊した」が「左腕を奪った」の意味だとしたらそうかもしれません。

 

Bメロ。「次第変わるは~家に帰ろうと」

耳慣れない「二十重」という言葉は幾重にも重なること、という意味だそうです。

ここで歌われるのは郷愁ですね。風は次第に「変わっていく」が、景色には「懐古の声」(なつかしさ)が残っている。変わるものとそのままのものの対比です。

「去りし時の地図」はやはり時間の経過を歌っているのかな、と。ここでも「故郷へ帰る」ことが強調されます。

 

Cメロ。「視界の先に~幼いままかな」まで。

Bメロ、Cメロでどんどん故郷へ近づいていることがわかります。

「淡い形あらわになる」でもう故郷が見えていることがうかがえます。ただ、「淡い形」といっているのでまだ霧がかっているのか、それともこの兵士が長い間故郷を離れていたために忘れてしまったか。(自分の生まれ故郷を忘れる人はいないので霧がかっている方の解釈が適切かな)

 

それよりひっかかるのが「君」はまだ幼いままかな、という歌詞。

当然人は成長しますからこの兵士が家を去ったころに幼かった「君」も大きくなっているはずです。なぜ、「幼いままかな」なのか。

理由として考えられるのは二つ。

1.「君」ももう亡くなっているので成長しない

2.「僕(兵士)は幼いころの君しか知らないので大きくなった姿が想像できない」

「幼いままかな」→「いや、そんなわけないよね」という自問自答。

歌詞全体を見ても「君」が生きているのかいないのかははっきりしませんでした。ただ、私は「君」は生きていると推測しました。その理由は後の歌詞で。

だとすると2の解釈になります。

 

次行きます。

C'メロ。「僕を壊した~信じて」まで。

先ほども書いたように「僕を壊した真夏の雨」が「僕を殺した爆弾」の意味。「それは癒えぬまま」と言っているのでやはり兵士は自分が死んだことに気づいている様子です。「癒えた」というのは「生き返る」ことだと思いますがそれはありえないので。

イエス・キリストじゃあるまいし。

 

さて、「もしも君に会えたなら戻れると信じて」とはどこに戻れるのか。この世に?

もしかしたら兵士は確信している、もしくはそう自分に言い聞かせているのかもしれません。

「君」は兵士にとっては彼の全て、神にも等しい存在。その「神」に会うことができれば兵士は生き返ることができるのだ、と。

もっと違う解釈もあります。こっちの方がありそうです。「戻れる」とは「あの頃に戻れる」の意味。

つまりもし「君に会うことができれば戦争に行く前のあの一緒に暮らした平和だった頃に戻れるんじゃないか」という意味です。

 

Dメロ。大サビというやつです。「踏みしめるごとに~たどるのだろう」

とうとう故郷が間近になり兵士は馬車を降りて走り出します。ここで最初に出てきた幌の中の少年が実は兵士の子供の頃の姿だと明かされます。

こういう歌詞の書き方うまいですよね。

「あの日駆け抜けた田舎道」を反対にたどる。つまり、意気揚々と期待に胸を膨らませて若き日に走り抜けた道を、今度は故郷へ戻るのです。しかも戻る時は駆け抜けていません。「たどる」という言葉は「ゆっくり歩く」イメージです。

やはり「敗戦」や「戦死」をイメージさせます。

 

さて、転調していよいよクライマックスです。

Cメロ。「煙が上がる~照れくさい」まで。

私が「君」が生きていると解釈したのはこのパートの歌詞からです。家から煙が上がっている、これは炊事の煙でしょう。火事ではなく。

ここで生活感を出すことで君が生きている、とリスナーは考えるでしょう。また、「少し残る面影」といっているので君が成長したことがわかります。

 

C'メロ。「彼方に残る~巡り会いの歌を」まで。

一番で「今宵目指すは」と歌っていたのに対し、「真昼の月」が出てきます。もう夜は明けました。この夜明けに希望や再会の喜びが重なっているようですね。

「巡り会いの歌を」で再会した、と読み取れます。

 

Cメロ。「どこかで聞いた~暖かなほおで」まで。

一番と同じ歌詞が出てきます。とうとう兵士は「君」を抱きしめるのです。左腕がないのでおそらくニコ動の画像のように抱き寄せたのでしょう。

 

C’メロ。最後です。「誰も涙を~タイヨウが出る様に」まで。

「誰も涙を流さぬよう」からこの兵士と君のように悲しい思いをする人がいなくなるように、二人で歌い続けよう、と言います。おそらく「巡り会いの歌」を歌うのでしょう。

「いつかこんな世界にもタイヨウが出る様に」からここで言う「世界」は兵士の全てのことではなく本当のworldの方だと思います。

こんな戦争ばかりの世界にも「君」のような希望があらわれるように、兵士と「君」で「巡り会いの歌」を歌うのです。

 

さて、歌詞を追って解釈してきましたが、ひとつ疑問が残りました。

つまり、「君」とはだれか。動画から女性であることは間違いないんですが、私は最初、この兵士の娘かと推測しました。

女性なら妻の可能性もあるんですが「あの日のように君はまだ幼いままかな」という歌詞があるので娘のほうが有力な推測だと感じます。同じ理由で母もありえません。

しかし、ここにももう1つの解釈ができるのです。

 

「田舎道を駆け抜けたのは少年の頃」「あの日のように君はまだ幼いままかな」

この二つを組み合わせて考えると幼馴染の可能性も出てくるのです。というより幼馴染説のほうが有力だと感じます。

つまり、時系列で書くと

兵士(少年時代)                   戦死、生まれ故郷へ帰る

         →何らかの理由(引っ越しなど)で →

君(幼いころ)   分かれる              生まれ故郷に住んでいる

 

こうであれば当然兵士は「君」の幼いころしか知らなくて当然です。

そもそも田舎道を駆け抜けたのが少年の頃というのがちょっとひっかかっています。

田舎道を駆け抜けてそのまま軍隊に行くには幼すぎないか?と。

この少年が18歳くらいであればそれもありえるでしょうが、田舎道を駆け抜けたのが少年の頃、今死んで故郷へ帰る姿も少年。

この二つの少年の姿はおそらく全く同じ歳でしょう。別だと推測できる要素もないですから。

だとすると18歳の男を表す言葉に「細い腕を抱いて」とは使わないでしょう。少年が細い腕であるのは第二次性徴前ですから仮に12歳ほどだとしておきます。

 

少年は12歳で生まれ故郷を離れ、何年かしてから軍に入隊し、戦って死んだ。

「君」は少年と同い年(あるいは近い歳)の少女で少年が故郷を去った後もそのままそこで育ち、大人になった今もそこで生活している。

少年は(大人になって兵士になり死んだのですから元少年ですが)心のよりどころであった生まれ故郷の幼馴染の元に帰りたい一心で「君」が覚えている少年の姿になり馬車を飛ばす。

こういうストーリーではないかな、と私は推測しました。

そもそも鏡音二人の関係性は兄妹、姉弟、恋人、幼馴染と色々つくれますが、父と娘設定でストーリーを作っている人は見たことがないです。

もしこれが父親の少年時代と娘、だったら斬新で素晴らしいですが曲としては分かりづらいかな、と感じました。

歌詞って小説とは違ってじっくり推測を重ねていくようなことはしないですし。

 

以上長々とつきのPさんの「真夏の雨」分析でした。

最後まで読んでくださった方がいましたら長々とお付き合いいただきありがとうございました。