田園に死すを観た
久しぶりに映画を観ました。家でね。
映画って観る前は一本集中して観るのが嫌だなぁと思ってなかなか手を出さないんですが、いざ見始めると一気に観るという性格の僕です。
さて、何で「田園に死す」なんて古い映画を今引っ張り出してきたかというと、この映画、J・A・シーザーが音楽担当してるんです。
シーザーって誰やねん、って人も多いと思うので簡単に僕なりの説明を。ヒラサワを男女関係面にヤバくした人です。
違います。いや、語弊のある言い方でした。ヒラサワリスナーなら彼のヤバさは分かってると思うんですが、ヒラサワをもっとどろどろ、生生しくした感じの音楽を作ってる人です。主に古い日本の閉鎖的村社会方面に。
一度聞いてみてください。おすすめは「越後つついし親不知」。プログレ×土着の村社会の悲惨さって感じ。子殺し子捨て、姥捨て、嬰児の川流し、間引き、娘の身売りあたりの民俗学好きな人は絶対好きです。この曲。
さて、映画の話を。脚本は寺山修司ですね。シーザーが音楽を始めるきっかけの人。
ネタばれあります。
主人公の男が自分の子供時代を振り返り、子供時代の自分と会話し、人生と向き合う話です。ざっくり言うと。名前はしんちゃん。
場面は故郷の閉鎖的村社会と昭和の東京大都会を行き来します。
ここにサーカス(フリークショーっぽい)が絡みます。
まず、驚いた点が二つ。
何で少年しんちゃんは顔が白塗りなの???
しんちゃんだけでなく、村の中学生たちは少年しかおらず、しかも全員顔が白塗り。これ何でですか?
それと、映画紹介文の「少年」から、僕は12歳くらいの子をイメージしてたんですがどうみても15歳くらいの子でしたね。まあ、最後の女にしんちゃんが犯されるシーンをあまりにも小さい子にさせるわけにはいかんということか。
だったら15歳もだめだよね。児童保護法に現代だったらぜったいひっかかるし。
ストーリーの中では少年は中学一年生、つまり僕の予想の12歳っていうのはだいたいあってたわけですが、上のような事情により俳優はもうちょっと年上。
僕はバブル崩壊後の日本しか知らないのでこの時代を理解するのは無理なわけですが、この映画、一度見ただけじゃよく分かりません。
ただ、あの時代の日本を形作る泥臭さ、庶民の貧しさは根底によく表れていると思います。
あ、あと村でヒソヒソ話し合ってるカオナシみたいな女連中は村社会の閉塞感を視覚化したものじゃないかな、と予想しています。