ぶつかりながら、曲がりくねって全力疾走。

トランスジェンダー(体は女、心は中性?)の京がLGBT関連を中心に色々書いていきます。よろしくお願いします。

平沢進の話と、セクシャリティのこと

「どんな音楽聞くの?」 

「あのー、たぶんご存じないと思いますけれど、平沢進って知ってます?」

「うーん、知らない。」

..............................

 

馬の骨であればだれもが一度は経験するシチュエーションですね。

ちょっと説明しておきますと、平沢進(通称師匠、おっさん、ヒラサワ)は東京出身の63歳のミュージシャン(音楽使い)です。馬の骨はファンの別称。

もっと詳しく知りたい方、ググってください。

 

あ、今回はがっつりセクシャリティの話ではありません。後の方にセクシャリティについても書きますが。

 

僕がこの人に出会ったのは14の時。

 

たまたま「百歌声爛」というCDを聞いていたところ、これはたくさんの声優さんがアニソンをメドレーで歌っているのですが、安/元/洋/貴さんという方がベルセルクのForcesを歌っていたんですね。

 

メドレーの最初の曲だったんですが、えらい衝撃を受けまして。

「なんだこの曲!かっこいい!」

 

さっそく曲名で検索。

どうやらベルセルクというアニメの主題歌らしい。作曲家、元の歌手は平沢進という人らしい、と。

ぜひ、フルで聞きたい!

 

当時僕はamazonのアカウントも持っておらず、iTunesでMP3を買うという発想もなく、1曲聞きたければCDを丸ごと買っていました。

 

そこでケータイ(当然ガラケーです)でamazonの「救済の技法」のページを開きつつ、CDショップの店員に

平沢進という人の救済の技法というCDで、ボーナストラックありの方」

を取り寄せてもらいました。

当然、店頭にヒラサワのCDがあるわけないので。

 

それから平沢、P-MODELにのめりこみました。古CD屋を廻って師匠の過去作のCDを買いあさり、親にamazonのアカウント借りたり。

 

今では平沢のCDはすべてそろえ、P-MODELのCDもほぼ全部あります。

SCUBAやLIVEの方法はもはや手に入りませんが。

さらに、元Pの福間創さんや中野テルヲさん、横川タダヒコさんまで聞く始末。

 

14までは全く音楽を聞かない子供だったので、人生で初めてまともに聞いたのがこともあろうにヒラサワ......。

これは僕の人生の分岐点だったのでしょうね。

 

さらに、7月8,9日に大阪の第9曼荼羅ライブに行ってきました。人生初ライブ、初生ヒラサワを見ました。

 

この感想はまた別に書くとしてそろそろセクシャリティの話をします。

 

ヒラサワの造語の中に、SP-2という言葉があります。

端的に言えば男性として生まれた心が女性の人。

 

僕の逆ですね。

日本ではニューハーフなんて言われていたり。

ヒラサワはタイでSP-2に出会い、衝撃を受け、そして親しくしているようです。

彼女たちにインスピレーションをうけて曲を作ったり本を書いたり。

 

僕は今、セクシャリティについていろいろ考え悩んでいるところですが、あの14の時に出会ったヒラサワがセクシャリティの面で心の支えになってくれるとはまさか想像していませんでした。

 

そもそも僕がセクシャル・マイノリティという言葉を知ったのは高校生の時。

 

性別違和を覚えながらも、ゲイの人たちや「オネエ」と呼ばれる人たちを見ながら「俺は’こんなの’とは違うんだ!」と'男らしく'していました。

 

そもそもそれがはたから見たらオカシイんですけどね。

 

でも、自分が男でないことに気づいていなかった、いや気づいていないというよりは受け入れていなかった。女であるとおもっていなかった。

 

実際、僕は今でも裸で鏡の前に立ってもこれが自分の体だと正直思えません。

誰か、違う人のような気がしてならないのです。

 

ヒラサワの曲に「Switched on Lotus」というものがあります。

その歌詞の一節に「望まぬ牢を今去るとき」というものがあります。

 

僕は、この歌詞を聞くたびに「望まぬ牢」=「性自認とは違う身体」を思い起こします。

 

望まぬ’異性の’身体を去って輪廻の輪に帰る、というのはきっとすがすがしい、救われるような思いなのではないでしょうか。

 

精いっぱい望まぬ身体で今生を生ききって功徳を積み、次こそはきっと性自認と一致した身体で生まれてくることができると信じて天界へ帰っていく。

 

なんてうらやましいことでしょう。僕も、ぜひこうなりたい。この思想を心から信じきって今生を生き抜き、次こそはきっとマジョリティの人のように心と体の性が一致して生まれてきて、異性と恋愛してみたい。

 

それはきっと世間から認められたような気分になれるのではないかと、想像します。

 

そのためにも、僕は自殺はしないでしょう。自殺したら仏教によればまた同じところからのスタート。

 

またセクマイとして生まれてきて世間から見ればレズビアンとして生きる。

 

もう二度とごめんです。

 

それに、自殺したら師匠のライブに行けないもんね!

 

生きづらいことはたくさんあるけれど、師匠と同じ時代に生まれてこれただけでももうけもんかな。

 

今回は馬の骨以外の方には?な話題だったかもしれませんが、ここまで読んでいただきありがとうございました。